第156話 プロ入り初のわがまま

 8回表の京阪ジャガーズの攻撃は簡単に三人で終わった。

 山崎のペースを乱さないように、あえて簡単にファーストストライクに手を出したように見えた。


 そして8回裏。

 4番の岡村選手からの打順である。

 岡村選手は前の打席でチーム唯一、山崎の球にタイミングが合っていた。

 泉州ブラックスに取っては、パーフェクト阻止に向けて、1番期待できる打者だ。


 だが岡村選手でさえ、今日の山崎には歯が立たない。

 ワンボール、ツーストライクからのスプリットを振って空振り三振に倒れた。

 そして5番デュラン選手、6番ブランドン選手もあえなく凡退し、ついに山崎にパーフェクトに抑えられたまま、9回を迎えることになった。


 9回表の京阪ジャガーズの攻撃は、やはり簡単にファーストストライクに手を出し、数分で攻撃を終えた。


 そしていよいよ9回裏を迎えた。

 球場内の空気は一段と張り詰め、異様な雰囲気となっていた。

 球場の大勢を占める泉州ブラックスファンも、打者を応援するべきか、山崎を応援するべきか、迷っているようにすら見え、私設応援団の応援も、心なしかいつもよりも小さく聞こえた。


 この回の先頭は宮前選手だが、代打として山形選手が送られた。

 山形選手は俊足であり、内野ゴロでも内野安打となる可能性がある。

 山形選手はこの試合、チーム初めて、フルカウントまで粘ったが、最後はスプリットに空振り三振に倒れた。


 8番は高台捕手の打順であり、代打として、昨日再昇格したばかりの富岡選手が送られた。

 富岡選手は2球目のカットボールに手を出し、平凡なセカンドゴロに倒れた。


 いよいよである。

 僕がネクストバッターズボックスから打席に向かおうとしたら、栄ヘッドコーチに声をかけられた。

「高橋、代打だ」

 振り返ると、伊勢原選手がバットを持って、ヘルメットを被るところだった。

 

「お願いします。ここは打たせて下さい」

 僕は栄ヘッドコーチに言った。

「しかし、このままではパーフェクトをやられてしまうだろう。

 こういう時は今日の山崎に先入観の無い、伊勢原が良いというベンチの判断だ。

 気持ちは分かるが、今日は下がれ」

 

「栄ヘッドコーチ。

 お願いします。

 ここだけは打たせて下さい。

 一生のお願いです」

「山崎とは高校時代からの特別な関係があるのは分かるが、ここはプロだ。

 我々としては最善の手を尽くす必要がある。

 ここはそれが代打という判断だ」

「お願いします。ここだけは、このまま打たせて下さい」

 僕は必死に食い下がった。

 

 栄ヘッドコーチは溜息をつき、一度ベンチに戻り、困ったように、朝比奈監督と何か話していた。

 朝比奈監督は腕組みをしながら、それを聞いて、怪訝そうな顔をしていたが、最後に肯いた。

 そして再び、栄ヘッドコーチが出てきた。

 

「わかった。

 今回だけはお前のわがままを聞いてやる」と栄ヘッドコーチが言った。

 そして、僕の肩に手をやって、小さな声で囁いた。

「結果は気にするな。

 パーフェクトをやられても、阻止しても、お前の悔いのないようにしろ。

 プロでもこんな痺れる場面は一生に一度かもしれない。

 結果はどうあれ、中途半端なスィングだけはするな。

 お前の力を出し切ってこい」

「はい。ありがとうございます」

 栄ヘッドコーチはベンチに下がった。


 僕はバッターボックスに入る前に、ベンチに向かって、一礼をした。

 朝比奈監督は、腕組みをして険しい顔をしていたが、深く肯いた。

 僕はバットを強く握り締め、バッターボックスに向かった。

 今回はバットを短く持っていない。いつもと同じ握りだ。


 そしてバッターボックスに入り、山崎と対峙した。

 僕はバッターボックスで、高校時代のある場面を思い出していた。

 

 僕が一般入部選手、つまりパンピーから、レギュラー候補に昇格したきっかけとなった試合。

 それは1年生の秋、当時の3年生が引退した後の紅白戦だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る