笑われたい。

人間 越

曇りのち晴れ。

「終わってたまるか。絶対に売れてやる」


 月の眩しい夜は眠り辛い。カーテンの無いアパートのワンルームでは、窓からの月明かりが憎いほど差し込む夜がある。そして、眠れない夜ほど余計なことを考えるものだ。

 苦しい生活、大人げの無いことをしている自分、将来の姿。

 悲観的な事ばかりが浮かんでは、瞳を熱く濡らす。決して零すまいと引き結ぶ唇は小さく震え、思考を紛らわせようと巡らせれば思い浮かぶのは他愛もない友人の声や親の姿。いつでも帰ってきていい、なんて言葉は言われたときには、照れくささは有れど、感動なんてしなかったはずなのに。いや、なんでこんなことを考える。もっと下らないことを、エロいことを、寒いことを考えよう。いやもう何も考えるな。

 夜が運んでくる孤独の冷たさには、どんな日常も温かく感じて余計に視界を歪ませた。

 

「こんなままじゃ、終われない。終わり、たく、なっ……い」


 ついに雫が頬を伝う時には、勇んだ声も想像通りに出せなかった。

 かくして、磯山附人いそやまつくとの何度目かの寝苦しい夜は過ぎていった。


 ☆      ☆      ☆


 磯山附人、三十六歳。彼女無し。仕事、コンビニのアルバイト。

 一言で言えば、良い年こいたフリーターにまとめられる彼のプロフィールには、もう一つだけ重要な点がある。

 それは、芸名、ハチマキ。

 附人は、お笑い芸人であった。と言っても、売れないが頭につく無名の芸人だ。二十三才の時に、浪人して入った大学の友人と組んだコンビからフリーでお笑い活動を始め、そして五年して事務所の末席に名を加えることになった。もう十三年も活動を続けているが、一向に目は出なかった。

 相方は半ば、諦めていた。まあ、理解できなくもない。就活とかしたくない、スーツ着て毎日出勤とか嫌だと言っていた男だ。それがコンビを組んでくれた動機だろう。そうでなくとも、十三年間も鳴かず飛ばずの活動を意欲的に続けるなんて並大抵ではない。見切りをつけることも十分出来る年月で、才能がないと悟るには長すぎる期間だ。

 むしろ、異常なのはハチマキの方だ。

 面白く生きたい。それがハチマキの動機である。学生時代に読んだタイトルも思い出せない漫画か、アニメの一文で、方法として安直にお笑い芸人。

 異常というか、呆れるというか、それ以前に見込みが甘いというか、ツッコミどころには欠かないが、事実であった。長年の活動歴でお笑いへの思いが積み重なったことは有れど、根幹はたったの一文だ。そもそも、売れない長い活動期間なれば、情熱を吹き消してしまうことの方が普通である。

 にもかかわらず、ハチマキは未だに奮闘していた。

 自分は面白い。自分は人を笑わせられる。自分は売れる。自分の未来は明るい。自分には才能がある。

 そういう言うことすら憚らないのであった。


 ☆      ☆      ☆


『Q若者の離職率が高まっているとのデータがありますがどう思われますか?』


「当然でしょ。やりたくない仕事続けるなんて正気の沙汰じゃない」


『Qご自身は?』


「ほぼフリーターのれっきとした芸人ですけど!」


 ☆      ☆      ☆


『半ギレの芸人(フリーター)、が面白過ぎるwwwww』

『大人になれなかった大人』

『ネバーランドの住人』

『自分は他のフリーターより上だって思ってそうwww』

『正社員のワイ、高みの見物』

『……………』

『……』


 ヴー、ヴー。

 久しい相方が発となるメッセージであった。


「なんかお前、バズってね?」


 ☆      ☆      ☆


 とあるニュースの切り抜きは、ハチマキのキャラクターより拡散されネット上で騒ぎとなった。いわゆる、ネットのおもちゃ、の新たな誕生である。

 最初の返答では、どこか成功者らしい余裕ある佇まいだったものが、次には半ギレでしかも成功者とは言えないフリーターであったことが面白がられて、逆切れや理不尽な返答全般で使えるコラ画像となった。

