第7話 監督交代
静岡オーシャンズの今シーズンの成績は、51勝87敗5分とぶっちぎりの最下位であり、最下位は三年連続、この10年間では6回目の最下位だった。
ちなみに7年前に3位が一度ある以外は、後は5位が3回であり、暗黒時代の真っ只中と言えた。
田中大二郎監督の解任は、新聞報道で知った。
今年で4年目であったが、5位が一回で後は最下位とあっては仕方が無いのだろう。
そして報道があった次の日、一軍、二軍問わず、球団事務所に集まることになっていた。
その前夜、僕はいつものように河川敷にボールとノックバットを持って向かった。
いつもは山城コーチは少し遅れて来るのだが、この日は珍しく既に来ていた。
「よお、二流半。」
この四カ月で三流からは昇格したようだ。
「いつになったら二流になれるんですか。」
「そうだな。二軍のレギュラーを取ったら、二流と認めてやろう。」
うーん、あまりうれしくないかも。
「よし、今日もやるか。未来のユーティリティプレイヤー君。」
便利屋君からは昇格したようだ。
この日も山城コーチのノックは冴え渡った。
これまで受けたどんなノックよりも良い練習になる。
性格と口と、ついでに顔も悪いがコーチとしての能力は優れていると思う。
「よしこれで1,257万円の貸しだからな。」
今日の夜練が終わった。
僕は慣れた手つきでボールを集めた。
最初の頃に比べると、あまりへばらなくなった。
これも練習の成果だろう。
大体、僕がボールを集めている間に山城コーチは帰ってしまうのだが、今日に限ってはタバコを咥えながら、河川敷を見つめていた。
僕がボールを集め終わり、山城コーチの元に行くと、山城コーチはタバコの火を携帯灰皿で揉み消して言った。
「終わったか。」
「はい、終わりました。」
「そうか、よしこれやる。」と山城コーチは丸めて輪ゴムで止めたA4サイズの厚紙を僕に渡した。
僕はそれを開いた。
免許不皆伝。マジックインキで手書きで書いてあった。
「何ですか。これ。」
「見たとおりだ。まだまだ免許皆伝はやれない。」
「そんな事は自分でもわかっていますよ。何でわざわざこんな物を作ったのですか。暇なんですか。」
「バカ野郎。お前を二流にすら育てられなかったのは心残りだが、後は自分で育ってくれ。」
「どういうことですか。」
僕はふと思い至った。もしかして。
「そうだ。今日、二軍コーチの解任を告げられた。
元々俺は田中大二郎監督の伝手で、コーチになったからな。今年のチーム成績を考えると、覚悟はできていたさ。」
僕はなんと言えば良いか分からず、黙っていた。
「だが、最後に俺の後継者になれる人材を見つけることができたのは良かった。」
「それは僕の事ですか。」
山城コーチは現役時代、打撃は非力だが、守備は一流と言われていた。
でも僕は出来るならレギュラーを取りたいから、山城コーチの後継者と言われても、嬉しい一方、釈然としない気持ちもある。
「だから今夜の練習が最後だ。」
「え、そんな。」僕は驚いた。
「あとこれ返す。」
山城コーチは僕に封筒を差し出した。
封筒を受け取り中を見ると、一万円札がぎっしりと入っていた。
「何ですか。これ。」
「お前から預かった金だ。最初から取っておいてある。」
「でもこれは…。」
「俺はお前の本気を試したんだ。
お前は年俸も最低年俸で、その中からご家族に仕送りをしているのも知っている。
お前に取っての一万円はとても大金だろう。
だがお前は貯金を全てはたいてまで、俺のノックを受けたいと言った。
正直言う。嬉しかったよ。」
山城コーチの目は遠くを見ていたが、僕の方に向き直った。
「俺はプロに入る奴は、大きな才能の差は無いと思っている。
俺が大成できなかったのは、やっぱり努力が足りなかったのかと今なら思う。
もちろん、俺なりに努力はした。誰よりも先に球場に入って練習したし、それこそ素振りは手とバットが離れなくなるくらいまでやった。
だがな、努力は時間ではないんだ。
どうしたらプロとして必要な能力を高められるか、チームから自分に求められていることは何か、そしてそのために必要な練習は何か、自分で考えて実行すること。それがプロとしての努力だと俺は思う。
俺はそれに気づくのが遅かった。もっとも俺なんかより、はるかに溢れる才能と素晴らしい体格があるのに、それに気づかずに退団していった奴も多くいたから、現役中に気づけただけマシだったと思う。
だからまかりなりにも、プロで14年間飯を食うことができた。
お前は体格は決して恵まれていないかもしれない。
だが俊足と類い希なバネがある。
プロとしての努力を常に意識して練習しろ。
そしてお前はセカンドかショートをやれ。もし外野にコンバートの話があれば、絶対断れ。
お前には名内野手になるだけの素質がある。俺が保証する。
これが俺からの最後の教えだ。」
「山城コーチはこれからどうするんですか。」
「俺にもわからん。俺には家族がいるから、働かなくてはならん。
現役時代の貯金があるから、当面は食うには困らんが、まだ子供も小学生だからまだまだ稼がなくてはならない。」
僕は渡された一万円札が入った封筒に目を落とした。
山城コーチは僕の肩に手を乗せた。
「心配するな。俺は俺なりにこれからも野球界に関わっていく。それは少年野球のコーチかもしれないが、俺には夢がある。
いつか母校の監督になって、甲子園に連れて行く夢だ。
これからは俺は俺の夢を追う。
お前の成長を楽しみにしているよ。」
「俺、早くレギュラーになって、1,257万円返します。」
山城コーチはニヤリと笑い、「バカ野郎。金なんていらねぇ。俺が欲しいのは、お前の活躍する姿だ。
恐らくお前は俺にとってプロのコーチとしての最初で最後の弟子だ。
お前が活躍したら、それは俺のお陰だ。お前がどう思うかは知らないが。
俺はお前の活躍する姿を見て一人悦に入るとしよう。じゃあな。」
そう言って、山城コーチは僕に背を向けて、寮に向かって歩いて行った。
「ありがとうございました。」
僕は山城コーチの背中に頭を深々と下げた。
山城コーチは右手を軽く挙げて、去って行った。
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