第7話迫りくる、ノア
星瞬く夜、ペルルの居室で。
思いの丈を伝えたアベルは、そっと彼女の頬に手を伸ばす。
(ああ、顔が真っ赤だ)
最初にペルルが恥じらったのも、夜だった。
星降るダンスホールで二人踊ったあの夜。自分のことを愛していると言ってくれたときはあんなにも凛としていたと言うのに。
その時とは打って変わって自分の一挙一投足に恥じらい喜ぶ彼女を、不思議に思ったのを覚えている。
二度目の恥じらいも、夜だった。
惨めに終わりかけた婚姻発表会で、あんなにも堂々とアベルへの賛辞の言葉を言ってのけたのに。
予期しなかった同衾で、手が触れるたび上げられた小さな声に、胸が鳴ったのを覚えている。
そして、三度目。
顔を真っ赤にして固まるペルルの口に、アベルはそっと口付けを落とした。
(こここんなの予想してない死ぬ死んじゃう!! )
明くる日の、朝。
結局口づけのあと余りの供給過多にぶっ倒れた真珠は、自室の布団に団子のごとく包まっていた。
(ああ、今日どんな顔してアベル様に会えばいいの!? )
ぐるぐる、ぐーるぐる。考えている間に、メイに布団を引っ剥がされる。
「もう、ペルル様!!お食事の時間はとうに過ぎていますよ!アベル様に呆れられてもいいんですか」
「!!絶対に嫌! 」
アベル様に呆れられる、の一言で飛び起きた真珠は、無常にもメイに捕まった。
「はい、でしたらまずは着替えましょう。ほら起きて」
「はあい……」
場所を変えて、朝食会場。
こちらでは、アベルが昨夜の行いをいたく反省している真っ最中だった。
(愛していると告げられていたとはいえ、私は何とはしたなく早計な事を!)
昨夜のペルルの恥じらったかんばせに、愛らしい反応に、つい口付けをした。それを許可してくれるかも確認せぬまま、ひとりよがりに。その結果は、言わずもがな。
(これでペルルに嫌われてしまうことがあったら、私は)
立ち直れない。そう頭を抱えた、瞬間。開かれた部屋の扉に、アベルは勢いよく振り向いた。
朝食会場に、赴いた真珠。彼女の顔は、百面相もかくやと言う有様だった。
「ペルル、様」
「ひゃい!!ご、ごきげん、うるわしゅう」
しかし愛しいアベル様にかけられた声へと反応を返したのは、ひとえに想いの賜物だろう。
そんな真珠の有様に、その場でまず反応したのもまた、アベルだった。
「申し訳ございません。昨夜は貴女に許可も頂かず、不躾な真似を」
「ええ!? 」
頭を垂れるアベルに、真珠の素っ頓狂な声が降る。
「いいいいいいや昨日のことならその、あまりに嬉しかったというか!!全然、大歓迎で!! 」
「え」
「それよりいいんですかアベル様!!私はイヤミ豚ですよ!?お嫌いになられて当然なのに!!なのにそんな女に尊い想いを、あの、その」
真っ赤になって告げられる、それ。滝のごとく降った声は、アベルにとってはまさに青天の霹靂だった。
まさかペルルが、己の口付けをそんなにも喜んでいてくれたとは。そして、そんなにも悲しい思い違いをしていようとは。
一瞬でいろいろ理解したアベルの頭が、「愛しすぎる」と弾き出すまで、あと少し。
時を同じくして、王城。
こちらでは、カインとミュゲの決闘における不正について審問が行われていた。
「王子カインよ。此度の不正、どう釈明なさいますか」
「私は無関係だ!あれはそこの女が勝手に」
「……」
詰問されてなお、カインは知らぬ存ぜぬを貫き通す。だが。
「口を慎みなさい、カイン!神聖なる決闘であのような反則行為……醜態を晒しておきながらその態度!!母は悲しゅうございます」
「母上!! 」
「もしミュゲと繋がっていなかったとしても回復術の気配くらいすぐに察知できたはず。それを知りながら申し立てもせず決闘を続けたのです。罪状はさほど変わらぬでしょう」
