かとー君とあたし

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かとー君とあたし

 エレベーターを降りると目の前に本の世界が広がる。金曜日の夕方ビルの八階から降りてくる、この瞬間が一番好きな時間だ。

 仕事終わりの琴のお稽古も終わり、これから自分が自分に戻る瞬間がエレベーターの扉が開く時なのだった。

 雑誌や小説、写真集など好きな本を見ながら歩いていくと、そこに見覚えのある人がいる。


「あれ?かとー君?」


 卒業してから会う事もなかった高校の同級生が、本から顔を上げてこちらを見た。


真知まちさん?」


 笑顔を向けられて思わずつられて真知も笑った。


「こんな所で会うなんて、偶然だね」


 かとー君は、選んでいた本の一冊を置いて二冊左手に持つと


「たまに来るんだよ。朝会でお勧めの本を発表するためにね。会計してくるからちょっと待ってて。真知さんも本を買いに来たんでしょう?」


 そう言ってレジの所に向かって行く。

特に本を買いに来たわけじゃなくても本好きな人なら誰でもそうなるように自然に本の世界に入り込む感じで本を手に取っていた。

 かとー君が会計を済ませて来たのも気が付かないまま、いつものようにパラパラとページをめくり続ける。


「その本、買わないの?何か買いに来ていたんじゃない?」


「ううん、見ていただけ。たまにふらっと来るの。今日は買う予定は無いのよ。まだ読んでいない本もあるし、何かあればと思っていただけ」


 横に立って本の背表紙を見つめたまま、かとー君が口を開いた。


「ねぇ、良かったらお茶しない?久しぶりだし……」


 ちらっと横を向くと、かとー君は前を見たままこちらを見る感じではなかった。


「うん、いいよ」


 真知は本をそっと閉じて元の場所に置き、二人で並んで歩きながら本屋の自動ドアを通り地下街にでた。

 地下街には色んな店がある。

 ケーキや洋服、アクセサリーに着物。女性が好むものが沢山あるのだ。

 地下街を出てコンコースに出ると不二家のペコちゃんが目に入る。


「ここに入る?」


 かとー君がそう言うと真知は、お腹が空いているのを感じた。

 もうすぐ七時になろうとしていた。


「良かったら、トンカツ定食でも食べない?実はお腹が空いているの」


 真知は、笑ってお腹をさすってみせた。


「実は、僕も腹ペコなんだよ」


 かとー君は、真知と同じようにお腹をさすって、明るく笑った。


「ランチにたまに行くトンカツ屋さんが近くにあるの。千円くらいだけど美味しいのよ。」


 その店が百貨店の中にあることや、お給料日に昼休みに銀行に行った後に行く事、時間がオーバーしてこっそりデスクに戻って何食わぬ顔で仕事をしていたら先輩がトンカツ美味しかった?と聞いてきて、皆んなにバレてしまった事などを話しながら歩いた。

