窓辺 第9話

 シャーロックはロシュに手渡された服に着替える。彼の服装はどうやったってスクラップタウンでは浮いてしまうからだ。

薄汚れた服を着て、整えられた髪を乱し、プランターの土を顔に少し塗れば、誰も貴族の息子だとは思うまい。

そう思っていたのだが、どうも取ってつけた感が否めない。

所作に滲み出る気品は見た目を変えた程度では拭えなかったのだ。

しかしこれで問題は無かった。

なぜなら貴族がスクラップタウンに来ることは無いし、スクラップタウンの住民にその違和感を感じるような経験は無かったからだ。

そんな感じで、変装は成功していると言えた。ベランダの塀を乗り越えるとパイプを伝って下まで降りる。

冷たいパイプの感触が手に新鮮だった。

噴水の音が聞こえて来る。舞い上がった水飛沫が月明かりを反射してキラキラと光った。

整えられて芝生踏み締め、規則正しく並ぶ木々の庭の陰になっているところを素早く走り抜ける。

赤毛は時々振り返り、貴族の少年がちゃんとついて来ているかを確かめていた。その様が、子猫を心配する母猫のようでシャーロックは少しだけ気恥ずかしくなる。

大丈夫だと言う事を伝える為にも、しっかりついて行かなければ。

ロシュは屋敷から一番近い垣根の、ある地点まで来ると、屈んで垣根の一部をを引っこ抜く。四角く切り取られていたそこから外に出てもう一度そこに引っこ抜いた垣根を押し込めば、もうどこに穴が空いていたのかも分からない。

こんな風に入って来ていたのか、、

シャーロックは妙に感心しながら小さく頷く。冒険みたいで楽しくて仕方なかった。

 石畳の街をコツコツと小さな足音を響かせて二人は歩く。右に左に進んでしばらくすると、大きな川が見えて来た。川向こうで縦に細長い建物がチカチカと光っている。

「あれがスクラップタウン?」

シャーロックは光る建物を指差して聞いた。

「あれは中流の奴らが住む町。スクラップタウンはもっと奥」

ロシュはそう言うと、その方向には向かわずに右に曲がる。

「どこ行くの?」

シャーロックは赤毛を追いかけながら問いかけた。

「イーサン迎えに行こうかと思って」

ロシュは前を向いたままそう答える。

 少し歩くと、離れが三つほどある大きな家が見えて来た。柵で囲まれた庭にはひまわりが咲いており、車が三台停まっている。

赤毛の少年はひまわりの咲く花壇の方から敷地内に侵入すると、シャーロックを手招きした。

「ここは?」

「イーサンの家だ」

「家⁉︎」

シャーロックは驚いたようにささやく。こんなに小さな住まいは初めて見た。

だって、ちょっと歩いただけで家に入れる。玄関まで車を使わなくていいだなんてそんな事があるとは思わなかった。正直、少し豪華な警備の屯所だと思った。

シャーロックが早速の衝撃に目を白黒させていると、声が聞こえてくる。

「まだ喧嘩中か、」

赤毛は少し呆れた様に呟いた。ロシュはシャーロックの手を引いて家の中が見える位置に来ると、屈んで身を隠す。

長く伸びた草に二人は上手くまぎれる事が出来た。

「俺の話も聞いてぇや!」

「聞く価値のある事など何もない!お前が友人だと言うくだらんと奴らは、お前がどう弁明しようが私が認めることは絶対に無い!」

イーサンと大人の男の言い争う声だ。ロシュの話から察するに父親だろう。

二人が隠れている場所から窓が見える。カーテンは閉まっていなかった。大きめのテーブルがあるのでおそらくリビング。あんなに狭いが、きっとリビングなのだろう。

そこに、親子はいた。

二人の言い争う声を聞きながらシャーロックはロシュに尋ねる。

「どうしてイーサンはあんな喋り方するの?最初はイーサンが上流貴族じゃないからだと思ってたんだ。でもロシュはああやって喋らないし、お父様も違うみたいだし、」

「ああ、あれはイーサンの憧れの人の喋り方だ。真似してる」

ロシュは声を潜めて答えた。

「憧れの人って、、」

シャーロックが再び尋ねた時、家の方から大きな音がした。

二人は同時に音の方に顔を向ける。

父親は荒げていた声音を少し落とすと、諭すように言った。

「ろくでもない奴らとつるんで自分の価値まで落とすことは無いんだイーサン、お前は医者の子なんだぞ。それにただの医者の子じゃない、上流貴族付きの医者だ。

何不自由なく暮らせるだろう?お前は他の人間とは違うんだ、頭だって良い、私より優秀な医者になれるのは間違い無い程に!」

父親は息子を見る。どことなく悲痛な表情を浮かべていた。

「だったら、その優秀な息子の話聞けや」

イーサンは小さく呟く。

「、、、ハァ」

父親はしばらく沈黙した後、深いため息をついた。

「お前にはガッカリした。もういい、寝なさい」

ふるふると首を振ってそう言うと、リビングから出て行ってしまう。

 シャーロックはバタンと勢いよく閉まる扉に軽く肩を震わせる。あんな風に乱暴な人間は見た事が無かった。

完全にいなくなった事を確信したロシュは、シャーロックを連れて窓に近づく。

シャーロックは背伸びして、窓をそっと叩いた。

コン、コココン

音に気が付いたイーサンがこちらを見る。

不機嫌だった緑の瞳が嬉しそうな、それでいてどこか困ったような色に変わった。

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