第17話 春期教育リーグとオープン戦

 二軍はオープン戦ではなく、春期教育リーグと呼ぶ。

 僕は二年目の今年も元気に春期教育リーグに参加していた。

 試合には出たり、出なかったり。

 一年目高卒新人の足立の方が、出場機会が多く、二年目にして僕は自分の立場の厳しさを感じていた。

 守備と走塁は足立よりも上回っている自信があるが、バッティングは明らかに僕の方が劣っていた。

 山城元コーチの教え、「ボールを線で捉える」ということも分かったような分からないような感じで、中々数字には結びつかなかった。

 あの人ももう少しわかりやすく教えることができないと、少年野球の子供達に伝わらないのでは、と人ごとながら心配になった。

(人のことよりもお前が頑張れと言われそうだが。)

 

 キャンプ、そして春期教育リーグ期間中もバットは誰よりも振り込んだという自信はある。

 それこそ練習終わると、バットから手を離すのにも、指を一本一本開かないといけないくらい、固まってしまう。

 だが試合になるとボールにバットが当たらないのだ。


 そんなある日の試合後、僕は急に検見川二軍監督に呼ばれた。

 二軍コーチと話すことは多いが、二軍監督と話すことは、そう多くはないし、監督室に呼ばれることも滅多にない。

 僕は何かやっただろうか。

 先ほどの試合でのサインミスか、チャンス時の併殺打か、それとも盗塁死か。あまり思い当たる節は無い。

 

「一軍昇格が決まった。俺は時期尚早と断ったが、上が是非見たいそうだ。明日から一軍へ合流してくれ。」

 へ?

 後から聞いた話では、谷津コーチが強く推薦してくれていたそうだ。

「打撃は超中学生レベルだが、守備と走塁は一軍半レベルに達している。一度見てやってくれ」と。うーん、微妙。


 僕は早速、荷物をまとめて、空港に向かった。

 なぜ僕なのだろう。

 自分で言うのもなんだが、一軍で活躍できるレベルにはまだまだ遠い。

 何かの間違いじゃなかろうか。

 例えば、昨秋のドラフト2位で大卒一年目のの高橋孝司(たかし)外野手と聞き間違えたとか。

 まあ、いいや。例え間違いで、僅かな時間でも一軍の雰囲気を感じられることは良いことだ。

 プラス思考、プラス思考。

 

 明くる日、一軍は名古屋で中京パールスとのオープン戦が予定されていた。

 僕は試合前の練習に合流した。

 グラウンドに立つと、誉田二塁手や、選手会長の戸松三塁手等のスター選手がいて、嫌が応でもテンションが上がった。

「よお、よく来たな。」

 振り返ると杉澤投手だった。

「お久しぶりです。」

「一軍は二軍とは雰囲気が違うだろ。まあ、何事も経験だ。」

「はい、正直舞い上がっています。」

「普段のプレーを心がければ大丈夫だ。もっともそれが一番難しいけどな。

 じゃあ俺、今日先発だから。後でな。」と言って、杉澤投手は爽やかに去って行った。

 谷口を探したが、いなかった。実は僕と入れ替わりで二軍に落ちていた。

 期待は大きかったが、オープン戦でヒットを1本も打てず、更に守備でも外野フライを落球するなど、精彩を欠いていたようだ。


 君津監督を始め、首脳陣に挨拶し、また試合前のミーティングでチームメートに挨拶した。

 去年のファン感謝デーと納会の隠し芸の事を皆さん覚えているようで、温かい拍手で迎えられた。

 まあ理由はともあれ、名前を覚えられていることはいいことだ。

 悪名は無名に勝るという諺もあるし。


 その試合、僕は当然ながらベンチスタートだった。

 初めてベンチから見る一軍のプレーは、二軍とはやはり段違いだった。

 打者のスイングは鋭いし、守備も上手い。

 例えば打者一人一人、ポジショニングを変えており、また測ったようにそこに打球が飛ぶ。

 一挙一動が勉強になる。


 試合は中京パールスが初回裏に1点先制したが、5回表に我が静岡オーシャンズが同点に追いついた。

 緊迫した試合である。

 僕の出番は無いだろうが、僕は6回裏から、ベンチ裏でストレッチをした後、チームスタッフとキャッチボールを始めた。

 故障者が続出するとか、万が一ということもある。

 試合は9回表となり、新外国人選手のトーマス・ローリー選手のホームランで1点を勝ち越した。

 僕はモニターを見て、グラブをポンと叩いた。

 その瞬間、ポンと肩を叩かれた。

 振り返ると市川ヘッドコーチだった。

 「次の回、守備に入れ。」

 え?

