マイラバー・イズ・ライアー

「……ハナさん?」


 僕が視線を上げると、そこには涙を浮かべ、手を振り被ったハナがいた。


 その手が振るわれる。


 パァンと、大きな音がした。


「いっ……!」


 頬に走る痛み。そして、ハナの顔を見た時、心臓が跳ねた。


「ハナ……」


 ハナは泣いていた。


「遅い……! やっと気づいたか、バカ……!」


 やばい……と全身が粟立つ。


「ご、ごめん……ハナ……」


 ハナに殴られた……


 ハナに殴られた……


 ハナに殴られた……!


 余りのショックに、我を失いそうだったが、すんでのところで僕は意識を繋ぎ止める。


 ……ん!?


「遅い……? やっと気づいた……?」


 ハナはそう言った。確かにそう言った。僕を殴って、そう言った。


「と、いうことは──」


「……そうだよ」


 ハナがなおも僕を責めるようにジト、と睨んでくる。その瞳には今も涙が浮かんだままだ。


「──ハナは、本当は僕が音無さんと付き合うのが嫌だった……?」


 僕が熱に浮かされたアホみたいな声でそう呟くと、彼女は顔を赤くした。


「……そう、だよ」


「……嫌だったけど、僕が浮かれてたから、水を差さないように自分を押し殺してくれた……?」


「だから……そうだってば! 嫌だったよ! 友達欲しいとか言って、失敗して……! 落ち込んでるの見て、どうしたらいいのかって思ってたら、いきなり『彼女出来た!』とか……ふざけんなって思ったよ!」


 そう言ってハナは僕に背を向ける。


「…………」


「でも、あんな嬉しそうな顔されたら……やめろなんて言えないじゃん! テンちゃん気づくの遅過ぎ……ホント、鈍感」


「……っ」


 思わず僕は、背を向けたままのハナを後ろから抱き締めた。


「ちょっ……!? テンちゃん!?」


 ハナの声が裏返る。自分でも大胆なことをしたと思う。


 でも、そうせずにはいられなかった。


 ずっと、ずっと……訊くのが怖かった質問の答えが、望んだものだったのだから。


「よ、良かったぁ……!」


 僕は自分でも本当に怯えていたんだな、と実感してしまうような声を出した。


「良かったって何……? あ、あたし、怒ってるんだよ?」


 ハナが戸惑うような声を上げる。近くで見ると、耳まで真っ赤になっていた。


「あ、いやごめん。鈍感だし、気づくのが遅すぎたのは謝る。本当にごめん。でも……良かったぁ」


「だから……何が良かったのぉ」


 ハナは、後ろから自分を抱き締める僕の指を解こうと、自分の指を絡ませてくる。


「あー、いや……『別にあたしとテンちゃんはただの幼馴染なんだから、関係ないじゃん。どうでもいいよ』って返ってきたらって思うと、怖くて仕方なかったんだ」


「……言わないよー、そんなこと。どうでもよくないもん」


 いつの間にか、ハナは僕の手を振り解くのを諦めたのか、指を絡ませたまま、肩越しに回された僕の腕に頭を預けた。


「もしかしたらって思ったら、滅茶苦茶怖くて……早く訊きたい、けど怖いって……その繰り返しだったんだよ」


「あー……それで『寂しいよ……会いたいよ……話したいよ……ハナー』って?」


 ハナがいじわるな反撃をしてくる。


「それは言うなって。恥ずかしい。でも……そうだよ」


「……そうなんだ?」


 ハナの声が、急に甘えるようなものになった。普段は出さない、甘い声。


「……うん」


 僕はいつだったか、ハナを女性だと意識した時と同じドキドキを感じながら、そう返事した。


「怖かったの?」


「うん、怖かった」


「悩んでたの?」


「うん。ここのところ、ずっとハナのこと考えてた」


 僕はバカ正直に全て答えた。皮肉めいたことを口にしたり、はぐらかしたりする気になれなかった。


「ふぅん……じゃあ、許したげる」


 そう言って、ハナは猫のように僕の腕に顔を擦り付け、涙を拭った。


「うん。ありがとう、ごめん」


 ハナの身体は……運動部の女子なのに、柔らかかった。


 本当に女の子なんだなぁと、僕はドギマギしてしまう。


 ……ハナが背を向けてくれていて良かった。恥ずかし過ぎて目が合わせられないから。


 絡ませているハナの指は、マメだらけだった。


 ……中学の時より、増えたんじゃないか?  


 ……それに、僕は今日ハナと会ったその時から気づいていた。


 今までの彼女の目には無かった隈に。


「部活……そんなにキツイの?」


「え? そんなこと……ないよ? いや、キツイはキツイけど。やっぱり中学よりは……ハードだよね」


「……ふうん」


 僕は彼女の手の平にできたマメを撫でながらそんな声を出した。


「いやぁ……しかし、いい友達が出来たんだねぇ」


 恥ずかしくなったのか、ハナがさっきまでと打って変わって明るい声を出す。


「うん。悔しいが本当にそう思う。僕一人じゃ、きっと気づけなかった」


「さすが親友……だね」


「……『コレでもう、あたしはいなくても大丈夫だね』とか言うなよ」


「……言わないよ」


 ……ハナが少し驚いたような声を出す。妙な間があった。


「少なくとも僕は……ハナがいないのは……嫌だ」


 今の僕に言えるのは、コレが精一杯だが、偽らざる気持ちだ。


「僕は、長いことハナの顔を見ないと調子が出ないみたいだ」


「あっはは……何それぇ」


「仕方ないだろ? そういう風に育っちゃったんだから。ハナは違うの?」


 未だに違うと言われるのがちょっと怖いが、僕は問い掛けてみた。


「……違わない、かな。やっぱりテンちゃんの顔見ると、元気出る」


「そっか、お互い様だね」


「ね。お互い様」


「だからさ、ハナ、部活大変だと思うけど──」


「分かってる。出来るだけ、顔見せるようにするね。テンちゃんが寂しがっちゃうから」


「いや、別に僕が……いや、うん。そうだな。寂しくなるから、頼む」


「うん」


 それからしばらく、言葉もなく僕はハナを抱き締めていた。


 だが、僕はあることに気づいていた。


 手のマメに、目の隈に、あの態度。


 ……ハナは何かを僕に隠している。

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