第5話 試合開始

 木島が球場に着き、バックネット裏の席に着くと、ちょうど両校のメンバーが試合開始の挨拶をするところであった。

 審判の「集合!」の掛け声に合わせて良好がベンチ前から飛び出してきた。

 クラーク記念国際は強豪校らしく、全員がキビキビとした動作でグラウンドに駆け出してきた。体格も立派な選手が多かった。その中でもエースのウラジミール・カミンスキーは線は細いが一際高い身長で目を引いた。顔立ちも爽やかな印象でチームメイトと仲良さげに話している姿は、理想的な高校球児と言う感じだ。

 一方の旭川東は随分と体格的には見劣りする。動きにもどこか頼りないものがある。キャプテンでキャッチャーの赤西とアレクセイ以外は、身長も体格も、クラーク記念国際の控え選手にも及ばない。だがアレクセイの体格は群を抜いていた。身長も体格も、圧倒的に大きい。両校が並ぶ。まるで子供の中に一人だけ大人が混じっているような違和感がある。ウラジミールの向かいにはアレクセイがいた。ウラジミールはにっこりと笑いかけるが、アレクセイはみじろぎもしない。鋭い視線をウラジミールに向けたままだ。睨んでいるようにも見える。ウラジミールもその視線に耐えきれず、さっと目を逸らした。クラークの選手たち全員がアレクセイの圧倒的な体格から目を背けることができずにいた。

 審判が「お互いに、礼」と言うと全員が帽子を取って挨拶する。ウラジミールも礼をする。正面を向いた瞬間、ウラジミールはアレクセイの表情の中に不気味な冷笑を見た。ウラジミールはかいていた汗がさっと引くのを感じた。

 攻撃は旭川東の先行であった。ウラジミールは投球練習をして打者を迎えた。左投手であるウラジミールからは、一塁側のベンチに座る、旭川東のメンバーがよく見える。

 全体的に覇気のないチームであった。打者に声をかけるものもほとんどいない。一人キャプテンの赤西だけが声を出している、と言う状況である。

『よくこんなチームで勝ち上がってこれたものだな』そう思いながらウラジミールは第一球を投じた。

 先頭打者はあっけなく空振り三振、しかし悔しがる様子もない。淡々としている。次の打者も三振。今度は見逃しであった。次の打者がゆっくりとネクストバッターズサークルから出てきた。アレクセイである。その巨体を揺らしながら、ゆっくりと打席に向かう様子はすでに威圧感十分である。

 マウンド上のウラジミールも、思わず生唾を飲み込んでしまったが、それを悟られないようにロージンバッグに触った。


 「こいつは、すごいな」木島が思わず呟いた。席はほとんど空いていなかったので、内野席に回ろうかと思ったが、偶然、知り合いの週刊誌の記者に会い、隣に座らせたもらったのだ。

「元プロの目から見ても、そう思う?」

木島の隣に座っているのは立山と言う女の記者である。プロの頃から付き合いがあり、お互いに情報を交換しあっている関係である。

「打席に入る前からこれだけの雰囲気を出せる選手はそんなにいないよ。」

「確かにね。でも今日の彼はいつもと違う。」

立山はこれまでの試合を全て見ているらしい。

 「どう違う?」

 「うーん、殺気が違うって言うのかしらね。今までも十分殺気立ってたけど今日は一段と怖い感じ」

 「なんだよ。抽象的だな。それでも週刊誌の記者かよ」木島は笑いながら言う。

 「確かに、これじゃ記者失格ね。やっぱり、あれじゃない?お互いロシア人同士だから気合いが入るとか」

「そう言うもんなのかな?」

「わからないけどね。でもいつもと違うのは確か」

そんなことを言っている内にアレクセイが打席に入った。大きな構えはどっしりとしている。木島はウラジミールの顔を見る。マウンド上からアレクセイを睨みつけているが、内心逃げ出したいだろう、目元が引き攣っている。

 キャッチャーが「ウラ!集中!」と言ってミットを叩く。その声でウラジミールの顔に力が戻った。サインを覗き込み、一度こっくりと頷いて、ゆっくりと投球モーションに入っていく。

 体が弓のように反り、ボールが放たれる。「バシッ」と言う小気味良い捕球音がする。審判が「ストライク!」とコールする。球場からもどよめきと拍手が起こる。木島のスピードガンでは145キロを計測している。コースはインコース低め。見事にコントロールされている。ここまでアレクセイは外角のボールをことごとく特大のホームランにしてきた。誰も彼の内角をつけるものはいなかったのだ。

木島も思わず唸る。

「この球威でこのコースならまず打たれない」

「彼の内角に投げた投手は初めてじゃないかしら」

「高校生で内角にあれだけ力のある球を投げられたら、大したもんだよ」

「さあ。彼はどうするかな?」

初球アレクセイにはなんの反応もなかった。打席も外さず、じっと投手のウラジミールの方を睨んでいる。

バッテリーは短いサイン交換を終えた。クラークのバッテリーは今日、このアレクセイに対して徹底的に強気でいくつもりらしい。

キャッチャーは最初から、インコース、膝下に大きく構えている。ウラジミールも打者も見ることなく、ミットに向かって投げる。

二球目が「バシッ」と言う小気味良い音と共にキャッチャーに捕球された。球速は147キロを計測している。ここまでアレクセイは全く反応していない。少しでも反応してくれたら、やりやすいんだけどな、と木島は思った。ここまで反応がないと、狙いがわからない。

だがとにかく追い込んだのだ。

「追い込んだわね。彼にはスプリットもあるけど。一球遊ぶかしらね」立山が言う。

木島は目線をグラウンドに向けたまま

「いや、三球勝負だ。遊びはない」


サインが決まった。

「インハイ、ボールになるストレート。これで三振だ」木島が言う。

クラークのバッテリーも同じ考えらしく、キャッチャーは中腰になって構える。

大きなワインドアップの姿勢から、この試合一番の快速球が投じられた。





 

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