大学生活

まるやま

友達100人計画

「ダルいよねー。」


 慌てた。

 こんなところで自分の心の声をボリューム全開で吐露するようなヤツは、1人しかいない。しおりだ。授業中にも「課題がムズい」だの「4限は眠い」だの、心の声を吐露しては先生に目を付けられている。一緒にいると同類と思われそうで怖い。


 周囲を見回す。大丈夫だ、誰も聴いていない。よかった。


 短大に入学して2ヶ月、最初のボランティア活動は近所の総合病院で開催されるお祭りの運営スタッフだった。友達は何人かできたが、正直、探り探りで気疲れする。ぼっちにだけはならないように、今は必死でノリを合わせている状況だ。

その中で、しおりとは絶妙な距離感を保つことができていた。顔を合わせれば話をするが、個人的に連絡をとったり、連んでトイレやランチに行くことはない。肩の力を抜いて付き合える数少ない1人だった。


 自己紹介が遅くなってしまった。私は瀬戸ともこ。地方の短大に通う1年生だ。医療コースを専攻しており、将来は医療事務として総合病院に就職したいと思っている。趣味はお菓子作り。この春から一人暮らしを始めたため機材が足りなくて思うように作れないのがストレスだが、アルバイト代を貯めて少しずつ揃えていこうと思っている。ちなみにアルバイトはスポーツジムの受付をやっている。


「ダルくない?土曜日なのにボランティアって。」


 病院関係者に聴かれたらどうするつもりなのだろう。バカなのか?


 呆れつつも、心のどこかでしおりのような生き方に憧れていた。高校時代の私は影が薄く、友達は2人だけ。その2人が別々の進路に進んでしまったため、さすがに覚悟を決めた。短大では自分のキャラを変え、目指せ、友達100人計画。


 しかし、入学して2ヶ月たった今も、相変わらず他人の顔色をうかがっている。空気を読んでばかりの自分が体に染みついている。唯一の進歩は、しおりのような友人ができたことだろう。小さなコミュニティに閉じこもっていた高校時代だったら、しおりみたいなタイプと接点を持とうなどとは思わなかったはずだ。


「頑張っていますか。」


 声がした方をみると、やけに背が高い中年男性がこちらに歩いてくるのが見えた。彼は私が通う短大の先生で、ボランティア活動を管理している。見回りだろうか。


「私の電話番号を登録しておいてください。」


 耳を疑う。「電話番号を教えてください」であれば、自然な流れで警戒できたのだが、今回はその逆…。


「今日の活動が無事に終了して、病院の方への挨拶を終えて全員が解散したら、あなたが代表して私に電話をください。」


 そういうことか。

 真面目なタイプの学生が頼まれがちな面倒な仕事だが、今回だけは外れくじとは思わなかった。優しそうな先生だし、一度、研究室にお邪魔して話してみたいと思っていた。これは思わぬ急接近。私はしおりと同類ではない。ちゃんとした学生だと分かってもらえるよい機会だ。


 15:30。全員が解散したのを見届けて、直ぐに電話を掛けた。


「お疲れさまでした。気をつけてお帰りくださいね。」


 あっさりした対応に拍子抜けするが、他に話すことがあるわけではない。ひとまず任務を終え、ホッと一息ついた。


                   ※


 一日の授業が全て終わった夕方、ともみは38番研究室のドアをノックしていた。


「いらっしゃい」


 研究室の中は、右の壁も左の壁も一面に備え付けの本棚が設置されていて、カウンセリングやキャリア教育などの本、よく分からない英語の雑誌がずらりと並んでいる。これらを全て読んでいるのだろうか。

あのボランティアの後、一度だけ友達4人と連れだってここを訪れたことがあった。その時は初めての研究室に興奮して1時間ほど大騒ぎして、少しだけレポートの指導を受けて帰宅した。皆がいたからあまり先生と話をすることはできなかったが、楽しい時間だった。あれ以来、ずっと先生とゆっくり話をしてみたいと思っていた。


