高校デビュー③



 結局職員室での一件はゴタゴタの末、うやむやになってしまった。


 僕の意志は一応伝えたが、ハッキリとした認可をいただく前に先生が逆上のぼせてしまったので強制終了となってしまい、僕の出した条件は通ったのか通ってないのか、よく分からないまま始業一日目が終わってしまったのである。


 ……そして、翌日。


「あの、先生」


 朝のHR前、僕は教室前の廊下で小山内先生に声を掛けた。


「ひゃいっ!!」


「おはようございます」


「お、おは……おはようございます……あまつ、さ――」


「神乃ヶ原」


 僕はピシャリと訂正した。


 おいおい……。まだちょっと昨日のが残ってるのか。


 先生は瞬時に真っ赤になって、恥ずかしそうに目を逸らす。


「――は、はい。神乃ヶ原、くん……」


「はい。それで、昨日の話なんですけど」


「は、はい」


「飲んでいただけるんでしょうか? 昨日言った条件」


「ふぇ? 昨日?」


 覚えてないんかい。


「僕が定期テストで一位を取り続けたらこの髪、見逃してくれますか?」


「……うぅ」


 先生は眉間に皺を寄せ、困ったような顔をする。


「正直……難しいと思いますぅ。あ、いや、先生は、別に個人的には嫌いじゃないですけどぉ、その、他の先生方が何て言うか……」


「他の……」


「はい……生徒指導や生活指導の先生はかなり怖……えと、厳しくて、その、話の通じない……あ、いや」


 慌てて手をブンブン左右に振る先生。正直な人だな。


 要するに、この学校の生徒指導は昔ながらの話の通じない、生徒を抑えつけることをアイデンティティとした封建的なアナクロ人間だということなのだろう。


 まいったな。挑発に乗ってくれれば楽だが、そういうタイプはそもそも話を聞いてくれないんだよな。


 ……こりゃあヨイショして、気持ち良くなってもらった方がやりやすいか?


「ありがとうございます先生。他にも何か役立ちそうなお話があったら聞かせて――」


 僕は内緒話するように、先生の耳に口を寄せた。


「だ、駄目ですぅ!」


「……はえ?」


 先生は勇気を出して決意を語るかの如く、胸の前で両手をぎゅっと握り締める。


「ゆ、昨夜ゆっくり考えたけど、やっぱり生徒と教師がそんなの……いけません! だ、だから――」


「ちょっと待って下さい先生、そもそも僕は――」


「先生のことは忘れて下さいぃ!!」


 そう言って先生は教室に駆け込んで行った。


「――聞けよ」


 まさか本気で、僕が先生をそういう対象と見て、口説こうとしていたと思っているのか?


 勘弁してくれ。この後先生を追って教室に入る気まずさと言ったらない。




◆◆◆◆




「生徒指導の、瀬形せがただ!! 柔道部の顧問もやっている! コレからお前らをビシビシしごいてやるから覚悟しておけ!!」


 瀬形とかいう柔道着に身を包んだおっさんは、もしかしたら難聴の生徒がいるかもしれないという思い遣りの持ち主なのか、真新しいジャージを着て、柔道場の畳みの上に体育座りした僕らの耳に届けるには、過分な音量の声を浴びせてきた。


 はい特定。こいつだ。間違いない。


 今は体育の授業、場所はさっきも言ったが柔道場。


 そして何故か、壁に沿って並んだ形で、ジャージ姿の女子が座っている。


 いやいや……記念すべき第一回目の体育が柔道とか、有り得るか?