 僕は仮に出場するとしても大差がついた場面だと思っていた。

 だからこのように大事な場面で出ることは予想していなかった。

 僕はグラブを掴み、グラウンドに出た。

 足が緊張で震えているのを感じた。

 その時、球場にアナウンスが流れた。

 「三番トーマスに替わりまして、セカンド、高橋。背番号58」

 僕は夢中でセカンドのポジションに走って行った。

 セカンドのポジションから、僕は球場を一回り見渡した。

 全体を俯瞰することで、緊張を少しでも和らげるためだ。

 高校時代、甲子園に出たことで大観客の前でプレーすることは慣れている。

 スタンドはオープン戦とあって三割位の入りだった。

 さあ、僕の方に打ってこい。

 僕は武者震いを抑えながら、中腰になった。

「セカンド。打球行くからな。しっかりな。」とピッチャーの中野投手が僕に声をかけてくれた。

「はい。よろしくお願いします。」

 僕は手を挙げて大きな声で返事した。

 

 中野投手が投球動作に入った。

 僕は更に姿勢を低くした。

 静かだ。

 さっきまでは観客の声が聞こえたが、急に聞こえなくなった。

 それ程集中したのだ。

 中野投手が投げた初球、快音が響いた。

 僕は無我夢中で打球に飛びついた。

 強い打球だったが、グラブに打球がツーバウンドで入った。

 僕は夢中で一塁手に投げた。

 審判のアウトのコールが鳴り響いた。

 オープン戦とは言え、初めての守備機会を無事こなせた。

 これは僕にとって大きな自信になる。

 この試合、守備機会はこの一回だけだったが、ゲームセットの瞬間、汗がびっしり噴き出てきたのを感じた。

 勝利の輪に加わり、ベンチに戻ると、「お疲れ」と肩を叩かれた。

 竹下さんだった。

 レフトの守備に入っていたのだ。

 相変わらず口数が少なく、存在に気づかなかった。

 ロッカールームに戻ると、「よお、緊張したか。」と肩をアイシングしながら、杉澤投手が声をかけてくれた。

「はい、正直とても緊張しました。」

「よく替わったところに打球が飛ぶというが、本当にその通りだったな。」

「はい、とりあえず無我夢中で処理しました。」

「よし、この後飯食いに行くか。一軍昇格祝いだ。何食いたい?」

「ありがとうございます。じゃあ焼き肉が食べたいです。」

 ということで、僕は杉澤投手に高級焼き肉の店に連れて行ってもらった。

 凄く美味しかったが、値段にも驚いた。

 一皿が僕の一週間分の生活費に相当するのだ。(もしくは妹の一ヶ月分の小遣い)

 新聞報道等によると、杉澤投手は年俸が上がり、僕の年俸の約6倍になったらしい。(推定)

 やはりプロ野球は夢がある。


 翌日はまさかのスタメンだった。

 8番セカンド。

 だが一つ大きなエラーをしてしまった。

 三回にワンナウト一二塁のピンチで、セカンドにゴロが来た。

 平凡なゴロに思えたが、目の前の走者に一瞬目を奪われてしまった。

 「あっ。」

 バウンドが少し変わった。

 僕はグラブで弾いてしまった。

 慌ててボールを拾い上げ、一塁に投げたが間に合わなかった。

 スコアボードにエラーのランプが灯った。

 投手のスコットが苛ついて、グラブを叩いているのが見えた。

 すみません。

 結局この回、次の打者に走者一掃の二塁打を浴び、これが決勝点となって試合に敗れた。

 僕は六回の守備から退いた。

 打っても二打数ノーヒット、2三振だった。

 僕は試合終了までベンチで懸命に声を出した。

 そうしないと自分に対する情けなさで消えたくなるのだ。

 試合後、市川ヘッドコーチに二軍降格を告げられた。

「今回の事は良い経験になっただろう。

 もう一度、下でやり直して這い上がってこい。

 俺は待っているからな。」と温かい言葉をかけて貰ったが、僕は悔し涙をこらえるので精一杯だった。

 荷物をまとめ、トボトボとチームから離れてタクシーで最寄り駅に向かおうとすると、ポンと肩を叩かれた。

 振り向くと竹下さんだった。

 竹下さんは何も言わず、僕に缶コーヒーを渡し、小さく頷いた。

 僕にはそれで充分有り難かった。

 また下で鍛え直して、いつか戻ってきます。

 僕は無言で頭を下げ、タクシーに乗った。

 涙が出そうになったが、懸命にこらえた。

 そんな情けない奴にはなりたくない。

 涙を流すと悔しさまで流れてしまうような気がするのだ。

 僕は拳を握りしめ、決して今日の事を忘れまいと心に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

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