 正方形の応接テーブルの一辺に促され、座る。角を挟んで90度の位置に先生が座る。


「今日はどのようなご用件ですか?」


 迷ったが、正直に伝えることにした。特に相談があるわけではない。ただ、先生と話してみたかった、と。


「それではお話ししましょう。短大生活はいかがですか?」


 ここからはあっという間だった。気づけば外は真っ暗。かれこれ3時間くらい居座ってしまった。時計は午後8時になろうとしていた。


「そろそろ帰らないと守衛さんに怒られてしまいますね」


 先生と一緒に研究室を後にした。


                  ※


 それから何度か先生の研究室を訪れた。いつも一人で。その度に2時間から3時間、話を聴いてもらった。不思議なもので、先生は私がその時に一番欲しい言葉をくれる。だから先生と話していると元気になった。


 友達といるときは、どちらかというと聞き役になることが多かった。しかし、先生の前ではたくさん話すことができた。先生が聞き役に徹してくれているからだということは分かっていた。それに、先生の聞き方は、今まで出会った誰とも違っていた。どんどん話をしたくなってくる。なぜ、そんなに話を聴くのが上手なのだろう。あるとき、思い切って尋ねてみた。


「私のとっておきを教えてあげましょう」


 先生は笑い、PCを開いてこちらに向けた。


「これを見てください」


 『かかわり技法』と表示されている。


「これが答えです。」


 それから少しの間、ショート講義が始まった。かかわり技法というのは、カウンセラーが最初に身につける傾聴の基本技法だということ。そして、この技法を使えばどんな相手とでも良好な関係を構築できるということ。基本技法ではあるが、プロのカウンセラーであっても実戦経験が少なければ使いこなすのは難しいということ。


「身につけてみますか?」


 教えてくれるの?先生のとっておきを、私に?


 次回の面談の約束をして、帰宅した。先生との距離がグッと近くなったような気がした。しかし、これまでのような純粋に「楽しみ」とか「嬉しい」という気持ちとは違う。師弟関係のような、少しの緊張感を伴う感情。頑張るぞ。



「ともこさん!担当変わってくださいよぅ」


 後輩のひなこに泣きつかれ、名簿を受け取る。


 短大入学と同時に始めたスポーツジムでは、すっかりベテラン扱いだ。駅から遠い住宅街にあるジムだから会員さんの年齢層は幅広く、高齢になるほど個性が強い。親切に対応してもそれを当たり前のように横柄に振る舞う人もいる。当然、そのような会員さんはアルバイト内では嫌われており、今回のように担当の交代を頼まれることが多かった。



 渡された名簿を見る。この会員さんか。こちらのアドバイスを聞こうとしない人だが、それ以外は普通のおじさんと同じだ。私は仕事として丁寧に対応すればいい。仕事に対して相手からとやかく言われる筋合いはないのだ。同時に、相手が愛想よく振る舞うか横柄に振る舞うかは相手の勝手。こちらがとやかく言うべきことではない。これは、かかわり技法の特訓を受けながら先生が教えてくれたことだ。傾聴の基本は相手に寄り添うこと。相手に寄り添うというのは、相手に関心を持ち続けること。そのために必要なことは、「正しい」、「正しくない」という基準で相手を判断しないこと。


「ともこさんの会員さんのあしらい方、プロですね」


 あしらっているわけじゃないのだけれど…。


 先生にかかわり技法を習い始めてから1年以上が経つ。就職活動の面接は無敗。アルバイトでも会員さんに合わせたコミュニケーションをとれるようになり、社員の方から評価されることが増えた。また、アパートの近所にあるパン屋さんとお友達になり、お昼休憩の時間に調理場でクッキーを焼かせてもらえる関係性を築くことができた。それもこれも、「かかわり技法」を身につけたおかげだ。「かかわり技法」でコミュニケーションに対する不安が無くなったように思う。


                   ※


 卒業式。


 母親と正門の前で記念撮影をしていると、先生を見つけた。母親にカメラを渡して先生の隣に並ぶ。


「卒業おめでとうございます。いよいよ社会人ですね。」


 晴れ晴れとした気分だった。来月から埼玉の総合病院で医療事務として勤務することが決まっていた。女性が多い職場だから人間関係が面倒だ、という声はあちらこちらから聞こえてきたが、不安はなかった。私には「かかわり技法」がある。これさえあればどんな相手とでも良好な関係を構築できるのだから、恐れることはない。


「友達、100人くらいできたんじゃないですか?学内外に。」


 正門の外には、バイト先の後輩たちが駆けつけてくれていた。

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