第三十二話「噛ませ犬」



 ヘドカとの模擬戦をすることになってしまったサダウィンは、冒険者ギルドの裏手にある訓練場に移動していた。



 そこは踏み固められた更地の地面のみがただ広がっているだけの場所であり、それ以外には遠距離攻撃や魔法を使用する人間用に人の形を模した的が二、三体ほど設置してあるだけだ。



 冒険者たちはそこで新しい武器の扱いに慣れるための素振りや、今回のように他の冒険者との模擬戦などに訓練場を利用する場合が多い。



 ただ血気盛んな冒険者たちのほとんどが“習うより慣れろ”や“ただ実践あるのみ”といったアグレッシブな考え方を持っている一種のバトルジャンキーな一面もあるため、訓練場を利用する冒険者は思っていたよりも少ないのが現状である。



「いいか、ルールは至って単純。相手を戦闘不能にするか“参った”と言わせれば勝ちだ。何か質問はあるか?」



 とりあえず、模擬戦をすることになってしまったのは仕方がないことだと割り切り、サダウィンは不明慮な点を聞いてみることに意識を向けた。



「戦闘不能っていうのは、殺してしまっても問題ないということか?」


「小僧てめぇ、随分と余裕じゃねぇか。それは俺様が聞くことであって、おめぇじゃねぇ」


「……で、殺してもいいのかと聞いている?」



 額に怒りマークを浮かべながら突っかかってくるヘドカを無視して、サダウィンはゴードンに質問を繰り返す。ちなみに、今回の模擬戦の審判は彼が務めてくれることになった。



「それは困る。冒険者ギルドでそんな騒ぎがあったとなっちゃあ、口煩く言ってくる連中もいるのでな。精々、気絶する程度に留めてくれ」


「了解した。早いとこ始めてくれ」



 サダウィンとヘドカが一定の距離を保ち、お互いに武器を手にする。ヘドカが使う武器は通常の剣よりも少し大振りなブロードソードと呼ばれる剣で、切れ味よりも相手を叩き切るということに重きを置いている武器だ。



 一方のサダウィンは、相変わらず鉄としての固さと性能しかない剣で戦うつもりらしく、ヘドカの持つ剣と比べると木の幹と木の棒ほどの違いがある。



 さらに、問題は二人の体格差だ。同年代よりも身長がやや高いとはいえ、百四十五センチしかないサダウィンに対し、ヘドカの身長は百七十五センチとその差は三十センチもある。



 まさに大人と子供ほどの体格の差があるにもかかわらず、なぜこのような模擬戦が認められたのかといえば、ギルドマスターであるゴードンの独断であるのだが、彼はこの模擬戦でサダウィンが勝つということを予感していた。



 その上で、サダウィンが一体どれほどの力量の持ち主であるのかということを推し量るため、彼は体のいいヘドカをサダウィンの実力を測るための噛ませ犬としてしまったのだ。



 この話を聞けば、ヘドカが哀れに思わなくもないが、普段の彼の素行の悪さは冒険者の中でもギルド職員の中でも有名なため、この話を知ったところでヘドカに同情する者は皆無だろう。



 否が応でも高まってくる緊張感に、周囲の者たちは固唾を飲んで模擬戦が始まるのを今か今かと待っている。訓練場にはギャラリーの冒険者も詰めかけており、その人数はかなりのものとなっていた。冒険者ギルドが混む夕方という時間帯もあって、その場に居合わせた冒険者は多く、娯楽の少ないこの世界にとって冒険者同士の諍いもまた娯楽の一つとして捉えられてしまう。



「二人とも準備はいいな。では、試合かい――」


「ちょぉーっと待ったぁー!!」



 ゴードンが試合開始の合図を出そうとした直前、それに割って入る声があった。その声とは今し方受付業務を終え、騒ぎを聞きつけたベティだ。焦ったような表情を浮かべながらつかつかとゴードンの前に躍り出たかと思ったら、とてつもない剣幕で食って掛かる。



「ギルドマスター何考えてるんですか!? まだ冒険者として未熟な子供のサダウィン様をこんな危険な試合をさせるなんて! 酷いですあんまりです!!」


「ベティか、その点はちゃんと考慮している。それに、命の危険があれば俺が止めに入る。だからこそ、俺自身が審判を買って出たんだ」


「でも、あのサダウィン様の美しい顔に傷なんてできたらどう責任を取るつもりですか! お婿に行けなく……あっ、その時はあたしが貰ってあげれば万事解決――あいたっ」


「すみませんギルドマスター。ベティ、ちょっとこっちにいらっしゃい……」


「ええ! せ、先輩? な、なんでぇー!?」



 その後、不穏な妄想に耽るベティの頭を叩き、目を覚まさせたメリーの手によって彼女は退場させられた。今は訓練場の端っこに正座させられ、メリーの有り難い説教を食らっている。……実に哀れである。