「本来このクラスの体育を担当する先生が交通事故で入院してしまってな。臨時で俺が受け持つことになった! それと女子の体育を担当する先生も突然産休に入ってしまったから、今日は男子の見学だ!」

 

 ますます有り得るかそんなこと? ギャグ漫画じゃないんだぞ。


「入学したばかりで浮ついたお前達の心を、俺が叩き直してやる! 高校に合格したから、入学したからゴールじゃない! 恋愛だファッションだのにうつつを抜かさず、努力し続けるヤツだけが成功するんだ! 努力しないヤツはどんなに才能があっても大成しないし、結局努力したヤツには敵わんのだ!」


 うわぁめんどくさぁ……と言葉を発しないでもクラスの心が一つになっているのが分かる。


 後半はまぁ分からんでもないが……分かってないなぁこの人。


 みんなの顔見れば分かるだろ。『なんで何の迷惑もかけてないのに、いきなりおっさんに怒られなくてはならんのだ。お前が俺達の何を知ってる!?』って顔してるぞ。


 だがこういうタイプは、本気でコレで良いことをしているつもりだから厄介なんだ。自分が絶対的に正しいことをしていて、正義だと思っている。


 そして自分の思い通りにならないヤツは悪だと思ってしまうんだ。うざいね!


「……何だキサマその髪の色はぁ!?」


 ホラきたホーラきた。分かってたよ僕。絶対来ると思ってた!


「いやぁ、朝起きたら穏やかな心を持ちながらも、激しい怒りによって、なんかこんな感じに……」


 僕はヘラヘラとすっとぼけてみた。こういうタイプは同じ熱量で相手しては駄目だ。


「……お前が神乃ヶ原天か。聞いてるぞ」


「え?」


 コレは意外だ。こんなおっさんと関わったことはないぞ僕は。


「中学の時、喧嘩で柔道部のエースだった山田をぶん投げたらしいな」


 周りのクラスメイト達の視線を感じる。


「中学……山田? 誰ですかそれ?」


「お前が教室で大暴れしたときだ」


「……あ」


 あのときの柔道くんか! ……山田なんて名前だったのか。何年越しの真実だコレ。


「それで、なんで先生がその山田くんのことを?」


「向こうの顧問と知り合いでな。ウチの柔道部に来ないかって誘った時があったんだよ。結局来なかったけどな」


「はぁ」


「そのときに聞いたんだ。一年のとき、ド素人に喧嘩でぶん投げられたって。驚いたよ」


 やめろ。クラスメイトの前で妙なことを暴露するな。


「……あいつが弱過ぎただけですよ」


「はっはっは! 大きく出たな。じゃあ先生が一本稽古つけてやろう! 怖くなかったらだけどな!!」


 ああ、コレが狙いか。


「怖いからやです」


 僕は即答した。


「そうかそうか怖いか……っておい!」


 だから古いんだよリアクションが。昭和のノリか。


「怖いです。僕は吠える小型犬や、飛んでくるボールにも怯えてしまうほどに臆病なヤツなんですよ。この金髪だっていじめっ子にカモだと思われないように自己防衛でしてるんです。そんな大きな恵まれた身体していて、しかも努力を怠っていない先生の相手なんてとてもとても……」


 僕はペラペラヘラヘラと、分かりやすく媚びを売ってみた。


「はっはっは! 何だ何だ最近の若いヤツは情けないな!」


 先生はすっかり上機嫌になったようだ。


「だがこの金髪は認められないな。後で生徒指導室に来い。丸坊主にしてやる」


 僕の頭に手を乗せながらそいつはそう言った。


 ……ち。やっぱりそう来るか。めんどくさいな。


「やでーす」


「じゃあ先生から一本取ってみるか? それか柔道部に入れば見逃してやってもいいぞ」


「本当ですかぁ! 入りまーす!」


 そして五秒で退部しまーす! 入部届を捲ったら退部届が出てくるようにしてやる! 昔のカード●スのキラカードみたいにな!


 読めてるんだよ魂胆は。柔道部に入ったら相応しくないとか言って、結局坊主にするんだろ。だったら五秒だけ在籍してやる。男らしくないって? 言いたければ言うがいいさ。


「全く嘆かわしいな最近の若いヤツは……全く骨がない……ん?」


 ブツブツ言って僕から視線を切った先生が、次に視界に入れたのは――


「何だキサマその髪は!!」


 ――風間小太郎だった。

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