 百貨店は閉まっていても別に入り口があり、エレベーターで上って行くと店がまだまだ営業している。

 イタリアンや寿司屋、そして真知が美味しいと言うトンカツ屋があった。着物を着た店の人がちらりと二人を見ると案内してくれる。

 二人は、個室の座敷に通されて座り心地の良い座椅子に座った。


「いつも座敷で食事しているの?」


 かとー君が部屋の中を見渡しながら聞いた。


「ううん。いつもはカウンターだよ。お座敷があるのも知らなかった」


 席に着くと何気にメニュー手に取り開いた。

 お茶が運ばれてきて、注文が決まったらこのボタンを押して下さいと言って店の人が出て行く。かとー君は右の人差し指で軽くメガネを上げながら聞いた。


「真知さんは、何を食べるの?」


 逆さからメニューを覗き込むと迷わず指を指して


「この、トンカツ定食。仕事に間に合わなくてもこれしか食べない」


 真知は笑いながらそう言うと、熱いお茶が入った湯呑みをそっと持ってお茶を啜ろうとしていた。

 かとー君は、ボタンを押すと遠くにピンポーンと音が鳴るのを遠くに聞きながら熱いお茶と苦戦している真知を見た。

 店の人が入ってくるとトンカツ定食を二つ注文して自分もお茶を飲もうと湯呑みを持とうとして


「熱……」


 もう少しで湯呑みを落としそうになりながら、やっとテーブルに置いた。


「熱いでしょう?こうやって湯呑みの上と底を持たないと火傷しちゃうよ」


 真知が湯呑みを持ったまま、少し前に出して見せた。

 そうだったのかと、かとー君は、慎重に湯呑みの上を持ち底に手を添えてお茶を啜っていた。


「熱いお茶だね」


「そうでしょう、コツがあるのよ」


「常連さんだね」


 かとー君は、今日は仕事の帰りに本屋に行ったことや、朝会で発表する本をたまに探している事、良い本に巡り合ったと思ったら同期が先にその本を発表してしまった事など、たまに熱いお茶を啜りながら話していた。

 トンカツ定食が大きな四角いトレーに乗せられたまま運ばれてくると二人は湯呑みを置いて箸を手にした。


「いただきます。お腹すいたね」


 真知は、トンカツにソースをかけて箸で一切れ口に運んだ。

 美味しそうに頬張るその姿を見てかとー君はふと何かを思い出しているようだった。


 あれは数週間前の金曜日、仕事の帰りに本屋に寄った時に偶然真知が目の前を歩いているのを見かけた事。声をかけられずに呆然と見送ってしまい声を掛ければ良かったかなとか、あれは真知に会いたいと思っていた自分が見た幻で似ていた人だったのかも…などと話してくれた。


 こうして二人でトンカツを食べているのが不思議な感じで、目の前の茶碗蒸しをスプーンですくっているのが本物の真知であることが嘘のようだと、あまりにも真剣な顔で言うので、真知は気恥ずかしくなって


「どう?美味しいでしょう」


と誤魔化した。


 真知が照れていることに気が付いたのか、かとー君は、気まずそうにうつむいた。


「美味しいよ。さすがランチタイムをオーバーする味だ」


 しばらく俯いた後、顔をあげてかとー君は何事もなかったかのように答えた。


「ところで、どうしてあの本屋さんにいたの?」


 話題を変えるように、かとー君が真知に質問をすると意外な答えがかえってきた。


「あのビルの八階にお琴の教室があって、毎週通っているの」


 

 真知が、高校の時から琴を習っているのをかとー君は思い出したようだった。

 そういえば、高校の修学旅行で京都に行った時に、お稽古に持っていく風呂敷を探していたねとかとー君は言った。


「真知さん、ずっと続けているんだね」


「そうなの。コンクールにいつか出たいと思ってる。夢、なんだ」


 それで毎週金曜日に仕事の後で通っていたんだと、かとー君は納得しているようだった。


「かとー君の夢って何?」

 

 突然、真知が尋ねるとかとー君はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと話した。

 言葉を選んでいるようだった。

 

「そうだね、夢って言うか目標みたいだけど。いつか自分の家が欲しいと思っているよ。こだわりの北欧の家具をそろえて居心地の良い家が欲しいなって。絵は描けないけど、好きな画家の絵を探したり……」


 かとー君の答えに、真知は嬉しくなって彼の方を見た。


「いいね!素敵。夢って言うと、なかなか皆んな答えてくれなくってね。目標って良いね」


 真知は、そう言うと箸を置いて少し冷めたお茶を啜りながら呟いた。


「コンクールでね優勝しないと生徒さんが沢山集まらないの。教室を開いてそれで生活できるようになりたくて……」


 仕事をしながらコツコツお金を貯めている事や着物や発表会、ご祝儀にお金がかかる。

 名取になってからが本当の始まり……など聞いてすぐには理解出来ない世界に身を置いているのを話しの中に漠然と感じていた。

 お金を貯めるだけではない。

 そういう世界に高校生の時から入っていながらも学校では普通に友達と笑ったり遊んだりしていたのだが、どこかみんなと距離があるような気がしてしまっていた。


「食べようよ、もうお腹いっぱい?」


 かとー君の質問に、ちょっと笑って真知は湯呑みを置いた。

 かとー君は、手をつけていなかった付け合わせの千切りキャベツを何もかけずに頬張った。


「かとー君、どうしたの?」


 しばらく黙ったまま、キャベツをモリモリ食べているかとー君の姿を不思議そうに見つめて真知がキョトンとした。


「考え事をしていた」


 味噌汁でキャベツを流し込んで再びトンカツとご飯を食べ始める。

 真知も何か考え事をしているのか食べ終わるまで二人は黙って食べ続けた。


 座敷の襖が開いて店の人が新しいお茶が入った湯呑みと冷めてぬるくなった湯呑みを取り替えてトレーを下げて行った。


 来たばかりの時のように湯呑みの縁と底を持って熱いお茶を啜った。

 お腹はいっぱいになったが、味はあまり覚えていなかった。真知が目の前にいることや、夢を話してくれたり自分の目標を素敵だと褒めてくれたりしたことを、余韻に浸りながら座椅子に身をあずけて天井を見つめた。


