第36話「寝ている際のイチャイチャ」

 二人は屋上に上がり、日陰となっている場所に腰をかける。


「はい、秋人」

「ありがとう」


 秋人はお弁当箱を受け取り、内心喜んでいた。

 それもそのはず。

 秋人にとって、女子の手作り弁当は初めてなのだから。

 しかし――。


「…………」


 お弁当箱を開けた秋人は、言葉を失った。


(あれ……? これ、大丈夫だよな……?)


 お弁当箱の彩りは悪くないが、入っているおかずの大きさはバラバラで、形も歪なものばかりだった。

 漫画でよく見る真っ黒なおかずほどではないにしても、料理が苦手なキャラがいかにも作りそうなものになっており、秋人は不安になってくる。

 試しに、若干崩れている卵焼きを箸で掴んでみる。

 そして、食べてみると――。


(あ、味薄……。それに、パサパサだ……)


 決してまずくはない。

 だけど、お世辞にもおいしいとは言えない味だった。


「ど、どうかな……? おいしい……?」


 モグモグと噛んでいると、夏実が不安そうに見つめてくる。

 おいしくできた自信がないのだろう。

 秋人は素直に答えたほうがいいのか悩むが、ふと夏実の指に絆創膏が貼られていることに気が付く。

 それも、複数の指に貼られている。


(そういえば、今日やけに手を隠していたな……。そっか、そういうことなのか……)


「うん、おいしいよ」


 秋人は優しい表情を浮かべ、そう答えた。

 夏実はパァッと嬉しそうに表情を輝かせて口を開く。


「ほ、ほんと!?」

「うん、本当だよ。凄いな、ちゃんと料理できてる」

「えへへ……私だって、やればできるんだから」


 夏実は嬉しそうに笑みを浮かべて秋人の顔を見てくる。

 そんな夏実のことを、秋人はかわいいと思ってしまった。

 だけど――。


「じゃあ、私も食べよっと」

「あっ……」


「…………」


 気分を良くした夏実は自分も同じようにお弁当を食べたのだけど、箸を口に入れて固まってしまった。

 現在食べているのは、卵焼きだ。

 そう、秋人と同じ卵焼き。

 夏実の舌が特別な味覚をしているわけではないので、抱いた感想は秋人と同じだろう。

 まるでギシギシと音が聞こえそうな動きで、夏実はゆっくりと秋人を見た。


「これ、おいしかった……?」

「…………」


 尋ねられた秋人は、気まずそうに視線を逸らす。

 それだけで、夏実にはわかってしまった。


「ご、ごめん……! お弁当返して……! 代わりの買ってくるから……!」


 こんなものは食べさせられない。

 そう思った夏実は、秋人から弁当箱を取ろうとする。

 しかし――。


「いや、せっかくだし食べさせてもらうよ」


 秋人は、夏実の手を優しく掴んで首を左右に振った。


「で、でも……!」

「夏実が作ってくれたものだから、食べたい。駄目かな?」


「あっ……で、でも、おいしくないよ……?」

「別にまずいってわけじゃないから、いいじゃん」


 秋人はそう言って、今度はからあげを口に入れた。

 固く舌触りも良くないものだったけれど、味付けがまずいというわけではない。

 だから、気にせず食べていった。


「秋人のばか……」


 夏実はそう悪態をつくが、その頬は赤く染まっている。

 そして、秋人と同じように食べ始めた。

 二人は黙ってお弁当を食べ進め、お弁当の中身が残らないよう綺麗に食べ切った。

 すると――。


「…………」


 先に食べ終えて、夏実が食べ終えるのを待っていた秋人は、いつの間にか眠たそうにウトウトとしていた。


「昨日夜更かししたの?」

「ん……? あぁ……ちょっと……店の注文方法とかいろいろと見直してたら、気が付いたら朝だった……」


 夏実が何回もミスしたのには、店のやり方にも問題がある可能性を考え、秋人はその検討をしていた。

 おかげで寝不足になっており、ポカポカとした温かい気温と、満腹感により眠たくなったようだ。


「寝ていていいよ?」

「いや、でも、相談があるんだろ……?」


 元々ここに来たのは、夏実が相談したいことがあると言ったからだ。

 しかし――。


「ごめんね、それ……ただ、秋人にお弁当を食べてもらいたかっただけなの。だから、相談ごとなんてないんだよ」

「えっ、なんで?」

「その……昨日、バイトで助けてもらったから……そのお礼がしたくて……。だから、店長にもお願いしたの……」


 夏実は恥ずかしそうに頬を染め、人差し指を合わせてモジモジとする。

 そんな夏実を秋人は見つめ、照れくさくなった。


「それで、今日はお弁当がなかったのか……。でも、お礼なんか別によかったのに……」

「うぅん、私がしたかったの。まぁ、お礼どころか、辛い目に遭わせちゃったけど……」


 自分の料理が想像以上においしくなかったため、夏実は悲しそうに遠い目をする。

 本当は味見などをして作れたらよかったのだが、不慣れなことをしたせいで朝の時間がやばかったのだ。

 だから、味見もせずに仕上げてしまい、このような悲しい結末を迎えてしまった。


「いや、お弁当は嬉しかったから、気にしなくていいよ……」


 秋人は眠気と戦いながら、そう夏実のことを慰める。

 しかし、首はコクリコクリと上下に動いており、目も半開きになっていた。

 どう見ても限界そうだ。


「相談ごとはないんだし、お昼休みの間寝ちゃったらいいんじゃないかな? ほら、時間がきたら起こしてあげるし」

「うぅん……でもなぁ……」


「いいからいいから。今日もバイトなんでしょ? 寝不足でバイトして、ミスしたら店長に怒られるよ?」


 店長は従業員に優しいけれど、秋人にだけは厳しい。

 寝不足でミスを犯そうものなら、激怒されるだろう。


「まぁ、そうだな……。じゃあ、少しだけ……」


 秋人は弁当箱を置くと、目を閉じる。

 そして、座ったまま眠り始めた。


「…………」


 夏実は音を立てないように注意しながら、まずは周りを見てみる。

 幸いなことに、今この場には夏実と秋人しかいない。


 次に、秋人の顔に耳を近付けた。

 聞こえてくるのは、小さな寝息。

 秋人が寝ていることを確信すると、夏実はゆっくりと秋人の体に手を持っていった。


「慎重に……慎重に……」


 夏実はゆっくりと秋人の体を倒し始める。

 間違っても勢いよく倒れないよう、本当に慎重にだ。

 そして――。


「んっ……髪がくすぐったい……」


 秋人の頭は、夏実の太ももに着地した。


「えへへ……これ、ずっとしたかったんだよね……」


 膝枕は恋人たちがするものの一つだ。

 だから夏実も秋人にやりたかったのだが、普段の秋人に言っても絶対にやらせてくれない。


 しかし、寝ている今であれば、膝枕することは難しくなかった。

 それに、秋人が目を覚ました場合、座ったままはしんどそうだから、寝かせたという言い訳もできる。

 夏実は思わぬチャンスが到来したことで、喜びを隠せなかった。


「無防備に寝ちゃって……襲っちゃうぞぉ?」


 あまりにも嬉しすぎて、そんな馬鹿げた冗談も言ってしまう。

 調子に乗って頬をツンツンとすると、秋人がしかっめ面をしたので、慌てて手を離す。

 そしてまた穏やかな寝息に戻ると、ゆっくりと優しく頭を撫で始めた。


「やばい、どうしよう……これ、幸せすぎるよ……」


 言いようのない幸福に満ち、夏実は時間が止まればいいのにと思った。

 そのまま丁寧に頭を撫で続け、時間はゆっくりと流れる。

 やがて、終わりの時間を迎えた。


「――あっ、もうすぐチャイム鳴っちゃう……。うぅ……もっとこうしていたいのに……」


 折角の幸福な時間が終わりそうになり、夏実は悲しそうに表情を曇らせた。

 せめて、何か思い出にしておきたい。

 そう思った夏実は、スマホで今の自分たちを写真に収めた。


「えへへ……これ、待ち受けにしちゃおうかな?」


 秋人に膝枕をしている状態で、しかも秋人の寝顔を撮れているというのがあり、夏実はこの写真を宝物にしようと思った。

 そして、起こさないといけないので、秋人のことを起こし始める。

 しかし――。


「だから……後五分……」


 秋人は起きなかった。


「もう、起きないと授業に遅れちゃうよ……!」


 夏実は優しく秋人の頬を叩く。

 だけど、やはり秋人は目を覚まさなかった。


「よ、よ~し、このまま起きないんだったら、頬にキスしちゃうよ……? いいの……?」


 全然起きないため、夏実は顔を赤くしながら、からかい混じりに秋人の耳元で囁いた。

 しかし、それでも秋人は目を覚まさない。

 それどころか、無反応だった。


「……へぇ、そう。そっちがその気なら、やってあげようじゃない」


 キスをすると言って無反応だったことがショックだった夏実は、こめかみをピクピクさせながら秋人を見下ろす。

 そして、秋人の頬にゆっくりと自分の口を近付けた。


「これ、ファーストキス、なんだからね……ちゅっ」


 頬に触れた、しっとりとした感触――それにより、秋人は身を強張らせた。


 というのも、キスという単語にしっかりと反応して目を覚ましていたのだが、単純にあまりの言葉に動揺して身動きがとれていなかっただけなのだ。

 それを夏実は無反応だと勘違いして、実行してしまった。

 現在、秋人の頭の中はパニック状態だった。


 キーンコーンカーンコーン♪

 キーンコーンカーンコーン♪


「やばっ、予鈴! 秋人、起きて! ねぇ、起きてってば!」


 予鈴が鳴ったことで、夏実はバシバシと秋人の頬を叩く。

 すると、秋人の体がムクッと起き上がった。


「起きた」

「よかった……! ほら、早く行かないと授業に遅れちゃう!」


 夏実は二人分の弁当箱を持ち、秋人の手を引っ張る。

 秋人は何も言わず、そのまま夏実の後を付いていくが――その後、秋人が夏実と顔を合わすことは一度もなかった。

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