1・3 譲れないこともある
割れた窓からヒュルリと風が吹き込む。
「……さすが俺。もう使いこなせた」
己の掌を見る。エルネストを見る。それから再び割れた窓ガラスを。
「いやいやいや、嘘だろ! ただ読み上げただけだぞ」
「……次からは外でだな」とエルネスト。
「なんて危ない力なんだ」
「ふむ。訓練は制御の仕方をということか? 力がどこまで届くのかも確認しないといけないな」
「お前やれよ。俺はもういい」
「ムリだ。お前のようにすんなりと読めん」
「脳筋め!」
魔物と戦う力がこんなに簡単に使えるとは。俺は本当に勇者になってしまったらしい。
ため息をつき、はっとする。
そうだ、今朝既に力を使ったんだった。
「おい、エルネスト」
腐れ縁の幼馴染に、傷が消えた話をする。
半信半疑の顔をした騎士は手袋を外した。右手の甲に傷がある。爪で引っ掛かれたような跡だ。
「なんだお前、女性を怒らせたのか? ようやく恋人か。めでたい、祝い酒だ」
「違う、ネコだ」
「ネコ? 飼っていないだろ?」
「登った木から降りられなくなったのを救出した」
「……」
エルネストは傷を左手で覆った。もみもみとしている。さすが真面目。俺と同じやり方だ。
しばらく経って左手を離すと――
「治ってないな」とエルネスト。
引っかき傷は変わらずそこにあった。
「なんでだ?」
傷に俺の手を重ね、治れと念じる。気のせいか掌が温かい。
手を離すと、エルネストの傷はきれいに消えていた。
「……どういうことだ? お前が出来なくて、俺が出来る。やっぱり要領の良さの差か?」
「お前は昔から何でも出来たからな」堅物騎士が悔しそうな顔をしている。「不良神官のくせに、傷を癒すとは」
「
「お前が神になるつもりか。――残りの三人がまともな男であることを祈る」
「残りか。だが、だいたい想像はつく。基準が顔なんだろ? 俺やお前レベルは数えるほどしかいない」
「……そうか」
思い浮かぶ名前をお互いに上げていると、ノック音がし扉が開いた。顔を出したのは巫女見習いのカロンだった。
ダークブラウンの髪と瞳に、そばかすの残る地味めな顔。真面目具合がエルネストといい勝負の彼女は、唯一俺の面倒を見てくれる可愛い後輩だ。神官どもは俺と一緒にいると同類だと思われるからイヤだと言い、巫女たちは俺のお手つき済みと勘違いされるからごめんこうむりたいと言って、敬遠する。
俺を最も嫌いそうな彼女だけが、どういう訳か慕ってくれているのだ。
「お忙しいところ、すみません先輩」
「なにがあった」
わざわざ王宮の中まで来たのだ、余程のことだろう。
「シヴォリ侯爵夫人とタラマンカ伯爵令嬢が、先輩と約束があるといらっしゃったのですけど……」
「おかしいな。急用が入ったからキャンセルと連絡を入れたんだが」
「それが『絶対に他の女のところよ』とお怒りなんです。夫人なんて、『今後一切お布施はやめる』と言い出してしまって、上の人たちが慌てふためいてます」
そうだ。前回ものっぴきならない理由で当日キャンセルをしたのだった。そりゃ怒るな。しかし上役たちも――
「慌ててないで満足させてやればいいのに」
ゲシリと足を蹴られた。騎士に。くそ痛い。自分の脚力が優れていることを分かってないのかもしれない。脳筋め。とにかく。
「カロン」
「はい」
「私は今日から王宮魔王退治課勇者部隊に所属になった」
「はい。……え? ……先輩、神官を辞めてしまうのですか!」
真面目なカロンが驚きすぎて、わなわなと震えている。彼女は神官としての俺を尊敬してくれているのだ。
「いや、両方に籍を置く形だ」
「……というか勇者ってなんですか?」
国王たちにされた説明を簡単に伝える。すると彼女は余計に震え始めた。
「そんな危険なことを先輩がしなくちゃいけないんですか! 先輩は教会になくてはならない存在なのに!」
カロンの言葉にエルネストが鼻を鳴らす。目に涙を溜めている彼女を前に、よくそんな態度が取れる。
「私はなんでも優秀だから、大丈夫だろう」
「でも……」そう言ってカロンは口を引き結んだ。「……先輩がそう言うなら信じます。だけど絶対絶対にケガをしないで下さいね」
「もしもの時はエルネストを盾にするから心配するな」
「はい!」
「おい待て」
気心の知れた幼馴染は無視をして、王命によりここを離れられないこと、
「ああ、そうそう。『私も会えなくなって辛い』と言うのも忘れずにな」
「はい」
「よく言う。嘘つきめ」
またもエルネストは無視してカロンを送り出す。
「彼女もこんな不良神官なんてほうっておけばいいのに」
「カロンはお前と違って俺を正しく評価しているんだよ」
さて、いい加減やるかと、放置していた文書に手を伸ばす。どんどん目を通して術を覚えないと。何しろ期限は一週間。古語が苦手な脳筋は頼りにならない。俺が頑張らないと、来週には俺の葬式をあげてることになるかもしれない。
しばらく黙って作業に没頭していると、またも扉がノックされた。
今度現れたのは、見知らぬ男だった。三十くらいだろうか。まあまあのイケメンた。
「バルトロ・オルミです」
そう名乗った男が片手を差し出したのでエルネスト、俺の順で握手を交わす。柔らかい手。体型もひょろりとしているから確実に文官だ。
「王宮魔王退治課勇者部隊の事務官に任命されました。よろしくお願いいたします」
割れた窓ガラスの説明とひととおりの自己紹介を済ませると、バルトロは『早速ですが』と前置きをして、
「何か要望はありますか。余程の無理難題でなければ、叶えるようにとのお達しが出ています」
と尋ねた。
「今のところは特にない」とエルネスト。
「ジスランさんは?」
「呼び捨てで構いませんよ」トレードマークの柔和な笑みを事務官に向ける。「『部隊』ってことですが、制服はあるのですか?」
「そんなもの! のんきなことを言っている場合か。日数がないんだぞ」とエルネスト。
「お前はいいだろうよ。騎士の制服なんだから」俺は己の白い服を掴む。「こっちは祭服だぞ。魔物の血で汚すなんてしたくない」
「……そうか」とエルネスト。
「ですね!」とバルトロ。「至急用意致します」
「頼みます」
神官の印である白い祭服。これを身にまとい始めて五年になる。気に入っているから脱ぎたくはない。だが汚すほうがもっとイヤだ。
ため息が再びこぼれる。
「バルトロ。頼む。私の美貌を引き立てるデザインにしてください。女性に喜ばれるような」
「この歩く煩悩が!」
「いけないか」
エルネストをあしらい、再び文書を手に取る。
歩く煩悩にだって譲れない一線はあるんだ。
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