第2話 金色の追討者
希望とは、時に残酷であり絶望だ。だからこそ希望は必要だ。
ある城壁に囲まれた小さな都市。昼下がりの時刻。そこに赤いドラゴンが突然上空に現れた。そして、そのドラゴンは、街中に落下してきた。
「うわあ、ドラゴンだ!ドラゴンが襲ってきたぞー!」
グシャグシャグシャグシャーッ!
バキバキバキバキーッ!
ドラゴンが突っ込んできて、建物がなぎ倒され、重みで建物は潰された。
「早く逃げろー!街から出るんだー!」
逃げ惑う人々。街の住民は、城壁の外に出ようと、城門に殺到した。
グルグルグルルルー・・・。
ドラゴンの人を射すくめるような低い呻き声が辺りに
「ひいっ!」
ズドーン!グシャシャーッ!
逃げようとしたが、動けなくなって立ち尽くす人々の群れの中を赤いドラゴンは進み、人々を踏みつぶした。人々の鮮血が地を覆い死体が街路に満ちて行く。
「うわあ、早く行け!ドラゴンがそこまで来ているんだ」
街から逃げ出そうと、城門へと逃げて行く人々がパニックになり、我先にと街路を走りだす。その中で倒れた者は踏まれ、小さな子供は弾き飛ばされ、老人は置いて行かれた。誰もが、恐怖の前に考えることを忘れた。
ドラゴンは、それがただ面白かったのかもしれない。人々の恐怖を追いかけることが。尚も逃げて行く人々の方向に向かう。逃げ遅れた人々を踏みつぶして・・。
その時、城壁の上から幾筋もの光がパッと輝いた。光弾が弧を描き、ドラゴンに次々と命中していく。そして、ドラゴンの周囲は煙に包まれた。
「どうだ、やったか?」
紫色のローブに身を包んだ魔導士等に緊張が走る。
「確認する」
その中の一人が、長い棒状の腰かけのある物(「魔法飛行具」が正式名称だが略して「
すると、煙の中から赤い手が伸びて来て、魔行具に跨った魔導士をひっ掴もうとした。
「うわっ!」
しかし、間一髪で魔導士は、上昇し逃れた。
「退避、退避!」
赤いドラゴンが翼をはためかせると、煙はかき消される。そして、ドラゴンは城壁に突っ込んだ。
ドガシャシャシャーン!
壁が崩れる前に、魔導士等は、一斉に魔行具に跨ると飛び立ち、逃れた。
「失敗だ。
ドラゴンの興味は魔導士等に向いたようだ。上空の魔導士等に視線を向ける。飛び立つと魔導士等を追いかけ始めた。
「うわー!こっちへ来るぞ」
「それで、いい。街から引き離すぞ」
魔導士等は、都市の外へと飛んでいくと、ドラゴンも続いた。しかし、ドラゴンとの距離が次第に詰まっていく。
「散会しろ!」
リーダー格の魔導士が叫ぶと、魔導士等は前方、左右へと別れる。ドラゴンは前方を行くリーダー格の魔導士を追った。左右に散会した魔導士は、空中で静止すると、
「精霊ルミエの光よ、彼の悪竜を打ち払え!」
一斉に左右の魔導士から、光弾が赤いドラゴンに次々と命中していく。ドラゴンは、煙に包まれた。
しかし、すぐにその煙の中から赤いドラゴンがヌッと出てくると、前方のリーダー格の魔導士に迫り、今度は、手で引っ掴んだ。
「うぎゃー!」
絶叫とともに掴まれた魔導士は絶命し、ドラゴンは死体を飲み込んだ。ドラゴンは後ろを振り返る。
「ひいっ!」
赤いドラゴンと眼が合い、魔導士たちは委縮した。
「ダメだ!後退しろ!」
魔導士たちは、後方、つまり都市の方に逃げ出した。
ドラゴンはその巨体にも関わらず、動きが早い。一羽ばたきすると魔導士等に迫った。そして、またもう一人が引っ掴まれ飲み込まれた。
次々とドラゴンに飲み込まれていく魔導士達。
最後の魔導士の一人が町の城壁に近づいた。悪いことに、そこは人々が逃げ出していく城門の近くであった。
「うわあ、来るな!」
ガシッ!
