神乃ヶ原ポリシー


 柔道か……やったことないや。


 ……苦手なんだよなぁ。こういう掴み合いのスポーツ。


 僕の身長は伸び続けているとはいえ、体格はまだそこまで大柄ではない。


 大して向こうはどう見ても重量級。一体、何階級違うのだろう?


 圧倒的に不利だ。


 きっと少しでも柔道を知っている人から見れば、アホらしくなるくらいのハンデがあるのだろう。


 やれやれだ……本当にやれやれだよ、まったく。


 風間くんから渡された柔道着(上だけ)をジャージの上から羽織り、帯を締める。


 ふむ。結構頑丈な素材で出来てるんだな。コレならどんなに力を加えても、裂けたり切れたりしないだろう。ありがたい。


「早くしろぉ! 先生はお前を投げたくて、ウズウズしているんだぁ!」


 はあはあと息を荒くしたゴリラが急かしてくる。


 変態的かつ問題発言だぞ……。よくここまで偏った思想を持てたモンだ。


「……今までそんなやり方で、問題にならなかったワケがないと思うんですけど、なんであなた、未だに教師出来てるんですか?」


 僕は率直な疑問をぶつけてみた。


 全く歯に衣着せぬ物言いだが、構わないだろう。コレからぶん投げるつもりの相手に遣う気などない。


「残念ながら俺の熱意が伝わらなかったこともあるし、厳重注意は何度もされたぞ。だが、先生は諦めない! 頑張り続けた結果として何度もインターハイに行けているんだ! 最初は反発していた生徒も、最後は涙を流して喜ぶんだ!」


 ……要約すると、部の成績はいいから、学校に貢献しているからお目こぼしを頂戴しているってことか?


 そう言えば、小山内先生も予定と違って僕らの担任になったとか言っていたな。あとは、事故に産休……要するに人員不足ってことなのか?


 ……クソだな。そんな都合、生徒には何の関係もない。


「指導ってのは、『教え導くこと』であって、自分を押し付けることではないでしょう……!」


 もう口喧嘩はいいや。ここまで凝り固まってるんならそんなものは無駄だ。


「うおらぁっ! 来い!」


 瀬形が両腕を広げる。


 ……先程も言ったが柔道は苦手だ。というより、膠着した状態からの掴み合いや引っ張り合いが苦手なのだ。


 僕はそんなに持久力がある方じゃない。遅筋がそんなについていないのだ。それでも同年代のサルどもの標準値は余裕でぶっちぎっているが。


 絶望的な体格差、柔道の経験値の差。癪だが、まともにやったら勝てるはずがない。


 そんな絶望的な差を埋めて、いや、飛び越えて僕が勝てる唯一の方法。


「…………」


 僕はふっ、と相手から視線を切り、あらぬ方向を見る。心配そうにこちらを見ている神原と目が合った。


 ……そんな顔するな。大丈夫だよ。


 僕の身体はリラックスし、完全な脱力状態になった。


「なんだ? 来ないならこちらから――」


 瀬形がそう言った時には、爆発的な加速をした僕の身体は、もう懐に飛び込んで、袖と襟に腕を伸ばしながら投げの体勢に入っていた。


 ……加速した脚から腰。腰から……上半身へ……! 無駄なく、一瞬で運動エネルギーを伝える……っ!


 目すら合わない。


 彼は完全に僕を見失っていた。


 そう、僕が勝てる唯一の方法。


 それは彼がコレまで何年も……ひょっとしたら何十年かもしれない。それだけの時間を費やして培った技術を、発揮する隙を与えないこと。


 踏ん張ることすらさせない、反射させることすら許さない、不意打ちだ。


 僕には遅筋はそんなにない。だから持久戦は苦手だ。


 その分は速筋で覆われている。つまり……瞬発力の塊だ。


 高校に入る前のトレーニングで専門家に言われた。


 僕の長所……もはや特殊能力と言っても差し支えないその類い稀な才能は、『初速でトップスピードの80%並みの加速が出来る』ことらしい。短距離走で僕に敵うヤツはどこにもいない。


 だから、一度見られる前なら……慣れられてしまう前なら……この速さで動けると認識されてしまう前なら……! たとえ目の前にいたとしても、完全な意識外からの不意打ちが出来る!!


「がぁっ!!」


 完全に僕をナメてくれていたようだ。


 瀬形氏は受け身すら取れずに、畳に叩きつけられた。先程の風間くんのように。


「どう贔屓目に見ても……一本ですね。先生」


 小さく低い声で僕は呟く。


 反論しようとしたのか、瀬形が僕の目を見る。


 僕はその目に向けて、さらに言い放った。


「先生の持論を否定する気はないです。むしろ実際その通りだとすら思います。でも……ヤル気に満ちた先生の力よりヤル気のない僕の力の方が数値が高いんですよ。単純に」


「……っ」


 僕は一瞬横目で時計を見る。


 ……あと一分でチャイムが鳴る。鳴る前に、コレだけは言わせてもらおう。


「先生に突っ掛かるつもりはないです。このまま……東大行って、先生達の指導の賜物ですって……そう、言いますから――」


 誰も、何も喋らない、柔道場に僕の声だけが響く。


「――だから、僕に干渉するな」

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