「美味しい」は、いつも幸せ

寄賀あける

 

「それで、そうさん。何を作って御馳ごちそうしてくれるの?」


 よだれを垂らさんばかりのみちるが奏さんに尋ねる。山奥でけダヌキをおどかして、その化けダヌキたちを苦しめていたアライグマを追っ払った帰りだ。


 僕たちを乗せたボックスワゴンを運転しながら奏さんがくわえタバコで満に答える。


「そうさなぁ、ミチル、何食べたい?」


咥えタバコと言っても、さくと満と僕が嫌がるから、タバコに火はついていない。朔と満は兄弟だ。


「うーーーん、クマの洗い、とか?」


 なんだそりゃあ、と奏さんが吹きだす。


「タヌキ蕎麦じゃなきゃいいや」

朔が満の横でポツリと言う。


「ラーメン!」

ピヨッと、最後部で声を張り上げたのは隼人はやとだ。今まで僕の背中に顔をうずめて寝ていたのに、食べ物の話で飛び起きたようだ。


 奏さんはラーメン屋『美都みつめん』を一人で切り盛りしている。甲州街道を一本入ったところに店があり、八王子駅からもほど近い。そしてけっこう流行っている。


 ラーメン好きの隼人は、いつも予約を入れて閉店時間に店に行く。今日はもう売り切れだと言われて帰る客とすれ違い、怒った客を奏さんがなだめる事もよくあるらしい。


 右目は薄いレモンイエローのラーの目、左は薄い灰銀色のウジャトの目、オッドアイの隼人は、やろうと思えば目の色を変えられるけど、疲れるからと大抵そのままでいて、そのくせ人に好奇の目で見られるのを嫌う。それでいつもイエローカラーのサングラスをしているが、サングラスしたままでラーメンを食べるのは難しい。湯気で見えなくなるからだ。で、隼人はいつも閉店したての奏さんの店に行き、ほかに客がいない中、人目を気にせず大好きなラーメンを堪能する。


「悪いなぁ、隼人。美都麺は、今日と明日は定休日。スープを仕込んでないし、麺もない。ラーメンは今度だな」


 ふわ、と頬を膨らませ、隼人は再び僕の背中に顔をうずめた。人形ひとなりだと、自分の背中に顔を突っ込めないからって、僕の背中を代用するなよと、いつも思う。



 お気づきかもしれないが、僕たちは人間じゃない。朔と満は双子の人狼、僕は吸血鬼、隼人はホルス神、そして奏さんは三つ目入道だ。えんあって僕らはチームを組み、人間の世の中で、今を何とか生き抜いている。


「タヌキ蕎麦はなくていいけど、タヌキケーキは食べたいかも ―― 美都麺が休みって、週末じゃん! タヌキケーキ、やってるはず! 奏さん、西八にしはちに何時ころ? ケーキ屋さんに間に合う?」


 大丈夫だよ、と奏さんが答え、満が西八王子駅前の週末だけタヌキケーキを置いているケーキ屋さんに電話して、タヌキケーキを予約する。


「良かった、まだあった。取り置きしてくれるって」

「それじゃ、デザートはタヌキケーキで決まりだな……パスタにするか?」


「するするぅ~」

何でもノリノリの満がはしゃぎ、朔が『肉が入っていればなんでもいい』と隣でポツリと言った。


 そろそろ八王子ジャンクションかと言う頃、奏さんがぽつりと言った。


「そう言えば、最近、夜鳴き蕎麦って聞かないな」

「なにそれ? 夜鳴鶯ナイチンゲールの仲間?」


満の言葉に朔がボソッとケチをつける。

「トリ蕎麦の事か、って言わなかっただけましか」


「昭和の終わりころまではいたのかなぁ」

奏さんが朔を無視して話し続けた。


「夜にね、屋台をいて蕎麦を売り歩く商売があったんだよ。昭和の中頃には軽トラだったりしたし、ラーメンが主流になっていたね。夜鳴き蕎麦、って言っても、蕎麦じゃなくなってた」