城壁の近くで捕らえられた魔導士は、ドラゴンに掴まれ絶命し、飲み込まれた。竜の口から赤い血が滴り落ちる。
ドラゴンの赤い視線が、城門から逃げ出して街道を行く人々や馬車の列に向けられた。
「ドラゴンが戻って来たぞ!」
「早く逃げろ!」
人々はパニックになった。人を押しのけ先に逃げようとする者、城門内に逃げ戻る者、街道を逸れ、畑や森に逃げ込んでいく者、老人や子供を轢いて行く馬車と皆恐怖で我を忘れていた。
そんな光景を楽しむかのように、空中に浮いていたドラゴンが城壁傍に落ちてきた。
ズドド-ン!
巨大な地響きで、近くにいた人々が転びそうになりながらも、慌てて散り散りに逃げ出していく。
「うわー!」
そんな混乱の中、ドラゴンの前に小さな女の子が、人々の列から押され、転がり込んできた。
「きゃあッ」
ドラゴンを見上げ、蒼白になりブルブルと震える女の子。そこに母親がやってきて、女の子をかばう様に抱きしめる。
「こ、この子だけは、助けて!」
必死の形相で赤いドラゴンに懇願する女性。
グルルルル・・。
しかし、ドラゴンが親子にゆっくりと手を伸ばしていく。
その時だ。
上空でキラリと光るものが見えたかと思うと、その光が、一直線に落ちてきた。その光は、ドラゴンの目の前で止まった。それは、辺りに白く神々しい輝きを放ち、女神かと見紛うばかりに美しい金色の長い髪が広がり、白銀に輝く鎧に身を包んだ女性だった。女性の背には、薄く光を放つ大きな翼が生えているように見え、その翼から光の鱗粉が飛び辺り輝かせる。
「て、天使様・・」
思わず、女の子は声を上げる。
その声に、女性は反応もせず、手にしていた青白く輝く剣を軽く振るうと、ドラゴンの右手がボトリと落下した。
「グガガーッ!」
ドラゴンが悲鳴に近い呻きをあげた。
「逃げろ」
女性剣士が静かに、振り向きもせず親子に声をかける。
「はい、ありがとうございます」
親子は、城門の方に走って行った。
女性剣士が静かに地面に降り立つと、翼は消え、白銀の鎧から、白いロングコートの姿に変化し、纏っていた光も消えた。ロングコートの背には、白い竜の紋様が描かれている。
それを見ていた群衆の中で声を上げる者がいた。
「あれは、もしかしたら
「剣聖って、かの昔にドラゴンと戦ったというあれか?」
その時、女性剣士が静かに振り返り、大きな声を発した。
「こいつとの戦闘に巻きまれて死にたくなければ、ここから急いで離れろ」
「グガガガウォーーーン!」
ドラゴンが、咆哮すると、人々は、逃げて行った。
最初に仕掛けたのは、ドラゴンの方であった。上半身で覆いかぶさるように女性剣士に左手を叩きつけて来た。女性剣士は身軽にかわす。
ドラゴンが起き上がると信じられないことに先ほど落とされた右手が復活していた。その右手の調子を確かめるように振っている。
「ふん、しぶといトカゲめ。どこまで切り刻めば、修復できないか確かめてみるか」