「真知さん。またいろいろと話をしたり一緒にご飯を食べたりしたいなぁ…もちろん真知さんが良ければなんだけど」


 天井から目を真知に向けると、自分でも思いがけず大胆な発言をしてしまったとかとー君は慌てているようだった。


 高校生の時、入学してすぐに好きになった女の子が真知だった。

 同じクラスで修学旅行に行った先で風呂上がりの姿を見てドキドキしていたことを、かとー君は湯呑を弄びながら真知に伝えた。


「宿題を写させてもらったこと。文化祭の時に屋台の金魚掬いで掬ってきた金魚をみんなが真知に渡して自分の家で金魚を飼っていると話していたりしたことを、愛おしい時間だと思っていたよ」


「かとー君、それって付き合おうってことなの?」


 かとー君の告白に、真知は真剣な顔で聞いた。


「そうかな?うん付き合ってほしい。片思いだった。僕が一方的に真知さんのことが好きだから……高校生の時から」


「えっ!あたし?」


 真知は驚きを隠せなかった。

 かとー君は優しくていつも控えめな感じでクラスでも飛び抜けて人気があった方ではなかった。


 そして何より他のクラスの女の子で中学が一緒の博美ひろみという子が彼を好きだと聞いていた。

 今となっては思い出せない同級生に顔や、登校グループの仲間だった事、唯一記憶に残っているのは高校二年のクラス替えの日、十人くらいで大きなパフェを食べに行った時に隣に座っていたのが彼だったこと。

 その時も特に話もせずにパフェを食べていたのを思い出した。


「うん。ずっと好きだった。みんなでパフェを食べた時も……そして今も、真知さんと一緒にいると嬉しくて緊張して味が分からなくなるよ。でも一緒にいると楽しくて、もっと一緒に居たくなる」


 真知は、ちょっと考えた。

 こんな風に告白された事は今までも何度かあった。

 その度に一時の気の迷いのように好きだと言われて付き合い、そしてさようならを繰り返していたのだ。

 別れた後は、気持ちが乱れ、琴に集中できなくなる自分の弱さが、真知は嫌いだった。


「付き合うなら、約束してほしいの」


 真知は、かとー君に向かって自分の正直な気持ちをぶつけることにした。


「付き合って、その先に何があるのか分からないけど、二人の夢を一緒に実現していくって約束してほしいの。」


 真知はそれだけ言いきると、俯いた。

 自分の夢を壊されたり邪魔されたりしたくなかった。

 そして、かとー君は目標と言ったが、夢の家を真知自身の目でも見たいとも思っていた。


 お互いに別々の方向を向いているように見えて、自分の得意な部分や感性を磨きあう仲間のような関係を真知は望んでいたのだ。

 それを言葉にすれば、自分は自分でやりたい事をするだけなんじゃない?と言われても仕方なかったが、かとー君が、何と言うかは分からなかった。


「うん。分かった。一緒に考えたり相談したりして、一番良い答えを探して行こう。きっと出来るよ。そして夢を実現しよう」


 真知が想像しているよりも、はっきりとかとー君は言った。


 真知の顔がぱぁっと明るくなった。

 今まで誰にも言われた事のない答えに喜びを隠せなかった。

 夢を持って一緒に生きていく。それが真知にとって一番大事な事なのだ。


 二人は店から出て外を歩いた。

 地下街から地上に出ると、星が瞬いて月が明るく光っているのが見えた。


「今度は、いつ会えるかな?」


 横断歩道の前で、かとー君は、かとー君らしく呟いた。


 真知は「とりあえず。明日と明後日は、空いてるよ」と言って笑った。


終わり

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