『テンちゃん』
「……お前は、何を言っているんだ?」
僕は対面で、僕の目を見たまま咀嚼を辞めない小太郎の目を睨みながら、そう言った。
「……小太郎レポートの結果に不満がおありかな?」
「大ありだ。やはりお前が言っていた通り信憑性は無かったな。卵焼きとから揚げを損したぞ」
「なーんでそんなこと言い切れるのさ」
案外、自信のある意見だったのか、小太郎は不満そうに口を尖らせた。
「……まず、僕達はそういう間柄じゃない」
「アマツくんが、神原さんを友人としてしか見ていないのは分かった。でも向こうも同じとは限らないじゃない」
なおも食い下がる小太郎。未だに咀嚼を受けている僕のから揚げがますます口惜しくなってくる。
「あのな、僕達はまだ出会ったばかりだ。それなのに恋愛感情を抱くヤツがいるか?」
僕がそう言うと、小太郎は口を止めないまま、箸で僕の弁当箱の傍らに置かれた手紙の束を差した。朝、下駄箱に入っていたヤツだ。
「……唸るほどいるじゃん」
「……箸で差すな。行儀が悪いぞ」
僕は忌々しげにそう言い返した。
さすがに一度も目を通さずに、ゴミ箱に放り込むのは余りに失礼だと思ったので一応開封しただけだ。
……と、いうか。
自分でも何となく分かっているのだが、僕はどうやら、才能が無いにも拘わらず、失敗を恐れずに挑戦が出来る人間が嫌いになれないらしい。
いや、白状しよう。好きだ。
だからあんなにハナのことが気になって仕方なかったし、あの時教師に立ち向かっていった神原のことを放っておけなかったのだろう。
僕が一番好きで、一番遠く感じ、それでも憧れを禁じえなかった言葉がある。
それは僕がうんと小さかった時、父さんが全人類栄誉賞の表彰台で言った言葉。
『挑戦をしない人間は二流。挑戦し、失敗から何も学ばない人間は三流。失敗から大いに学び、立ち上がった時には次の自分の課題を見つけている人間こそが、一流となれるのだろう』
僕はまだ物心がついていない時の言葉だが、映像でも何度も見た。何度も耳にした。
そして、失敗することすら出来ない僕は……? と絶望した。
だから僕は、ハナや神原が羨ましかったのかもしれない。
「おーい、アマツくん?」
「あ、ああ。何だっけ?」
小太郎の声で現実へと回帰した僕は、取り繕うように目の前の茶色がかった瞳を見返した。
「人を好きになるのに、出会ってからの時間は関係ない……と思う」
「……ああ。まあ、うん」
確かに、そうか。映画や小説では毎日のように一目惚れが描かれているし、思春期であることを鑑みれば、毎日のように誰かに恋をしている人間だっている。
だが、そんな同意を返しつつも僕は気づいていた。自分がコレっぽっちも共感なんてしていないことに。
そう思っている人に対して、その意見を否定することは余計な軋轢を生むから、とりあえず合わせたのだと。
少し胸がチクリと痛む。ごめん、小太郎。
「でも、神原が僕を、その……そう思ってるってのはいくら何でも突拍子が無さ過ぎるよ」
「なんでさ」
「……何ていうか、結構、
「あ、分かる。でも特にアマツくんに対して」
「だろ? あいつの中で僕は、軽薄な軟派男のイメージが強いみたいだし」
「……てか、基本俺かアマツくん以外の男子と喋らないよね」
小太郎の言葉に僕は箸を止める。
「……本当に?」
「うん。まあ、最初はあのヘンテコな自己紹介のせいで変人扱いされてたってのもあるけど、今は結構人気者だよ。それでも自分から男子に話し掛けたりしてるのは見ない」
「……へえ」
……よく見てるな。
「本当に興味ないの? 彼女、正義感強いし、優しいし、すごいスタイルいいし」
「僕にしょっちゅう噛みついてくるし、スタイル云々も、身体に目を向けた瞬間にケダモノ呼ばわりされるからまともに見れたことないぞ」
「……アマツくんにだけだよ、彼女がああなるの」
「怒り過ぎだし、嫌い過ぎだよなぁ」
「いや、素でいられるっていうか、特別な感じがする」
こいつはどうしても、僕達を仲良しにしたいらしい。
「そういう小太郎は神原をよく見てるんだな」
「……好きだもん」
「……!?」
僕はここ最近でこんなに驚いたのは初めてだ、というくらい目を見開いた。
「神原さんのこと、好きだよ」
「う、おお……なんか、かっこいいな。そんなハッキリ」
僕は途切れ途切れながら、称賛の言葉を送った。
「勿論アマツくんもね。二人は俺の恩人だから」
「よせよ」
「だから二人がくっついちゃっても小太郎的にはオールオッケー」
「ないないない。てか、聞かれたら怒られそうだからやめて」
僕は何だか照れくさい空気を振り払うように、ブンブンと腕を振った。
「あ、そういえば話してて思い出したんだけど」
「ん?」
「アマツくんと神原さんってあの自己紹介の日が初対面なの?」
「……そうだけど」
「本当に?」
小太郎が僕の顔を覗きこんでくる。
「何だよ。近いよ」
「だってあの時、神原さんがアマツくんの襟を掴んでさ、言ったじゃん。『あなた、神乃ヶ原天?』て」
「あ……」
本当だ。
今思えば……なんで僕の名前にあんな反応をしたんだ?
