窓辺 第15話
どれぐらい時間が経っただろうか。体の緊張が解けたシャーロックは窓辺に座り込んでいた。父親は川で遊んでいたのを誰かから聞いたと言っていた、シャーロックを知る誰かに見られていたのだろう。
なぜ警戒を怠ってしまったのだろう。
なぜもっと慎重に行動しなかったのだろう。
後悔が募るばかりだ。
ぐるぐると同じことを何度も考えて時を過ごしていたが、ふと気にかかることがあった。
イーサンとロシュのことだ。
あの必死の聞き方から察するに、二人を特定出来ては居ないのだろう。
ひとまずそれは良かったが、このままバレることは無いと果たして言い切れるだろうか。
あの二人がわざわざ言うことは無いだろうが、自分を見たことのある街の人間がバラしてしまうかもしれない。
そもそも二人は明日の昼にここへ来るんじゃないだろうか、いや、確実に来る。
そうしたらどうなる?
外にも見張りが居ると言って居た。
つまり警備がいつもより厳しいということだ。
そして二人はそれを知らない。
お父様は僕が唆されて外に出たと思っている、もし二人がそうだと知られればどんな結末が待っているか想像に難くない。
さっきお父様が言っていた“僕が思っている事”とはきっとこの事だろう。
とにかく、何とか誰にも知られずに二人にここへ来てはいけないことを伝えられないだろうか。
シャーロックは何度も何度も考えた。
数え切れないほどの計画を思いついては穴を見つけ、使えないと捨てる。
そうしてついに、結論が出た。
誰にも知られずにというのは無理だという結論が、
たった一つを除いて。
だがその一つはシャーロックにとって余りにも耐えがたいものだった。
シャーロックは悔しくて悔しくて涙をこぼす。
ポロポロとこぼれた涙が、少し荒れた年頃の白い頬を伝い、落ちる。
川で少し濡れていたが、今ではすっかり乾いた服に落ちた水滴が滲み、そのまま吸い込まれていった。
イーサンとロシュに会えなくなるのは耐えられない。
二人が自分にとってどれ程大きな存在なのか、シャーロックは分かっていたようで何も分かっていなかった。
会えなくなってしまうのでは、と思って初めて本当の意味で分かったのだ。
かつて自分には何も無かった。
友だちも
大口を開けて誰かと笑いあうことも
喧嘩することも
仲直りすることも
ふざけ合うことも
イタズラすることも、全部二人に与えられたものだ。
そしてこれらは二人に会えなくなれば消え失せてしまうものだった。だからこそ、二人に会えなくなるなど考えたくも無いことだったのだ。
だが、シャーロックにはそれよりももっと耐え難いことがあった。
二人に会えなくなるより、幸せを感じる時間を失うことより耐え難いこと、
それはイーサンとロシュに危害が加わることだった。
普段、割と柔和な父があれほど声を荒げて怒りをあらわにしたのだ。
父には権力がある。
身分の低い二人をどうとでも出来るような権力が、大切な人が自分のせいで傷つくかもしれないのはもっと耐え難かった。
想像すらしたくなかった。
嗚咽をこぼしてさんざん泣いた。
何度かしゃくり上げると赤く泣き腫らした目で、部屋にあるオブジェを見る。シャーロックは顔を上げて滲む視界を手の甲で拭うと、決意した様に立ち上がった。
ずっと座りっぱなしで痺れた足でゆっくりオブジェに近づく。
暖炉の上に飾られたそれをつま先立ちで取った。
それは斧の形をしていた。
偽物なのでもちろん切れることは無いのだが、重量は本物と大差なかった。
切れずとも、何度か振るえば壊すには十分だろう。
シャーロックは斧を両手で持ちベランダに出る。三秒程パイプを見つめると、力一杯斧を振るった。
ガーンとすごい音が響く。
パイプは大きくひしゃげた。
外の見張りが声を上げ、扉の向こうの見張りが部屋に入って来るのが聞こえたが、
シャーロックは構わず何度も斧をパイプへ打ちおろした。
斧は重く、何より視界がぼやけていたので正確に同じ場所に打つことは出来なかった。
「シャーロック様!何をしておられるのですか⁉︎」
見張りが驚いた声を上げる。
ガーン、ガーン
打ちおろす度にイーサンの顔が浮かぶ。
ロシュの顔が浮かぶ。
笑った顔、怒った顔、悲しい顔、ふざけた顔、悪いことを考えている時の顔。
打ちおろす度に声が聞こえる。
『シャーロック』
名前を呼ばれる。
「っ、、」
嗚咽を抑え込み、尚も打ち続ける。
シャーロックが武器を持ち暴れて居るせいで、見張りも迂闊には近づけないでいた。
『俺はイーサン、よろしゅうな』
『貴族の女は自分のこと俺って言うのか?』
走馬灯のように記憶が駆け巡る。
『大人になってもずっと一緒におんで!』
この言葉が現実になったらどんなに幸せだっただろうか、
ガラガラッ、、ガシャーン
一際大きな音を立ててパイプは崩れ落ちた。
その音はシャーロックの中からも聞こえてくるようだった。
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