 チャルメルって笛を鳴らして、来たよって合図するのが約束だった。チャルメルが聞こえたら、食いたいヤツは鍋持って、屋台に走ったっけなぁ……


「俺が初めて食った蕎麦は、夜そば売りの蕎麦だった」

「夜そば売りって?」


「江戸に蕎麦屋が乱立する前、にない屋台ってのがあってな。簡単に言うと天秤棒に屋根を渡してあるようなもんだ。それをかついで移動して、あちこちで蕎麦を売ったんだよ。ちゃんと丼も用意してだから、あの天秤は重かっただろうな」


奏さんが、遠い目をして語り始める。


 その時の俺は腹が減っていた。しばらく何も食べていなかったんだ。すると目の前を夜そば売りが通るじゃないか。しかも旨そうな匂いがする。ここは一つ、夜そば売りを脅し、気絶させたところで蕎麦ってものを食ってやろう、俺はそう思って、三つ目入道に変化へんげしたんだ。三つ目入道になれば4メートルの大男だ。夜そば売りはびっくりして気絶するか、少なくとも屋台を放りだして逃げるはずだった。


「けどさ、夜そば売り、ちっとも動く気配がないんだよ。担い屋台の屋根、あれで隠れて夜そば売りから俺が見えなかったんだ」


焦った俺は少しずつ体を小さくしていった。そのうち夜そば売りも気が付くことだろう ――


「そうさ、気が付いたさ。でもそれは俺がただの大男になった時だった。しかも、俺の腹がグゥと鳴った音で、だ」


 奏さんが懐かしそうな顔で苦笑した。そして続けた。


「なんだ、ニイさん、腹が減っているのかい、夜そば売りは俺に話しかけてきた。月のない晩だ、俺の額の目に、夜そば売りは気が付いてなかった」


今日はもう、店仕舞いしようかと思ってたんだ、ニイさん、良かったら、蕎麦を食わんかね? 夜そば売りは、そう続けた。なに、お代は要らない、今夜売れなきゃ捨てるもんだ。


「なぜ恵んでくれるんだ? 俺の問いに夜そば売りは、その図体ずうたいじゃあ、すぐに腹も減るだろうと思ったからだよ、と笑った。だけどね、毎晩とはいかない。あんたにおごれるのは、今夜が最初で最後だよ」


あの蕎麦は、美味かったなぁ……


「それでさ、隼人と組んで人間に馴染なじんで暮らすって決めた時、俺はその時の事を思い出してな、生業なりわいに食べ物屋を選んだんだ。腹減ったヤツに、美味いもんを食わせてやりたいってな」


「……なんだったら、タヌキ蕎麦でもいいよ? 朔ならミチルが黙らせるよ」


「残念ながらミチル、蕎麦打ちは面倒だし、蕎麦粉もない。パスタで我慢してくれや」


 僕もそうだが、朔と満の双子も飢えの記憶が生々しい。双子の人狼は、親とはぐれて死にかけているところを隼人に助けられた。どうしようもない飢餓きがから救われるあの切なさを味わっている。僕も同じようなもんだった。


 西八王子のケーキ屋に寄ってケーキを受け取ったあと、奏さんの店に急いだ。ここまで来れば10分もあれば辿り着く。奏さんは、いつもの駐車場には入れず、車を店の前の来客用の駐車場に停めた。どうせ食べ終わったら、家まで送れと隼人が言うに決まっている、奏さんが笑った。


