第435話 結果オーライ?

 麻生バッティングコーチからは粘れと言われたが、相手バッテリーも粘ってくると思っているだろう。

 つまり最初に甘い球が来る可能性もあるということだ。


 初球。

 真ん中高めへのチェンジアップ。

 つい手が出てしまった。

 右打ちを意識したので、打球はふらふらとライト方向に飛んでいる。

 浅いライトフライか。

 僕は懸命に走り出しながら、打球の行方を見た。


 あー、やっちゃった。

 脳裏にベンチに帰った時の首脳陣の冷たい視線が浮かんだ。

 麻生バッティングコーチからは、ベンチ裏の寂しい場所に呼び出されるかもしれない。

 くわばらくわばら。


 ところが当たりが良くなかった分、打球が風に流されている。

 ライトの向田選手が懸命に突っ込んできている。

 高卒5年目でもっか売出中の強肩、俊足、強打の三拍子揃った選手だ。


 打球はまだ風に流されている。

 ボールは向田選手のわずか手前のフェアゾーンに落ち、しかもバウンドが変わり、ライト線を越え、フェンス側に転がっている。


 僕は一塁を蹴って、二塁に向かった。

 そして三塁コーチャーを見ると、腕を回している。

 ホンマかいな。

 僕は二塁を蹴って三塁に向かった。


 三塁コーチャーは滑り込め、というジェスチャーをしている。

 僕は右足から滑り込んだ。

 送球が返ってきたが、つま先がベースに到達する方が早かった。


 僕は咄嗟にバックスクリーンを見た。

 ヒットの青ランプしかついていない。

 ということは、記録はスリーベースだ。


 ベンチを見ると、麻生バッティングコーチは腕を組んで渋い顔をしている。

 とは言え、結果オーライ。

 スリーベースヒットを打って怒られることはさすがに無いだろう。

 しかしこれで2打数2安打でホームランと三塁打が1本ずつ。

 我ながら出来すぎだ。


 ワンアウトランナー三塁で、迎えるバッターは谷口。

 ランナーはイケメン俊足、チーム屈指の人気選手でスピードスターの高橋。

 前に転がしさえすれば、打点を挙げられる、「ごっちゃんです」状態だ。


 谷口はバントも上手いので、スクイズだってあり得るし、もちろんそのまま打たせても良い。

 相手バッテリーにとってタフな場面だろう。


 僕はベンチのサインを見た。

 ここは強硬策のようだ。

 谷口は無表情で、ベンチのサインを見て、手でヘルメットのつばに触れた。

 サインに対し、「承知した」という意味だ。

 相手バッテリーに対し、何かあると思わせる意図もある。


 初球。

 外角へのストレート。

 スクイズ警戒か、一球外してきた。

 ボールワン。


 2球目。

 内角へ食い込むスライダー。

 谷口は見送ったが、判定はストライク。

 このコントロールが加藤投手の生命線だ。

 カウントはワンボール、ワンストライク。


 3球目。

 またもやスライダー。

 今度は内角膝下にきた。

 谷口は見送ったが、恐らく手が出なかったのだろう。

 だが判定はボール。

 これでツーボール、ワンストライクとバッティングカウントになった。


 そして4球目。

 外角へのパワーカーブを谷口はライトに打ち上げた。

 平凡なライトフライであるが、犠牲フライには充分な距離だ。


 向田選手は一歩下がってキャッチしようとしている。

 恐らく反動をつけて、バックホームする腹づもりたろう。


 そして捕球した瞬間、僕はスタートを切った。

 向田選手からのバックホームは素晴らしかった。

 まさにレーザービーム。

 

 糸を引くようなライトからの返球は、真っ直ぐキャッチャーミットに吸い込まれた。

 これは完全にアウトだろう。

 もしランナーが僕じゃなかったらね。


 僕は横目で素晴らしい返球が来たことを見て、若干、レフトよりに回り込むように滑り込んだ。

 そして左手でホームベースにタッチした。


 回り込んだ分、キャッチャーからのタッチが遅れ、判定はもちろんセーフ。

 相手ベンチからのリクエストも無かった。

 

 それにしても向田選手は素晴らしい能力の持ち主だ。

 まだ高卒5年目ということは、これからまだまだ伸びるだろう。

 確か育成ドラフト出身の選手であり、敵チームながら楽しみな選手が出てきた。


 これで3対2と勝ち越し、僕はベンチに戻った。

 チームメートとグータッチをしなごら、席に戻ったが、麻生バッティングコーチは相変わらず渋い顔をしていた。


 何か言いたそうな顔をしているが、さすがにスリーベースヒットを打った選手を怒るわけにもいかないのだろう。


 3回裏も五香投手は1点を失い、ツーアウト一、二塁の場面でマウンドを降りた。

 3回途中3失点では先発としての役割を果たしたとは言い難いだろう。

 マウンドを降りた時の五香投手の気落ちした横顔がそれを物語っていた。

 また次、頑張れ。

 僕はセカンドの守備位置から、ベンチに戻った五香投手の背中を見ながら、そう思った。

 

 

 

 

 

 


 

 


 

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