「アレと職員室での会話を見て、俺は『ああ、こいつら知り合いなのか』って思ってた」
「……ふむ」
確かに。気になるな。
僕と同じ中学の友人に僕の名前を聞いていた……とかか? さすがに中学であんなことをしたんだ。多少語り草になってしまうのは致し方ないと思うし。
僕がそう思って、首を捻りながら弁当箱を仕舞っていたその時だった。
「随分食べるのが遅いのね。もう昼休み終わりますわよ」
背後から声を掛けてきたのは、話題の中心にいた神原天乃、その人だった。
「やば、急いで食べなきゃ。二人で語っていたら時間が……」
そう言って小太郎が、弁当の残りをかき込み始める。僕はもう食べ終わっているぞ。
「風間くんは優しいのね。こんな裏切り者に」
そう言って神原が僕をジト、と一瞥する。
「なあ、神原」
僕はそう言って神原の目を真っ直ぐ見つめる。
「な、何よ」
「確かにあんな絆だ何だって話をして即、髪を勝手に戻したのは悪かったと思ってる」
「…………」
「でも、いくら何でも怒り過ぎじゃないか? そろそろ許して欲しいんだが。何ていうか、こんなの……カラっとしてるお前らしくないというか」
「あなたが私の何を知ってますのよ……」
なんて唇を尖らせながらも、僕がハッキリと自分の意見を真っ直ぐ伝えたからだろう。神原は先程よりも少々しおらしい態度になった。
ストレートに伝えるの、使えるな。今小太郎から学んだけど、今後も使わせて貰おう。
「知ってるよ。正義感強くて、真っ直ぐで。曲がっていると感じたことや許せないことには考えなしに突っ込んでいく無鉄砲なとこも」
「うんうん」
僕の言葉に小太郎が何度も頷く。いやお前は頷いてないでメシを食え。
「むむ……」
「だからさ、もうコレで仲直り出来ないかな?」
コレはいけるな。結構チョロいしこの子。
「……そもそも、何故、いきなり戻したんですの?」
「…………」
まさかの反撃だ。いや本人は反撃のつもりはないんだろうけどさ。
……あまり、言いたくないんだよなぁ。
でも、こいつらに嘘を吐くのはもっと嫌なんだよな。
「その……幼馴染に、僕らしくないって言われた、から」
こっ恥ずかしいが僕はそのまま伝えた。
すると神原は大きく溜息を吐いた。
「そうだと思った。……尻に敷かれているのね」
僕は少しカチンときた。勝手に幼馴染を女と決めつけられたこと。
そしてハナを個人のポリシーを尊重せずに、自分の好みを押し付けるような人間だと断定されたことに。
「分かったようなこと言うなよ。お前があいつの何を知っているんだ」
僕が低い声でそう言ったその時――
「…………」
「…………」
――チャイムの音が響いた。
チャイムが鳴り終わるまで、僕と神原は無言のまま、お互いの瞳から視線を切らなかった。小太郎が後ろでアワアワしているのが分かる。
「……知ってるわよ。ハナちゃんでしょ?」
…………
「え――」
「ホラ、授業が始まりますわよ。前を向いて席に着きなさい。『テンちゃん』」
予想外の返答に、僕は頭が真っ白になったまま、言われるがまま向き直り、席に着くことしか出来なかった。
「え……? ……え?」
ど……どういうことなんだ?
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