「さぁて、何を作ろうかね。一番、腹が減ってるのはミチルか?」

「そうそう、一番はあたしだよぉ」


 それに異を唱えたのは隼人だった。眠気でフラフラしていたのに、急にしゃっきり抗議した。


「ボクだってエネルギー切れで死にそうだ」


「大丈夫、隼人は強いモン。だいたいこれくらいで死ねるならとっくに死んでいる」

「えーーー、なんか満、ずるくないか? ここで、それを持ちだすか?」


「まぁまぁ。みんなの分、すぐに出来るから、おとなしく待ってろって」


奏さんはニコニコ顔だ。さっき言っていたように、空腹を持てすのが嬉しいのだろう。


 カウンターの向こうで奏さんがせわしなく立ち働く。湯気が立ち、血の匂いや油の匂い、甘酸っぱい匂いに、肉の焼ける匂い、これはカレーの匂いかな、いろんな美味しそうな匂いがし始める。


「うーーん、手順が悪かった。満、許せ。最初はバンちゃんだ」

と、奏さんが僕の前に皿を置いた。


 そう、僕はばん、みんなバンちゃんと僕を呼ぶ。


「これは『血がしたたっている、レバーとイチゴの冷製パスタ』だ。レバーのペーストとつぶしたイチゴを混ぜたソースをカッペリーニにからめ、水菜とイチゴをトッピングしてみた。ソースにはトマトも隠し味に使っている」


 なるほど、目の前の皿は真っ赤だ。そこに水菜の緑が映え、更にその上のイチゴを引き立てて美しい。が、レバーにイチゴ、合うのか? 恐る恐る一口食べてみる。


「なにこれ、メチャクチャ美味い! レバーのコクにイチゴのさっぱり感、なんとなく甘味を感じるのはトマトかな?」


 思わず僕が叫ぶと、

「どれどれ……」

と、横から隼人が皿を持っていき、


「ピュッ! 確かに、これは美味い!」

と、一瞬ハヤブサ頭になる。


 ちなみに隼人は、人形ひとなりと頭部だけハヤブサ、そしてハヤブサ、の三種類に化身できる。本体は、本人が言うには人形ひとなりだそうだ。


「ミチルにもー」

と今度は満が皿をさらい、


「うん、美味しい、奏さん、天才!」

と、奏さんをおだてている間に朔が皿に手を伸ばした。


「バンちゃん、食レポやったら? バンちゃんの言う通りだよ。でも、もうないよ。終わっちゃった」


 ……一口しか、食べてないんだけど? 泣きそうな僕を奏さんが笑う。


「それじゃ、こうしよう。全皿、別の料理を用意するから、4人で分けて食べる。みんなに試食してもらえれば、俺も嬉しい」


「なぁんだ、試食会なのぉ?」

満がケラケラ笑う。


「お次は『憎ったらしいほど肉々しい三役揃さんやくそろみミルフィーユ』だ。使っている肉は牛、豚、鶏。それぞれ一番おいしく食べさせてくれるソースで味を付けたものをラザニアで隔離して重ねてみた。ミルフィーユってのはそこから取ったぞ。トッピングにはお約束、ピザチーズにパルメザンチーズを掛けて、オーブンで焼いた。ガッツリ系だ」


 奏さん、僕たちに取り分けてくれた。


「うん、いいね、チキンの皮がこんがりソテーされていて、このソースは醤油ベース? 一緒に炒めているのはマッシュルームだね。しかもここにもチーズが溶けてる」


僕の横で、あたしにも言わせて、と満が慌てて口を挟む。


「牛肉はハッシュドビーフでしょ? ラザニアが邪魔をしてないのがいいし、上段のチキン、下段のポークと混ざっても違和感がない」


「違和感がないのは全体に言えることだ」

 満を馬鹿にしたように言うのは朔だ。


「最下段はポークジンジャー。この三種類を組み合わせ、しかも間にラザニアを挟むことによって、別々に味わうこともできる上、混ざっても、喧嘩しないように仕上げてある。実に美味しい」


