第15話 過去は逃げない。ただ影のようにまとわりつく


 俺は結衣の靴の隣に自分の靴を脱いで、床に足をつけた。


 ギシ


 床板の擦り合う音が聞こえ、俺の足元からは比較的高い音がこだまする。

 この家も古くなったものだ。

 車は電磁石によって宙を浮き、飛行機はガソリンに人工活性水素を混ぜてオーバーヒートせずに地球を1周できる時代。

 しかしそんな時代の今でも、木の家と言うのは珍しく無かった。

 人間不思議なもので、世の中が便利になったらなったで、今度は‪”‬不便利‪”‬を求めたがるのだ。

 デュークだから…と言うよりか個人的にその思想は理解できないのだが、まぁそれは人それぞれだろう。

 ちなみに俺達の家がこの様なボロなのは‪”‬不便利‪”‬を求めている訳ではなく、ただ単に改装するのがめんどいからである。

 そもそも大体の時間を海の上で過ごす俺達に、陸の家などそれほどには存在価値が無いのだ。

 と、そんな事を考えていると、既に目的地に到着していたらしく────ガチャ

 俺は躊躇うことなく、結衣の部屋の扉を開けた。


「結衣ーー約束通り買い物に………………あ」


 俺の口からこぼれた1文字の言葉。

 2人の間に流れる無言の時間。

 それから結衣の悲鳴がその沈黙を破るまで、数秒も掛からなかった。


「キャッ」


「あ…す、すまん」


 俺は悲鳴と同時。

 反射的に顔を手で覆いながら後ろを向く。

 しかし俺も男の子。

 一瞬だけ見えた結衣の姿が脳裏にチラつく。

 肌に触れるのは薄いベットシーツたった一枚。

 窓から差し込む白い朝の光に体の凹凸が透け、しかも元から結衣は顔は整っている方なので、余程…。

 そんな、誰が見ても美しいと言わざるを得ない雰囲気の結衣に、自分でも分からないが────なぜか俺の顔は熱くなっていた。

 熱でもあるのだろうか。

 抗生物質を打たなければ。


「う…うぅん大丈夫…」


 と、少し震えた結衣の声が俺の背中にぶつけられた。

 俺はそれに「そうか…」と答えながら、後ろを向いたまま扉の端に肩をあずける。


「あぁ…買い物を誘おうと思ったんだが、リビングで待った方がいいか?」


「ぁ…う、うん…そう…だ…」


「そうか。じゃあリビングに居るから、支度し終わったら来いよ」


「……」


 俺は後ろ向きながらもそう言って、壁に預けていた肩をあげた。

 ゆっくりと、片足をあげる。

 そして互い違いに上がるもう片方の足を使って前に進もうとした、その時だった。

 優の肩に、1つの手が置かれたのは。

 ──── 

 ビクッとしてピタリと止まる優の体。

 私はその手を置いたまま、戸惑う優にこう呟いた。


「……ないで」


「え?」


「行かないで!」


 突然の大声に、2人の間に沈黙が戻る。

 ここでこの手を離したら、私は多分、

 今後の人生も、お兄ちゃんとのお出かけも。

 それは少し、言い過ぎだろうか?そんな考えも、今の結衣には生まれもしなかった。


 だが確かに、言い過ぎなのかもしれない。

 でもこれは、優はおろか結衣ですら知らない事。

 なって見ないと分からない。

 時間が経たないと分からない。

 ────でもそのせいでカレンは…


「っっ…」


 優の肩を握る手に力が入る。

 いつしか私の口はカラカラで、嫌な冷や汗もかいていた。

 何をしようとしても思い出す…表情と血色を失ったカレンの顔を。

 もう、あんな後悔思いはしたくない。

 もう私は、お兄ちゃんを悲しませたくない。

 だから、今だけは、勇気を振り絞るんだ。

 大丈夫…今の私にはカレンが託してくれた‪”‬思い‪”‬がある。

 だから大丈夫。

 私は自分を納得させるように、心の中でそうつぶやく。

 そしてふぅと、酸素を身体全体に行き渡らせる様に深く吸った。


 ────


「私ね、寂しかったんだ。…周りに誰もいなくて、抱きつく相手も喋る相手も居ない…とにかく、孤独だった」


「…」


「でもね、寂しかったけど、辛くは無かったんだ。食べ物もかろうじて残っている物もあったし、雨風も瓦礫で凌げた」


 あの場所瓦礫だけは沢山あったから、意外と楽しかったんだよ?ほら、わだけの秘密基地だーとか思ったりしてさ。

 そう言って二ヘラと笑って続ける結衣の手は、小刻みに震えていた。

 

 幼い結衣が抱えるには、あまりにも残酷すぎる過去。

 それをどうにか埋めてやろうと、忘れさせてやろうと、俺はあの日────結衣を抱きしめた時に誓ったはずなのに。

「っ……っっ」

 ────結局、俺は何も出来なかった。


「私…頑張ったんだ…っ!1人でさ…頑張ったんだよ…」


 ふと、結衣の声が震えたように思えた。

 泣いているのだろうか?

 必死に唇を噛んで我慢しているのだろうか?

 それは到底、後ろを向いている俺には分からない。

 いや、もし前を向いていたとしても、それは分からないのかもしれない。

 

 だから…


「凄いでしょ?」と笑う結衣に、俺は無言でいるしか無かった。


「でも私…ある日思っちゃったんだよね」


 ふと、結衣の声が低くなる。

 それと同時に肩に置かれた手が、キュッと握られる。

 そして次の瞬間に結衣の口から発せられた言葉に、俺は一瞬雷に打たれたかのような衝撃が襲った。


「あー私、生きてる意味あるのかなー…って」


「っっ!それは…!」


「お兄ちゃん!!」


「!…」


「振り向いちゃ…ダメだよ」


 ぐすぐすと、ただ鼻をすする音だけが結衣こ部屋にこだました。


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