悪役令嬢はXXXを握りつぶした!

すらなりとな

こんな理不尽が許されていいのでしょうか!?

 夜の修道院。

 自室の扉の向こうで響いた重い音に、シスター・イザベラは慌てて駆け寄った。


「ちょっと、イザベラ!?」

「危ないよぉ!?」


 後ろから、同じシスターのリサとローザの悲鳴が聞こえる。

 だが、イザベラは扉を開け放った。

 あれは、人が倒れる音だ。



 数日前、似たような音を聞いたことがある――



 その日、イザベラはいつものように薬学の本を開いていた。

 修道女に薬学とは妙な取り合わせだが、イザベラは薬を扱う貴族の家系。

 幼少期から知識を身に着ける癖がついていたし、調薬したものを売れば、少ないとはいえ収入になる。


「イザラお嬢様。まだ、起きていらっしゃいますか?」

「……どうぞ」


 そこへ、ノックの音が響いた。

 イザベラのことを、イザラと呼ぶのは、一人しかいない。

 この修道院の司祭、オバラだ。


「失礼します、イザラお嬢様。夜分遅くにすみませんな」

「いえ、大丈夫です。

 それより、私はもうイザラではありませんよ。

 その名前は、家から離れるときに捨てました。

 今は、この修道院のシスター・イザベラです」

「しかし、家族を思い出す時間も必要でしょう。

 決して、皆があなたを見捨てたわけではないのです」


 イザベラの目をしっかり見つめ、やさしい口調でそう諭す。

 その表情は、神職者としての威厳と慈愛に満ちていた。

 しかし、


「あの、オバラ司祭? 私は決して、家から見捨てられたとは思っていませんよ?」


 家族に見捨てられた、というのは誤解である。

 確かに、イザベラは婚約者だった第一王子の不興を買い、「断罪」された挙句、諸々の事情から、この修道院へと身を隠すこととなったが、修道院へ出ていく際、両親は心配してくれたし、兄弟姉妹もいつでも頼ってほしいと声をかけてくれた。

 今も、不自由しないようにと、到底一介の修道女には手に入らない薬学の本や薬の材料を送ってくれるくらいである。


「お嬢様、ご立派です! それでこそ、誇り高き貴族のご令嬢!」


 が、何度説明しても、オバラ司祭は涙を流して感動するばかり。

 なんでも、昔、疫病にかかったところを、イザラの父が処方した薬で救われてから、忠誠心がおかしいことになったらしい。間違えて変な薬でも渡したのではないだろうか。「あいつならイザラの居場所を密告することもないだろうから」と父には言われたが、それはそれとして別の問題がある気がする。


(どうして、こう、私の周りは、話を聞いてくださらない方ばかりなのでしょう?)


 そんなイザベラの内心を知ってか知らずか、オバラ司祭はどこからか取り出したハンカチ――ポケットのない、それこそ引っ張ったら脱げそうな粗末な司祭服のどこから取り出したのか、イザラには本当に分からなかった――で涙を拭うと、入ってきた入り口へと向き直り、扉のすぐ上に取り付けられた木製の箱へと手を伸ばした。

 中には複雑な装置と、その装置につながれるように、怪しげな緑色の液体が詰まったビンが収められている。オバラ司祭は、ビンの中身が減っていないのを確認してから、満足げに箱を扉の上へと戻した。


「毒液が減っていませんが、妙な侵入者は来ませんでしたかな?」

「ええ。おかげさまで、大過なくすごせています」

「それは結構です。

 何度も説明しますが、不審な足音が近づいたら、このひもを引っ張ってください。装置は廊下側につながっていますので、気化した液体が強力な睡眠ガスとなって侵入者を撃退します」

「……ええ、使わないで済むことを祈っています」


 祈らなくても、使いませんとも。

 だいたい、ドア窓もない扉越しじゃ、不審者かどうかも分からないでしょうに。


 そう思った直後、足音が響いた。

 こっちに向かってくる。

 オバラ司祭は、容赦なくひもを引っ張った。


「ちょっと、オバラ司祭!? シスターだったらどうするのですかっ!?」

「大丈夫ですよ。仮にシスターだとしても、気を失うだけです。

 迷ったら、使った方がよいでしょう。せっかく作ったのですから」


 いや、大丈夫じゃないと思いますわよ?

 というか、明らかにせっかくだから使いたかったというのが本音ですわよね!?


 心の中で突っ込んでいる間に、重い音が響く。

 止める間もなく、オバラ司祭はどこからか取り出した顔全体を覆うマスクにモーニングスターを装備し、素早く扉を開いた。

 扉の奥から倒れこんできたのは、言うまでもなく、シスター。


 オゥ、と小さく声を上げるオバラ司祭。

 無言で顔を覆うイザベラ。


「いやはや。さすがイザラお嬢様。

 短い期間でシスターの行動を予測するとはさすがですな。

 しかし、これも貴女の安全を考えれば、やむを得ない措置。

 責任をもって、彼女は私が部屋へ送り届けます。

 ああ、毒液は明日にも補充しておきますのでご安心ください。

 今度、無くなったらすぐ補充できるよう、予備のビンも持ってきましょう」


 では、とさわやかな笑顔を残して去っていくオバラ司祭。

 微妙に人のせいにして逃げていくところが腹立たしい。


 ああ、明日から変な噂にならなければいいのですけど。



 ――そう思って数日後が、冒頭である。



 噂のせいで、修道院のシスター達の中に溶け込めないイザベラを心配して訪ねてきてくれたリサとローザ。

 その前で響いた、重い音。


 いけないっ!


