第74話 さらばフロリダ
フロリダでの自主トレは、少しずつ負荷が強くなっていった。
バローズが打つノックは力強く、捕るだけでも大変であるが、スタミナもあるので次から次へと打ってくる。
しかも左、右と打ち分けてくるのですぐに足がパンパンになった。
ところでバローズが連れてきた選手達の身体能力の高さには驚かされる。
足の速さ、肩の強さ、打球の飛距離。
それぞれ何かしら素晴らしい能力を持っており、日本球界に来たら、充分戦力になるのではないだろうか。
だがアメリカではそれでもマイナーリーガー、独立リーガーなのだ。
アメリカ野球の裾野の広さを垣間見た気がした。
練習の最後はいつもフリスビー投げだった。
これも遊びではなく、ダッシュの良い練習になるらしい。
落としたら、1回につき十ドルの罰金だ。
わざと捕りづらい場所に投げてくるので、真剣にやらないととても取れない。
(ちなみに僕らが失敗した罰金はその日のバローズ達の飲み代になるので、彼らも必死だ)
自主トレでは色々なメニューをこなしたが、押し並べて下半身強化を意識したものが多かった。
下半身をしっかりさせる事が、打撃だけでなく、安定した守備、送球、走塁にもつながるとのことだ。
自主トレは四勤一休のペースであり、休みの日はフロリダのディズニーリゾートに行ったり、海で泳いで過ごした。
これまでの自主トレは体力的に自分を追い込むこと、またシーズンを乗り切る体づくりを主眼に行っていたが、黒沢さん達との自主トレでは負荷をかけつつも、楽しむことも大事だと学んだ。
2週間はあっという間に過ぎ、いよいよ明日は帰国となる最終日前の夜、黒沢さんにホテル最上階のバーに誘われた。
「どうだった、俺たちとの自主トレは?」
「非常にためになりました。
ありがとうございました」
「君には是非、良い選手になって欲しい。
俺は誰でも自主トレに誘うわけではない。
確かに人的補償という引け目があったのは確かだが、それだけでは誘わない」
カラン。
黒沢さんはそう言ってバーボンのロックを傾けた。
ちなみに僕はジンジャーエールを飲んでいる。
この自主トレ中は一切酒を飲まなかったが、今日だけは最終日ということで飲むことにしているそうだ。
他の人達もどこかに飲みに行った。(珍しく谷口もついて行った)
「以前、谷口が良い素質を持った同期のライバルがいると言っていた。
昨年、あいつが俺らとの自主トレを断ったのも、同期のライバルとの自主トレに参加するためという理由だった」
確かに谷口は昨年はフロリダでの自主トレを断って、僕達との自主トレに参加していた。
「谷口は君の素質がうらやましいと言っていた。
足が早く、守備のセンスがあり、送球も速い。
バッティングも日進月歩で伸びているとな」
それは意外な話だ。
僕は入団以来、ずっと谷口の素質がうらやましいと思っていた。
自分にはあんなロケット弾のような打球は打てない。
「そして泉州ブラックスも、リストの中から伊達や酔狂で君を選んだわけではない。
単にセカンドが抜けたから、その穴埋めで選んだわけでも無い。
はっきり言うと、もっと即戦力になる選手が何人もリストにはあったそうだ」
カラン。
そこで黒沢さんはまたバーボンのロックを一口飲んだ。
「なぜ人的補償のリストから君を選んだか。
それは将来、君が俺の穴を埋める可能性があると考えたからに他ならない」
そう言って、黒沢さんは僕の方を見て、僕の肩に手を置いた。
「君には小さく育って欲しくない。
守備固め、代走もチームに取って重要な仕事だ。
ユーティリティプレーヤーになることも、プロとして生き残るための道の一つだし、チームにはそのような選手は必要だ。
だがやはりレギュラーがしっかりと固まっているチームは強い。
そして俺が見たところ、確かに君には将来、レギュラーを張れる素質がある。
だからこれからは是非、どうしたら一軍に出られるかではなく、どうしたらレギュラーを取れるか、一流選手になれるか、という視点を持って練習に取り組んで欲しい」
黒沢さんはそう言って、氷がすっかり溶けたバーボンのグラスを傾け、飲み干した。
確かに僕はプロに入った時、周りと比べて自分は全てにおいて足りないと感じていた。
そのためどうしたら一軍の試合に出られるか、ということを自然と意識した練習をしていた。
もっと言うと、自分がプロでレギュラーを張るという姿はあまり想像していなかった。
だから黒沢さんの話を聞いて、ちょっと驚いた。
「どうだ。来年も俺たちとの自主トレに参加しないか?」
僕は即答した。
「今回は本当にありがとうございました。
とても良い経験になりましたし、勉強になりました。
でも来年は日本で自主トレをします。」
「そうか。」
黒沢さんはニヤリと笑った。
「それも良いかも知れないな。
俺が知る限り、一流と呼ばれる選手は皆、自分の調整のペースを持っている。
君も君のペースを作り上げれば良いと思う。
よし、いつか君が一流選手になったと時、今度は俺に旨い酒を奢ってくれ」
そう言って、黒沢さんは僕の肩を叩き、勘定を済ませて去って行った。
そう、確かに今回の自主トレは楽しかったし、良い経験をさせてもらった。
しかし僕はプロ野球選手として、ようやく入口に立ったに過ぎない。
良い暮らしや、良い思いをするのはまだまだ先で良い。
一流選手になるために、一つ一つ地道にやって行こう。
僕は来たるシーズンに向けて、決意を新たにした。
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