「回復術を本人が察知できなかった」ことがありえない状況に、彼の言葉はすげなく切り捨てられた。
「いやあれはペルルと私の愛の力で、それで」
「ああ、ここで人様の奥方の名前まで未だに出すなんて。母が留守にしていた間にこんな決闘があったことさえ恥だというのに、汚らわしい」
尚も続く彼の妄言も、受け入れられることなどあるはずもなく。
「このような醜態を晒す貴方に、この国を任せるわけには行きません。いらっしゃい、ノア」
「!? 」
「王位の第一継承者は、今日からこの子よ、カイン。せいぜい反省をなさい」
「そ、そんな――!? 」
突然の宣告に王宮がざわつくのを、元第一王子は絶望とともに眺める他無かった――。
時を少し進めて、ベルルーチェ邸。
こちらでは、様々な思い違いの末思いの通じ合った夫婦の仲睦まじい会話と、使用人たちによる見守りが繰り広げられていた。
「ペルル……様! 」
「あとちょっと、あとちょっとですアベル……様! 」
「貴女も呼び捨てにできていないではないですか! 」
「ア、アベル様だってぇ……! 」
(ああ、もどかしい……!! )
もどかしがる使用人たちが見守る、その先。そこで繰り広げられているのはメイ発案「思いが通じ合ったのだから呼び捨てでいいでしょ頑張ってください」作戦?だ。
カインに、ミュゲ。そのほか大勢。ここを呼び捨てで、夫婦同士が他人行儀など如何なるものか。そんな疑問からの発案は、意外にも難航の様相を呈していた。
アベルにとって、ペルルは元々身分が上で。真珠にとっては、神格化していた推し。
そんなふたりにとって、相手の呼び捨てなど前代未聞だったのだ。
((まさか呼び捨てが、こんなにも難しいとは……!! ))
いらん所で重なる、二人の思い。
しかし平和なその時間に、新たな波乱「ノア」が近づいていようなど、ふたりは知る由もなかった。
「ノ、ア……? 」
ノア・ネセシテ。この国、ネセシテ連合王国の第2王子。彼は継承争いに破れ、寺院へと送られた筈だった。
「ノアが、なぜ、ここに」
呆然と話すカインに、母――女王エバは言葉を続ける。
「一報を聞き私が連れ帰ったのです。ノアは貴方より聡く、愚かな行為などはたらかない良い子ですよ」
「そんな……」
あまりに突然の展開に、言い募ろうとするカイン。
しかしそれは、まだ年若い少年の声にかき消された。
「兄上、ああお可哀想に。道ならぬ恋の末、狂われてしまったのですね。ああ、お可哀想、お可哀想だ」
「っノア、貴様! 」
言った瞬間、カインへノアの蹴りが飛ぶ。無様に縮こまるカインを背に、少年――ノアはあ然とするミュゲに向き直った。そして、言い放つ。
「それよりもっとお可哀想なのは、さんざん振り回された挙げ句不正をしろと脅された貴女だ、ミュゲ殿。ああ、お可哀想に」
「違います、私は! 」
ノアが論じた、すべてカインの画策だという言。ミュゲはこれを否定しようとした。が、その刹那向けられたノアの瞳に、彼女はひゅ、と息を呑む。
「ああ、なんと健気な。良いのですよ。そんなクズを庇わなくとも、……ねえ? 」
(……これが本当に、この年の少年がする眼なの…!? )
ねっとりとした、蛇のような視線。それに抗えず、ミュゲはぎこちなく頷いた。
「さて、双方の断罪も済んだのだ。次はベルルーチェの家へと赴かなければ」
(だ、め……アベル、ペルル。逃げて……!!コイツ、危険すぎる……!!)
そんなミュゲの思いも虚しく。ノア一行の足はベルルーチェ邸へ向けられる。そして、刻一刻と二人へ迫っていた――。
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