彼方(かなた)

恋下うらら

第1話 悲しみの香水

「それでは、お先です。」

彼女は、立ち上がり、皆に挨拶をして

部屋から出ていく。

さて…

僕も帰るとするか…。

彼女が立ち去ったあと、少し時間をおいて

帰ろうとした。

「それじゃぁ、僕、帰ります。」

ほかの社員たちに挨拶すると

そそくさと部屋から出た。


冷え切った外の空気。

最後の月、十二月。

外のネオンも、Xmasのイルミネーション

も華やかだった。


僕はあるき出そうとして足を止めた。

振り返り、ロビーの時計を見る。


ー七時過ぎか~。


重苦しい気分が、僕を縛り付ける。

外に出ると、人がいっぱいだ。

間をぬうように歩いてく。

沢山の人が行きかう。


何日か前、彼女は僕に告げた。

「苦しい…。」

と映子は笑ってた。

「どうして…。」

と僕はあの日を境に別々のみちを歩き出したのだ。

映子はじっと僕を見つめる。

あの夜、僕は夢想し、嘆き悲しんだ。



今まで、僕のことを誰も愛してくれなかった。

器用でもなく、そうかと言ってお金を沢山持っているわけでもない

ただただ、優しいだけの男。

「ふみくんはいつも優しいね。」

そう言いながら彼女たちは去っていく。

そんなある日、彼女、映子に出会った。


「先輩!!!」

反射的に振り向く。

僕の目の前に映子が立っていた。

数分後、いや少し前に退社した彼女。

ネオンの光を浴びた彼女が灯りに映えて

いた。

鮮やかに見える赤い口紅。

さっきまで、社にいた彼女とは違っていた。


ずっーと待っていたのか…。


大きな目がじっと僕を見つめる。

「少し付き合ってもらえません…?」

「うん、少しなら…。」

少し躊躇したが、彼女は気のままで

ごく普通の会話をし、普通の態度だった。


「さぁ、行きましょう。いいところ知ってるのですよ。お腹空いちゃったわ。」

僕達は慌てることなく、肩を並べて歩き、店の立ち並ぶところに入っていく。


風にのって、運んでくる彼女の香り。

甘い香りがした。


「こっちです、こっち。」

手招きをし、彼女は嬉しそうにステップを

ふんだ。

僕は彼女に引きずられるよう、イタリアンレストランを堪能し、その後、オシャレな

バーへと繰り出した。


ジャズの曲が鳴り響く、バーだった。

彼女の無邪気な瞳を見ていると、僕のこだわりの気持ちが少しづつだが、消えていく。


彼女の突然の誘いで来てしまったけど…

いつも、彼女は、誰とでもこうするタイプなのか…。

いや、僕だからなのか…。

僕も、女の人に誘われて、すぐ、ついて行くタイプでもないのに…。

それぞれの住む世界があり、それぞれの考えがあり、愛がある、そういった人生だったのだ。


水割りを口に運び、キラキラした瞳は

真っ直ぐに僕に向けられた。

深く考えるのはよそう。


「会社の営業課、皆、仲良さそうだね。」

「そうかしら…。私一人浮いちゃってるけど…。でもいいのよ。」

彼女の目は真っ直ぐに向けられていた。

左利きの彼女が二杯目になるワインをグラスに注ぐ。


「私、この店が好き。いいお店でしょう。

一度先輩と来たかったの…。」

彼女は僕と目を合わせることなく顔を向けた。

その瞳が、僕を困惑させる。

「私ね。自分ひとりで生きていくの少し怖いの。戸惑いながら、迷いながら進んで行くことができるかしら。私の心、子供みたい。小さな子供の心…そういえば可愛いでしょう?!ガラスみたいな心。だんだんと大人になっていく自分がいる。そういう気がする。」

「心の器の話?!

僕の心の器もどれくらいかな…。小さな器、歪な器、ザルみたいな心かも…」

僕は笑いを取ったつもりだった。

でも彼女は違っていた。

「私…小さいときの夢、まだ叶えられてないわ…。」

淡々として言った。


彼女のうちに行った。

僕は彼女を小さく抱きしめた。


「私、先輩にあえてよかった。この会社に来てよかった。そしてこういった関係が続く…。」

僕もこの関係が続くといいと思った。


ある日、この関係が壊れ、崩れさっていく。


そういう日がまだ来るはずがない…とそう思っていた。



僕は映子がいとおしかった。

男女の関係で終わりたくなかった。


彼女は本当に僕との関係を続けていくのを望んでいるのか、もう一度聞きたい。

君をもう一度抱きしめたい。

ひっそりとした部屋で二人は長い時を過ごした。


「おいそがししそう…」

彼女はパンツ姿で僕の前に立っていた。

「今から帰るところ…。」

「少し歩きましょうか…。」

会社帰り。

彼女のいつもの香り…。

白バラを思わせる甘い香り。

この香りに手を伸ばしたくなる。

「私、人を好きになるの臆病なの…。」

僕は映子をそっと抱きしめた。

ふっと消えていなくなりそうな彼女。

「どうしたの…、何かあったの?」

彼女は首を横にふるだけだった。

ホロホロと涙をこぼし、

僕を軽く抱きしめる。

運命の時計が

空回りをしている。

「私、海の向こうに行きたいの。」

ーまさか、僕のもとから去っていくのか…彼女は。

僕から行ってしまう。ふっといなくなってしまう。

全身の力が抜けていくのがわかる。

「ごめんなさい、ごめんなさい。」

彼女はくり返し言うだけだった。


ずるい…。


僕は吐き捨てるよう言った。


彼女をきずつけて

僕のもとを去っていった。


外は雨。

雨降り。

彼女が二ヶ月後、イギリスへ渡っていった。

雨模様。

いつかは止むだろう

そして晴れることだろう。


僕の心の雨もやがて止むだろう。


窓の外を見る。

まだ、真っ暗がり。

降りしきる雨が見えたのだった。



              おわり




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彼方(かなた) 恋下うらら @koimo

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