「まったく、ベティのやつめ。普段は真面目な受付嬢なんだがな……」


「ギルマス。ちょっといいか?」



 訓練場の端っこで繰り広げられている光景に呆れたような顔をゴードンが浮かべていると、ヘドカが話し掛けてきた。何事かとゴードンが続きを促すと、彼はこう言い放った。



「先に言っておくが、俺様はこの小僧を許さねぇ。この模擬戦が終わったら、俺様の気が済むまでボコボコにいたぶってやる」


「それはやめてもらいたい。未来ある子供をそんな目に遭うのを黙って見てはいられん。ふむ……であれば、こうしよう。この模擬戦にお前が勝てば、今のGランクからFランクに昇級させるというのはどうだろう?」


「ほう」



 ゴードンの提案にヘドカの目の色が変わる。それだけ冒険者にとってランクというのが重要だということだ。ランクが上がれば受けられる依頼の数も報酬額も跳ね上がるため、冒険者はできるだけ高いランクになることを望んでいる。それは、ヘドカとて同じなのだ。



「何かにつけて俺様の昇級を認めなかったが、ここに来てようやくか。まあ、いいだろう。それなら、模擬戦で嬲るだけで勘弁して――」


「ただし、もしお前がその坊主に負けることがあれば、Gランクの適正なしと見なしてHランクに降格だ。その条件でなら、お前のFランク昇級を考えてやってもいいが、どうする?」


「はっ、この俺様が冒険者になりたての駆け出しに負けるかよ。いいぜ、その条件で」



 ヘドカの言葉を遮るように、昇級させるための条件を突き付ける。完全にサダウィンは蚊帳の外だ。まるで相手にならないとばかりにゴードンが出した条件をヘドカは鼻で笑う。この後、自分が辿る末路など知る由もなく……。



 ゴードンとヘドカの話し合いが終わったところで、緩みかけた空気が再び緊張に包まれる。そして、ついにゴードンの合図によって模擬戦の火蓋が切って落とされる。



「試合開始!!」



 立ち上がりは、意外にも静かだった。お互いに一定の距離を保ちつつ、様子見に徹している。この時サダウィンは、ヘドカが感情のままに突撃してくると予想していたため、少し肩透かしを食らったような状態となってしまう。



(あれだけ直情的なやつだから、突っ込んでくると思ってたんだがな。伊達に冒険者はやってないってとこか)



 意外と言ってはなんだが、ヘドカは素行自体はあまりいい噂を聞かないが、その実力は本物で、本来であればFランクになっていてもおかしくはない。では、なぜ彼が未だ一つ下のGランクにいるのかといえば、その素行に問題があったからである。



 冒険者とは品行方正とはいかないまでもある一定の良識が求められる。それは冒険者でなくとも、ありとあらゆる職業に求められるところではあるが、ヘドカは冒険者にとって必要な良識が欠如していた。



 それを危険と判断した冒険者ギルドは、彼が更生可能であれば折を見てFランクに昇級させることも視野に入れていたのだが、結局のところ彼の素行の悪さが改善されることはなかったのである。



 そんな事情で、冒険者ギルドは彼の昇級についての追求をのらりくらりと躱しながら今までやってきた。そして、今回のサダウィンとの問題が起きてしまったのだ。



 彼を一目見たゴードンは、彼が只者ではないことをすぐに察知し、機転を利かせちょうど揉めていたヘドカと模擬戦をさせ、その実力を見る噛ませ犬に仕立てると同時に、厄介事であるヘドカをHランクに降格させるといういくつもの策略を巡らせていたのだ。脳筋な見た目をしている割には意外に策士である。



「ちっ、じれってぇな。おい、小僧。先手はくれてやっから、とっとと掛かってきやがれ!」


「……いいのか?」


「何の抵抗もなくただやられるのは、おめぇも嫌だろうからな。いいからさっさと掛かってこい!」


「なら、遠慮なく行かせてもらおう」



 ヘドカの先手を譲ってくれるという言葉を受け、サダウィンは自身の態勢を低く身構え身体強化を施す。体内の魔力を操作し、それを身に纏わせることで肉体を強化できる魔法だが、特徴としては体の周囲に魔力を纏わせているため、肉眼では身体強化をしているかどうかがわかりにくいという点にある。