女剣士が呟いた。その刹那女剣士が消えた。いや、あまりに素早い移動のため目視できなかったのだ。ドラゴンの右手、左手、左の翼と流れるように斬り落としていく。
「グガガオーンッ!」
ドラゴンが悲鳴を上げる。
「な、なんて強さだ。ドラゴンをおもちゃのように扱っているぞ」
「やっちまえー!家族を殺したドラゴンをやっつけてくれ!」
遠くから見ていた避難者達が、女性剣士の戦いを歓声とともに見守っていた。
そして、女性剣士が、右の翼を落とし、右足を斬り落とすと、ドラゴンがバランスを崩し倒れた。が、復活した右手で女剣士を引っ掴もうとする。それを避けるとその手に乗り、駆け、ドラゴンの頭まで登ると、右目に剣を突き立てた。ドラゴンは堪らず、顔を大きく振ると、女剣士は振り落とされる。剣は突き刺さったままだ。
『貴様、よくも我の眼を!』
ここで赤いドラゴンが、直接心に響くような低い声で女剣士に声を発した。ドラゴンは、剣を指で抜き、斬られた足が修復され立ち上がると、女剣士に投げつけた。女剣士は、それを余裕で受け取る。
「一応礼を言っておこう。返してくれてありがとう」
女剣士の青碧眼の眼が不敵に笑う。
『貴様は、殺す。地獄の業火に焼かれて死ぬがよい』
赤いドラゴンが、一呼吸すると、真っ赤な炎のブレスがその大きな口から勢いよく吐き出され、女剣士を襲う。忽ち女剣士は炎に包まれていった。ドラゴンが顔を上げ、炎ブレスが遠く、避難民等がいるほうまで、達するかと思われた。
「ひいっ!」
「みんな、逃げろー!」
しかし、突然ブレスの勢いが弱まり始める。その原因は女性剣士であった。女性剣士が左腕から凍気属性の透明な盾を展開していた。盾に炎が食い止められ、しかも、強力な凍気に空気が凍りつき、炎は消滅していった。そして、地面が凍り付いていき、ドラゴンの方まで凍気が達すると、ドラゴンの足を凍り付かせた。
『なに、我の業炎ブレスを消しただと!』
赤いドラゴンが、呻く。
「クリムゾン・ドラゴンよ。そろそろ死んでくれ」
クリムゾン・ドラゴンとは、炎属性のドラゴンのことだ。三大竜の一つである。三大竜とは、炎属性、氷(凍)属性、雷属性の各ドラゴンを指す。
女剣士が、青白く輝く太身の剣身を肩でポンポンとしながら、薄笑いを浮かべる。
『ダメだ。なんだ?こいつの強さは!我ではどうにもならん』
そう呟くと、ドラゴンは翼を羽ばたかせ、飛び立とうとしたが、足が凍り付いていて飛び立てない。
「おい、そんな急いで帰らなくても良いだろう」
凛とした声を響かせると、女剣士は一気に距離を詰める。飛び上がるとクリムゾン・ドラゴンの大きな左翼を斬り落とし、ドラゴンの目の前に着地し、長い金色の髪をなびかせ、その美しい顔で見上げ、ドラゴンの顎先に剣先を向ける。
『その姿!貴様、「金色の
「クリムゾン・ドラゴン、貴様の心臓を貰う!」
女剣士は、飛び上がり、一回転すると、ドラゴンの胸に青白く輝く剣を深く突き刺した。間違いなく剣は、ドラゴンの心臓を貫いた。
ズドドドーーーーーン!