 そしてそのバズりはとあるネット番組の仕事を勝ち得たのであったが、ハチマキはそこでへらへらしたMCや出演者にキレた。その番組自体はコンセプトにマイナーな界隈の有名人を呼び、彼らのこだわりを少し茶化しながら聞くというもので、一種コントじみたものであり、ハチマキのキレは事実上放送事故となったのだが、それより熱いお笑い魂を持ったキャラとキレ芸が注目され、地上波へとプチブレークを果たした。相方も賢しく立ち回った。長年の付き合いからハチマキの怒る部分を的確に付き、求められるキレ芸を引き出した。また、停滞しかけていたコンビ仲もキレ芸にリアリティーを与え、唯一無二の立場を築いた。

 ハチマキはその相方の立ち回りに舌を巻きながらも、自分を揶揄するような手法には確実に苛立ちを募らせた。

 そして、ある日、苛立ちは破裂する。


 ☆      ☆      ☆


「なあ、俺のお笑い人生イジるの、やめてくれね?」


「は? 何言ってんの?」


 相方は目を丸くした。

 俺はそんなに素っ頓狂なことは言っていない。

 声を荒げそうになるのをなんとか抑えてハチマキは言った。


「別に容姿とか、ちょっとした挙動とか、コメントの変さをいじるのはいい。けど、俺の人生とか、過去をいじるのは止めてくれ」


「いや、だってそこが元だろ? あやふやな理由とかでお笑い始めて、突っ走ってきたからだし」

「でもそこじゃなくてもキレ芸は出来るだろ?」

「いや、一番、キレるのはそれだ。それだけだ」


「だから嫌なんだよ!」


 頑として譲らない姿勢を見せた相方に、声を荒げた。

 ほぉら。そう言わんばかりのしたり顔を見せた相方が、余計に火に油を注いだ。


「俺は、笑われたいんじゃない!」

「今更何言ってんだよ。やっとこれからってところだろ?」

「だからこそ、今のうちに辞めてくれ。……じゃないと一生、トリガーが俺の本当の逆鱗で定着しちまう」

 あくまで普通に喋る相方に、辛くもハチマキも落ち着いて話す。感情だけでぶつかるわけにはいかない。そういう理性が働いた。


「今更何言ってるんだ?」

「だから、俺の根源的な部分をいじらないでくれ。大事にしたいんだよ。それだけなんだ……」

 それ、が何なのか。面白く生きたい、という一文だ。けど、それ以上は分からない。ハチマキ自身、分からない。何の意味も持たないただの言葉だったのかもしれないし、曖昧な記憶の産物で作中では本当は使用されていないのかも。けれども、ハチマキはその不確かなものを支えにやってきた。

 その正体が暴かれたら、もう何も出来なくなるかもしれない。

 そんな予感があった。

 だから、かくして守ろうしているのだ。


「その前だよ。笑われたいんじゃない? 甘えたこと言うなよ」

「甘え、って」


 言われている意味が一瞬、分からなかった。

 バズりに乗ってここまで来たことだろうか。であれば、それは仕方のないことだろう。いや、それを嫌がることを甘えとしても、わがままだとしても、そのおかげでここまで来た相方が責められるようなことだろうか。


「仕方ない流れだった? コンビのため? ああ、そうだろうな。そのおかげで今がある。生活も楽になったし、これからも売れていける。けどな、言うぞ。他ならぬ相方だからな」

「なんだよ」

「芸人は笑われてなんぼだろ。笑わせようなんて思うなよ」

「……っ」

 何も言えなくなった。

 目から鱗な思い? まさか。誰が言ってんだ、だ。

 いじられてバズったのは俺で、テレビ出てからもいじられたのは俺。笑われたのは俺だ。でも、これだってチャンスだと思ってキレ芸をものにした。笑わせればテレビに映れるから。

 なのに、なのに。


「まあ、売れたら勝ち、だろ? 別にやりたい笑いが出来なくっても――」


「そんなのは詭弁だろ」


 なりたい自分、やりたいことが出来ない自分を誤魔化す言葉だ。それで片付けられるか。自分の葛藤は。

 面白く生きる。面白い人になる。面白いネタを書ける人になる。笑わせられるネタを書ける人になる。笑わせる芸人になる。

 そのために、こんなバズりでなくとも、ネタで賞レースを勝ち上がって、それで実力派として。


「――進んだ先で出来るようになればいい。出来るようにすればいい」


 相方の言葉は、そう続いた。

 それとてただの気休めだろう、だが。

 少しだけ、ほんの少しだけハチマキの気は晴れた。


「…………まだ、そうか。別に何も決まっちゃないもん、な」


 そうだ、始まったばかり。これからだ。何をゴールした気になったのだろう。


「で、ネタはなんか書いてるのか?」

「お前も少しは書けよ! そうだ、これから付き合えネタ作りだ!」

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