第440話 にんげんだもの
「高橋、谷口、いっぱい食えよ。
そして明日も打ってくれ」
僕と谷口は新藤投手に誘われて、
目の前でシェフが鉄板で肉を焼いてくれるステーキ店にいる。
一瞬、火が燃え上がる、フランベは見ていて楽しい。
高アルコールの酒類をふりかけて、一気にアルコール分を吹き飛ばすというものらしい。
パフォーマンスかと思いきや、ステーキを美味しくするための技法とのことだ。
新藤投手を見ていると、プロの抑えは、鋼鉄のメンタルを持っていないと務まらないということを改めて感じる。
9回裏、3点差の場面で逆転満塁サヨナラホームランを打たれたら、僕だったら最低一週間は立ち直れないかもしれない。
ベンチに戻ってきた新藤投手は、さすがに落ち込んだ様子を見せていたが、ロッカールームに戻った時は、もうケロッとしていた。
そして僕と谷口は夕食に誘われたというわけだ。
中継ぎで防御率が1点台の投手がいる中で、防御率が4点台の新藤投手がなぜ不動の抑えなのか。
その理由がわかった気がする。
「いやー、悪かったな。
お前らの活躍を消してしまって。
また明日から頼むわ」
「はい、わかりました。
それにしてもこれ、旨いっすね。
初めてこんなに旨いの食べました」
「そうだろ。
こういう時はステーキを食べるに限るんだ。テキを食うってな」
でた、昭和の親父ギャグ。
久しぶりに聞いた。
昔は大事な試合や受験前にビーフステーキとトンカツを食べたらしい。
テキにカツということだ。
「札幌ホワイトベアーズ高橋、サイクル越え」
翌日のスポーツ新聞の一面は、一部を除き、このような見出しの僕の記事だった。
各紙とも4打席目で、一塁に留まらず、三塁まで進んだことを好意的に報じてくれている。
中には「これぞ、プロ野球選手」とまで書いてくれた紙もあった。
走っている時、完全に僕の頭の中には一塁に留まろうという考えはなかった。
サイクルヒットを逃したのは、残念かもしれないが、「僕は記録のために野球をやっているわけではなく、チームの勝利のためにやっているのだ」と、ちょっとだけカッコいいことを言っておく。
ズッコケキャラが定着しつつあるので、たまには良いだろう。
(僕がズッコケキャラになっているのは、作者の力量不足だと思う。
もっと僕の活躍している姿を切り取ってほしい)
ちなみに一部というのは関西を拠点にしているスポーツ新聞であり、京阪ジャガーズが勝っても負けても一面を飾る。
その新聞で僕が一面を飾るのは、何かとても悪いことをしない限りないだろう。
戯言はさておき、昨日の4打数4安打で打率も.314まで上がった。(105打数33安打)
規定打席には到達していないが、チームの中でも随一の打率である。
(これに続くのは道岡選手の.289)
あと一歩で首位の京阪ジャガーズ相手の三連勝を逃し、首位奪還に失敗したが、シーズンはまだまだこれから。
次は移動日を挟んで、3位の川崎ライツ戦だったが、2勝1敗と勝ち越した。
僕はこの三連戦、全てスタメンで出場した。
チームとしても先日の京阪ジャガーズ戦で、4打数4安打で、サイクルヒット越えの大活躍をした、チーム唯一(10打席以上)の3割バッターで、チーム屈指の人気選手(作者注:自称)の僕をベンチに置いておくような愚行はしないだろう。
そしてその三連戦でも計13打数5安打と好調をキープしている。
打率も.322(118打数38安打)まで上がってきた。
開幕当初はスタメンが少なかったので、規定打席には遠く及ばないが、現在のシーリーグの首位打者の打率が.329 であることを考えても、高打率だろう。
ということで今日のアウェーでの岡山ハイパーズ戦も1番ショートでスタメンとなった。
開幕からショートの座を担っていた、湯川選手は最近調子を落としており、前の試合も4タコでスタメン落ちしている。
僕はライバルの不調を喜ぶような器の小さい人間ではない、と言いたいところだが、心の隅ではちょっと湯川選手の不調を願っている自分がいる。
ちょっと自己嫌悪。
まあ、それも仕方がない。
にんげんだもの。
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