女性剣士が一回転して、ドラゴンを背にして地上に降り立つと、ドラゴンの巨体が崩れるように倒れた。クリムゾン・ドラゴンの眼からは生気が失せ絶命していた。
「うわぉーーーっ!あの巨大なドラゴンを倒したぞ!」
「やったぞ!我らの街は救われた」
遠くから戦況を見守っていた人々からどよめきの声が沸き起こっていた。
しかし、女剣士は、人々の声など聞こえないかのように、ドラゴンの遺体と向き合う。うつぶせに倒れたドラゴンの胸に突き刺さった剣に手をかけると、両手で剣を持ち、何やら抉り出そうとしていた。剣を胸から抜くと、傷口に左腕を突っ込み、何やら取り出した。それは、掌に納まる位の大きさの赤く輝く宝石のようなものだった。ドラゴンの心臓の中に入っていたもので、まだ脈打っているように生々しさを感じる。しかし、それは次第に生々しさが無くなり、宝石のような赤い結晶に変化して行った。大きさも少し小さくなっていた。「竜石」と言われるものだ。女剣士は、竜石の状態を確認すると、それを腰のパックの中にしまった。
女剣士がそんなことをしている間にドラゴンを倒した「英雄」の周りには多数の市民が近づいていた。その中の代表者格の男が、前に出て話しかけた。
「あの・・、ドラゴンを倒し、町を救っていただきありがとうございます」
「・・・」
女剣士は、市民等に目を向けるが、何も話さない。
「もしや、あなた様は、
「剣聖様?」
「はい」
「よしてくれ。様などと。私は、いかにも剣聖だが、様などと呼ばれる者ではないよ」
「いえ、この巨大なドラゴンを倒し、
「ドラゴンを狩ることが、剣聖である私の役目なだけだ。役目を果たしたからと言って、あなた方が私に感謝する必要はないよ」
ここで剣聖と認めた女剣士は、穴の開いた城壁の方に目を向ける。
「それに、
女剣士は、市民等に頭を下げた。
「剣聖様、恐れ多いことです。是非お名前をお伺いできますか?」
「私は、スフィーティア・エリス・クライという」
「スフィーティア様」
「だから、様というのはやめてくれ。スフィーティアでいい」
スフィーティアと呼ばれた剣聖は、それまでの無表情で完璧な美貌から困ったような照れ臭そうな表情を現した。
「失礼いたしました。剣聖スフィーティア」
「悪いが、一つだけ頼みたい。このドラゴンの遺体は後ほど私の仲間が回収に来ることになっている。ドラゴンの遺体には、手を触れないで欲しい」
「わかりました。部下に見張らせましょう」
「助かる。では、私はこれで失礼するよ」
その時、先ほど剣聖スフィーティアが、助けた女の子が彼女の前に出てきた。
「お姉ちゃん、助けてくれてありがとう。お花をあげます」
そう言って、スフィーティアに青いネモフィラの花を差し出し、可愛い笑顔を向けた。
「きれいなネモフィラの花だね。可憐な君のような可愛い子にお似合いだが、私のような武骨者には似合わないかな」
スフィーティアは屈んで花を受け取ると、女の子の栗色の髪にネモフィラの花を挿した。
「ほら、やはり可愛くなったね」
スフィーティアは、笑顔を向けた。
「そんなことないよ。お姉ちゃん、とっても美人だもん。絶対似合うから」
そう女の子が言うと、女の子はスフィーティアの金色の髪にネモフィラの花を挿した。
「お姉ちゃん、すっごく似合ってて、とってもきれいだよ!」
「これは、一本取られたな。ありがとう」
スフィーティアは、女の子の頭を撫でた。
「えへへへ」
「あ、あのお、スフィーティア殿・・」
スフィーティアは、女の子の後ろにいる市民の代表を見上げた。
「う、うふん」
スフィーティアは、気恥ずかしくなったのか、咳ばらいをするとスクっと立ち上がった。
「では、失礼する」
剣聖スフィーティア・エリス・クライは、女の子に軽く手を振ると、町とは反対の方向に去って行った。そして、少し離れた所で光を発すると、その光が空高く尾を引き舞い上がると、光は遠くへて消えて行った。青いネモフィラの花ビラが煌めきとともに空から降ってきたという。
「あの方は、間違いなく古からドラゴンを倒してきたという剣聖だった」
「ああ。しかし初めて見たが、剣聖というのは皆あのように美しいのだろうか?」
「現れた時、神々しさに正に美の女神が降臨されたかと思った」
「剣聖」は久しく人々の前に姿を見せていなかったが、それはドラゴンが出現しなくなっていたからではない。剣聖は、陰で活動していたのだ。人々の住む地域に出現する前に見つけ、叩く。今回は、それが上手くいかなかったということだ。
剣聖スフィーティア・エリス・クライの出現は、人々に衝撃を持って受け止められた。その噂は瞬く間に人々の間で広まり、街から街、都市から都市、国から国へと伝わったという。
そして、剣聖スフィーティア・エリス・クライが倒したクリムゾン・ドラゴンの遺骸は、その夜忽然と消えて無くなっていた。
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