(な、なんというスムーズな身体強化だ。あそこまで身体強化を使いこなしている冒険者はBランクでもなかなかいないだろう。……暫定Cランク、潜在能力だけならAはあると見るべきか。ヘドカはよくあれに戦いを挑めるな)



 だが、審判を務めているゴードンにはサダウィンの身体強化の様子がわかるようで、彼の身体強化を見て内心で舌を巻いていた。身体強化一つとっても、サダウィンのそれは既にCランクに手が届いている領域であり、自身の目が正しかったことをゴードンは確信する。



「待たせたな。では、いくぞ」


「おう、こいや――ぐぉ!?」



 ヘドカの返事を待たずに、サダウィンは身体強化した体で接近する。常人の域をはるかに超えた状態での彼の突進を肉眼で捉えることは困難で、その姿を微かに視認できたのはゴードンだけであった。



 サダウィンは即座にヘドカの懐に接近し、手に握った剣で彼の持っていた剣の腹を薙ぎ払った。本来であれば、脇腹やオークの時のように首を狙うのだが、殺してはならないという制約がある以上致命傷となる攻撃を避けなければならない。その結果、攻撃可能な部分が限定されたことで、相手の剣の腹に当てるという選択肢を取る。



 一方のヘドカは、自分が一体どんな攻撃を受けたのかも理解できず、突如として握っていた剣の衝撃に戸惑うことしかできない。



「ぐはっ、うげっ、がはっ! な、なんだ? 一体何が起こってるんだ!?」


(速い、それに剣戟の一撃一撃が正確無比で重い。致命傷は避けているようだが、当たれば最初の一振りでヘドカは死んでいただろうな)



 サダウィンの攻撃を受けることで精一杯のヘドカを尻目に、冷静な目でゴードンは分析する。そして、あらかじめ模擬戦の勝敗に“殺してはならない”という条件を付けておいて本当に良かったと彼は内心で戦慄する。



 それから、サダウィンの猛攻は止まることを知らず、ヘドカはただの攻撃を受けるだけの疑似人形と化していた。反撃しようにも、そのために剣を振るおうと動き始めた時には、すでにサダウィンはヘドカの間合いから脱しており、完全なヒットアンドアウェイが成り立っていた。



「くそがぁぁぁあああああ」


「っ!?」



 なんとかこの状況を打開しようと、なりふり構わずヘドカが剣を振り回して反撃に打って出ようとする。サダウィンは、その大振りな攻撃を冷静に対処し、ただの一撃ももらわずに己が剣で捌いている。



 そして、なんとかサダウィンに攻撃を当てようと、ヘドカが大きく剣を振り上げたタイミングを見計らったかのように高速で接近する。そのままスライディングでヘドカの股下まで接近し、左手を地面にそのまま体を縮こまらせ、まるでバネのようなしなやかな動きで、左足を軸に下から突き上げるようにヘドカの鳩尾に右足を叩きこんだ。



「ごぼぉ」



 サダウィンの放った蹴りの反動は凄まじく、体格差をものともしないほどの衝撃がヘドカの体に伝播する。その衝撃は自身の体で受け止めるには不十分で、たちまちにその身が宙へと投げ出される。



 大の大人が十数メートルの距離を吹き飛ばされ、最終的にその衝撃を受け止めたのは他でもない、ヘドカが踏みしめていたであろう大地であった。



 踏み固められているはずの地面が抉れている様子から、サダウィンの放った蹴りの衝撃の凄まじさを物語っている。



「……」


「ふう……大丈夫だ。ちゃんと手加減はしてるから、死んではいない……はずだ」



 ゴードンの呆然とする視線を試合前の条件である“殺してはならない”という制約を違えたことに対する非難の視線と勘違いした彼が、死なないように善処はしたという言い訳染みたことを言い始めた。



 尤も、その言葉に突っ込みを入れる余裕がある人間はこの場にはおらず、しばらく訓練場が静寂に包まれることになる。



「それで、模擬戦の勝敗はどうなったんだ?」


「あ、ああ。そうだったな。勝者、サダウィン!!」



 ゴードンとしてはわかりきった結果だっただけに、サダウィンに勝敗の判定を促されるまで勝負の結果を宣言していなかったことに気が付かなかったのだ。



 こうして、ヘドカとの模擬戦はサダウィンの圧倒的勝利に終わったのだが、この一件がのちに彼にとって不利な状況になることを今の彼は知る由もない。

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