「ピーピー」

隼人が同意するようにさえずる。食べるのに夢中で、コメントを言う余裕がなさそうだ。


 奏さんが次の皿を出した。


「三皿目は『ホルスの目のミートパイ』で、これは隼人をイメージした。まずは切り分ける前を見てくれ」


大きな皿がカウンターの僕たちから見える位置に置かれる。


「全体をパイ生地で包み込み、ホルスの目の形に仕上げ、周囲のパイ生地は羽根をかたどった飾りに仕上げた。それじゃ、切り分けるよ」


少々複雑な形のパイを奏さんは上手に四等分していく。


「わーーい、ミートソースにウズラの卵がゴロゴロだね! ウズラの卵を目に見立てているんだね」


 僕より早く満が叫んだ。なんだか、目玉を食べている気分になりそうだったから、満のコメントは聞かなかったことにした。


 コクのあるミートソースにはチーズも入っているだろう。それをマカロニに絡め、更に茹でたウズラの卵がふんだんに混ぜられている。コーンと小さなキューブ状に切ったニンジン、小さめのブロッコリーが加わって、彩り豊かで味わいも豊かなパイになっている。ミートグラタンにも似ているけれど、それがパイとウズラの卵で別の一品になった。美味しくないはずがない。


 奏さんは、僕らが何も言わなくても、表情で判るのだろう。うんうん頷いて、ずっとニコニコ顔だ。


「さてっと、これが最後だ。『大男のニョッキカレー』をご賞味あれ」

さっきから、カレーの匂いがすると思ったのはこれか。


「大きめに作ったジャガイモベースのニョッキに、ホウレン草で緑、カボチャで黄色にしたのも加え、三色にした。ニョッキをライスに見立てて、更に大きな角切り牛肉を煮込んで作ったカレーを和えた。ライスに見立てたニョッキと牛肉の大きさから、大男を連想してくれ。もちろんカレーには牛肉以外も入っているけれど、細かく切って全部煮溶かした。どうだ、うまいだろう?」


 自信作なのだろう。ニヤニヤする奏さんに、もはや僕たちに言葉はない。黙々と口に料理を運び、舌鼓を打つだけだ。


「ニョッキはお替りもあるからな。遠慮するなよ」

と、奏さんもやっと食事を始める。もちろんカレーだ。


 みんなが食べ終わり、奏さんがコーヒーをれてくれ、タヌキケーキを食べる頃には夜更けだった。


「奏ちゃん、もちろんボクたちを送ってくれるよね?」


隼人が甘えた声を出す。ボクなのは、隼人本人と僕を指す。僕と隼人はもう随分長い事、同居している。


「奏さん、バンちゃんはともかく、隼人の事は送ってあげてよね」


と、横から満がニヤリとしながら言う。満は僕に焼きもちを妬いて、たまに意地悪なことを言う。


「あたしも隼人の家に住まわせてもらいたいな」

満の小さな声がぽつりと言った。却下されるのが判っているから、独り言を装ったのだ。


「満には俺がいるからいいんだよ」

これも、小さな声で朔が言った。そんな人狼の双子を見て見ないふりをして奏さんが立ち上がる。


「さて、そろそろお開きにするぞ。ほれ、バンちゃん、隼人と先に車に乗ってろ」

投げられたキーを受け取り、隼人を促して店を出る。


 親に代わって育ててくれた隼人の事を朔も満も大好きだ。そして隼人だって二人の事がとても大事だ。だけど隼人は二人とは、いや、大好きな仲間の多くと、少しの距離を必ず取った。


 もう、何千年生きてきたか忘れてしまった、と隼人が言う。その間、幾度も悲しい別れを味わった。踏み込み過ぎたら堪えられない ――


 吸血鬼の僕は、隼人と一緒に気の遠くなるような長い時間を生きていける数少ない存在だった。満では埋められない、隼人の心を埋められる存在だった。


「満、美味かったか?」

 店の中から奏さんの声が聞こえた。


「食いモンが美味いってことは、幸せだよなぁ」


満が何と答えたか、僕には聞こえなかった。だけど、きっと、『うん、あたしは幸せ』と答えたと思った。

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