 ほとんど条件反射で扉を開け放つ。


 倒れていたのは、修道院長のマギア。

 この修道院では、シスターたちからマザーと呼ばれ、慕われている存在だ。

 その先には、言うまでもなく、マスクをかぶったオバラ司祭。

 床には、割れたビンが転がっている。


 替えの瓶を持ってきたところを取り落とし、騒ぎを聞きつけたマザー・マギアが犠牲となったのだろう。最悪の展開に、悲鳴を上げそうになるイザベラ。

 が、その口を、素早く近づいたオバラ司祭が大きな手でふさいだ。


「失礼。未だガスが充満しています。

 私はマスクをしていますから問題ありませんが、念のために呼吸は最小限に――」


 しかし、イザベラはそれどころではない。

 オバラ司祭の指から、強烈な刺激臭が襲ってきたのだ。

 薬学を勉強したイザベラは、この刺激臭が毒液のそれであることを知っている。

 ビンを割った際、オバラ司祭の手に付着したのだろう。


 崩れ落ちるイザベラ。

 無意識に、司祭服につかまる。


 布が裂けるような音が、響いた。


「イザベラ待っぎゃぁああ! 全裸!? マスク! へ、へへ変態ッ!」

「イザベラちゃんにぃ! 何してんのぉ!」

「ま、待ちなざボゲァア゛ッ――――――!」


 同時に、リサの絶叫!

 炸裂する、ローザの金的!

 悲痛の声を上げたオバラ司祭は、泡を吹きながら、よりにもよって、イザベラの方へと倒れこんだ!


 暗くなる視界!

 反転する意識!

 流れ始める走馬灯!


 ああ、そういえば、修道院に飛ばされる前、王子から婚約破棄を言い渡された時も、こんな風に意識が飛びましたわね。

 あれは薬ではなく、理不尽を前にした精神的なショックのせいでしたが――


 意識を失う寸前、脳の最後の抵抗とでもいうのだろうか。

 妙に冷静な感想が浮かんでは消えていく。

 が、それをさえぎるように、リサとローザの悲鳴が響いた。


「ぎゃーっ! いざ、いざ、いざ、イザベラがッ! 汚されちゃうぅぅうう!?」

「イザベラちゃんっ! 今ぁ! 助けるからねぇえ!」


 自分にのしかかる重さが、僅かながら浮かび上がる。

 ローザが、小さな体で、オバラ司祭をどかそうとしてくれているのだろう。


 ああ、修道院に飛ばされてもなお、手を差し伸べてくれる人がいるというのに、私はまた無力にも倒れ、理不尽を受け入れるしかないのでしょうか。


 ――それは、よくありませんわね!


 貴族として、差し出された庶民の意思に応えなければ!

 意地が、イザベラを突き動かす!

 決意とともに、引き戻される意識!


 いけるっ!


 決意に手を握りしめ――


 なんというか、形容しがたい、軟らかいものを握りつぶすような感覚が走る!


「ア゛ア゛ァ゛ァァ――――――――――ッ――――――ッ!」


 同時、修道院に、悲痛な喪失の声が響いた!


 # # # #


「マザー、お手紙ですよぉ? 差出人はぁ、オバラ司祭ですぅ」

「そうですか。ご苦労様です」


 数日後。

 マザー・マギアは自室で、シスター・ローザから手紙を受け取っていた。

 封を開けると、噂好きのシスター・リサが後ろから覗き込もうとする。


「そういえば、最近、司祭様って見ませんね。どうされたんですか?」

「しばらく、別のご奉仕をなされているだけです。

 あなた方が心配するようなことではありませんよ?」


 そんなリサをかわすように、手紙を伏せ、窓の外へと視線を向ける。

 そこには、箒を手にするイザベラの姿が。


「ほら、シスター・イザベラは、もう先に初めてますよ?

 手紙はもう受け取りましたから、早く仕事に戻りなさい。」

「あ、ホントだ。イザベラちゃん、手伝いに行かなきゃぁ」

「マザー、後で手紙のこと、教えてくださいね!」


 パタパタと去っていく二人を見送り、視線を手紙に戻す。

 しばらくの黙読の後、マザー・マギアはロザリオを取り出すと、祈りをささげた。


「おお、神よ。

 大切な人を思うあまり、毒に手を出した彼の罪をお許しください。

 そして、彼に変わらぬ慈愛をお与えください。

 たとえ、彼の尊厳が、半分なくなったとしても――」

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