第314話 意外なヒーロー
バッターボックスには、我が盟友?の谷口が入った。
ベンチのサインは送りバント。
それはそうだろう。試合も終盤だし。
さあ谷口、2軍での練習の成果を見せてくれ。
と思っていたら、初球のストレートをうまく一塁側に転がした。
一塁のベテラン、清水選手がボールを掴み、三塁を見たが、諦め一塁カバーに入った、ジャクソン投手に送球した。
これでワンアウト三塁。
またしてもチャンスの場面で、道岡選手に打席が回った。
三塁ベース上から、ベンチのサインを見た。
えーと、あのサインは…。
バッターボックスの道岡選手を見ると、無表情である。
初球。
ストレートが外角に外れ、ボールワン。
2球目。
内角へのストレート。
道岡選手は咄嗟にバットを横にした。
うまくバットに当て、打球は一塁側に転がった。
それを見て、僕はホームに突っ込む。
清水選手は素手でボールを掴み、ホームに投げる。
重本捕手が送球を掴み、タッチに来た。
そして僕は足から滑り込んだ。
判定は「セーフ」。
静岡オーシャンズベンチはリクエストはしなかった。
見事、セーフティスクイズが決まった。
さっきのサインは、初球を見逃して、2球目をスクイズという高度なものだった。
それを相手に悟られないように決めた道岡選手は流石だ。
これで5対4と1点勝ち越した。
一塁はセーフで、更にワンアウト一塁のチャンスだったが、後続が凡退し、この回は1点止まりだった。
そして8回裏はルーカス投手が無失点に抑え、9回表は無得点。
試合は5対4のまま、大詰め9回裏を迎えた。
札幌ホワイトベアーズのマウンドは、抑えの切り札、新藤投手。
簡単にツーアウトを取った後、フォアボールを与え、同点のランナーを出した。
ツーアウト一塁。
この土壇場で静岡オーシャンズは何と代打に、原谷さんを送った。
バットに当たれば飛ぶこともあるが、そもそも当たらない。
イチかバチかのギャンブルだ。
例えていうなら、桃太郎電鉄のぶっとびカードで、目的地にホールインワンするくらいの確率だろう。
新藤投手は150km/h台の力のあるストレート、落差のあるフォーク、そして目線をかわすスライダーを駆使して、打者を抑えるスタイルである。
しかもコントロールも良い。
ここで原谷さんを代打に出すとは、静岡オーシャンズは深刻な人材不足なのだろう。
そして初球。
高目へのストレート。
原谷さんはフルスイングした。
え、嘘、まさか。
打球は良い角度で飛び、きれいな放物線を描いて、レフトスタンドに飛び込んだ。
なんてことだ。
僕はショートの守備位置から、呆然と打球が飛び込んだ、歓喜に湧くレフトスタンドを眺めた。
原谷さんはガッツポーズしながら、ダイヤモンドを回っている。
何て結末だ。
先頭打者からの三者連続ホームランから始まったこの試合、最後の最後に良いところを持っていったのは原谷さんだった。
ホームインした原谷さんは、チームメートから手荒い祝福を受けている。
打たれた新藤投手は、首を捻りながらマウンドを降り、ベンチに消えた。
僕もまだ歓喜に湧いている静岡オーシャンズナインを横目で見ながら、ベンチに引き上げた。
そして誰にも聞かれないように小さく、「おめでとうございます」と呟いた。
原谷さんとは、今も一緒に自主トレをする仲である。
いつも明るく振る舞っているが、年下の重本捕手が正捕手となり、心中は察するものがある。
それでも前向きに努力する姿勢を、ずっと見てきた。
だから打たれた新藤投手には申し訳ないけど、正直なところ原谷さんが打ったのは、ちょっと嬉しかった。
僕はベンチで速やかに用具を片付け、足早にロッカールームに下がった。
そして裏のモニターでこっそりと原谷さんのヒーローインタビューを見ていた。
ふと気配に気がつくと、谷口も横にいた。
僕と谷口は無言で原谷さんの、恐らく最初で最後であろう晴れ舞台をモニター越しに見守った。
原谷さんは満面の笑みで、ヒーローインタビューに応えていたが、うっすらと目の奥が光っているのに僕は気づいた。
まだ明日も明後日も、静岡オーシャンズとの試合はある。
「僕も負けませんからね」
僕は小声で呟いた。
「僕らも、だろう」
谷口がモニターを見ながら呟いた。
そうだな。
明日こそは我々がヒーローになれるようにがんばろう。
まだ続いているヒーローインタビューを後にして、僕らはチームバスに乗り込むべく、歩きだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます