笑い道
高久高久
第1話
「いいか、笑いってのは客を笑わせてナンボだ。客に笑われちゃならねぇ」
出番前、鏡の前でメイクをしている師匠が私に言う。本来ならばこういう準備を私は手伝う必要があるのだろうが、師匠はそれを止めた。師匠、と言っているが私と師匠は本当の師弟関係ではない。むしろ今日初めて会った。
師匠は業界でも売れっ子の芸人だ。対して私はただの芸人志望だ。
――過去、落ち込んでいた時に私はある芸人の芸を見て救われた。笑う事で人は幸せになれる、という事を初めて知った。
その後あの芸人の様になりたい、という志を持ち上京し事務所の門を叩いた所、そんな私を見た師匠が『んじゃ現場見てみるか。そこで色々学んでくれや』と今日の舞台限定ではあるが、付き人の真似事をやらせてくれたのだ。
「どっちも同じ笑いだろうって思ってんだろ? そこが解って無い奴ぁ三流だ。笑われる、ってのは要するに馬鹿にされてるんだ」
メイクを終えると、今度は衣装を選び始める。ラックに並んでいる物ではなく、自分のスーツケースから選んでいる。
「馬鹿にされるのは簡単よ。馬鹿やりゃいいんだからな。すぐ素っ裸になったり、意味無くワーワー喚いたりすりゃ、それだけで『こいつ馬鹿だ』って笑われる。最近の若い奴――まぁ中堅の方が多いかもな」
嘆かわしい、と溜息を吐きつつも衣装選びの手を止める事は無い。
「漫才やろうって奴もいるけど、こっちに言わせちゃ漫才にもなっちゃいねぇよ。並んでダベってりゃ漫才になると思ってやがる。まぁダベってるだけマシか。コントになっちまうのもいるからな。それとツッコミと暴力の違いも解っちゃいねぇのが多すぎるわ。思いっきり殴りゃ笑いになると思ってやがる。実際会場が沸くから勘違いしちまうんだな」
やがて衣装が決まったのか、師匠が選んだものを身に纏う。
「芸人ってのは――人を笑わせるってのはな、馬鹿じゃできねぇんだ。漫才、
そう言って師匠はペットボトルのお茶を一口飲む。直後、楽屋に出番が近い事をスタッフが言いに来る。師匠が「着いて来い」と私を促し、舞台袖まで連れて来られる。
舞台では、若手芸人が立っている。若手芸人のネタはオーソドックスな漫才だ。ツッコミが入る度に会場から笑いが起こるが、私の目から見てもそんなにウケている感じがしない。
「まだまだだな。
師匠が溜息交じりに言う。やがてネタが終わり、拍手が起こるがまばらな感じである。舞台袖に戻ってきた若手芸人は浮かない表情を浮かべていたが、師匠に気付くと頭を下げて戻っていく。
「さて、そんじゃいってくらぁ」
「はい、勉強させてもらいます」
私の言葉に師匠は笑みを浮かべて舞台へと向かう。
そして観客の前に姿を現す。
――瞬間、師匠の着ている衣装が破けて全裸に――否、股間だけ破けた布で絶妙に隠した格好になった。
会場が一気に沸いた。先程の冷めた空気が一瞬にして変わったのだ。
そこから師匠の独壇場だった。
奇行としか思えない動き。意味不明の言動。それら一つ一つに観客席から爆笑が起こる。
最後は何故か口にオイルを含んで火を噴き始めた所でスタッフに羽交い絞めにされ、無理矢理舞台袖に引き戻されていく。その間も観客席の笑いは止まなかった。
「お疲れ様です、師匠」
「おう」
落ち着いた笑みを向ける師匠。先程の奇行に走っていた姿からは想像できない。
――師匠の芸風を一言でいうと、奇行である。
テレビ生放送だろうが構わず脱ぐ。意味不明の行動を起こす。正直何をやっているか解らない。その行動に皆笑うのだ――コイツ馬鹿だ、と。
先程舞台袖から観客席を見ていたが、顔を見ても観客全員がコイツ《師匠》馬鹿だ、と笑っているのが解る。
――元々師匠はこういう芸風ではなかった。相方もいる知る人ぞ知るという正統派漫才師であった。その事を私は良く知っている――私は、師匠の
確かに師匠達は腕はあった。しかし売れなかった。世間にウケなかったのだ。
相方は業界を去りコンビは解散。ピン芸人となった師匠も最初は漫談をやっていたがやはりウケず、段々と忘れ去られつつあった。
――だがある時、いきなり奇行に走り出した。自棄になった末の行動なのだろう。しかし皮肉にも、それがウケた。結果、今ではテレビで観ない日は無いくらいの売れっ子になったのだ。
「どうだったよ?」
「はい――勉強させていただきました」
私は師匠に頭を下げた。
今日は本当に勉強させてもらった。
――お笑いって言うのは、売れてナンボな世界だっていう事を。
「おいおい、それじゃオチねぇだろ」
師匠が苦笑交じりで言う。そうか、こういう時は――
「辞めさせてもらいます」
――うん、この業界私には無理だわ。
師匠は「それでいい」というような表情を浮かべて、私と一緒に頭を下げた。
笑い道 高久高久 @takaku13
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