第3話

 寝れない、と妻が口にした。ときどき二人してベッドにもぐりこんでも眠れずにずっと寝返りをうち日はある。妻は特に

「若いから寝てらんないの」

 などとのたまう。元気だ。

 腕枕をして抱え込んでいる俺は寝返りのたびに起こされて、結局眠れない。

 いや、歳のせいじゃないはずだ。


「おはなしして」

「子供みたいなおねだりだな」

「子供な私は嫌い?」

「愛してる」

 額にキスすると愛されている者の特権で彼女はとても嬉しそうに笑う。

そのくしゃりと、真っ白い紙を握りつぶしたときのような音がしそうな微笑みを、脆くて愛しいものとして俺はときどき取り扱いに困るくらいだ。

「今日はなんの話にしようか」

「なぁに」

「俺が嫉妬していたのは知っていたけ?」

「・・・・・・なにに?」

「俺と君の出会ったアレ」

 彼女は女優になることを夢にして田舎から飛び出してきた女の子だった。白い肌に燃える赤毛、見つめていると吸い寄せられる青い瞳。なにもかも神秘的だが、それ以上のものはなかった。きっと磨いたら輝く原石だったがチャンスがなかった。だから自分で掴むために飛び出してきた彼女はバイトと訓練の日々を費やして、ようやく勝ち取った陳腐なドラマの役にはりきっていた。

 正義と悪の組織がぶつかりあうというありきたりな、みんなが大好きなわかりやすいドラマ。

そのドラマの悪役が俺で、彼女ははじめ名前はあるが、ほとんどエキストラの役どころだった。

 ちょうど、そのころ、スランプなころはあった。

 だからだろうな。あんなことをしたのは

「あなたがアドリブで私のことかっさらったやつね」

「君は俺に蹴りをいれた」

「殴り合ったわね」

「監督は大笑いしていたな。そんなシーンはないぞって、けど、ウケた」

「そのとき、脚本書いてた人、その場で書き直しを命じられて可哀想だったわ」

「俺が見てるときは閃いたとかいって一心不乱にシーンを書き足して楽しそうだったが」

「もう」

 彼女が細い手を伸ばして、俺の頬を軽く叩いた。

 アドリブから監督と脚本家がいいぞやれやれとプッシュして増えた彼女のシーンのおかげで俺はそのドラマを心から楽しんだ。彼女も。

 ただし、彼女はそのドラマのそのシーズンのあと引退した。俺が、彼女に求婚したから。出来たら、こんなスポットライトと心が辟易する世界から彼女を引き抜きたかったからだ。

 あとは

「君はあのときの俺に恋をしたんだよな」

「そうね」

 そのあと

「昔から、あなたは私の憧れの人だったけど。だって、ドラマに映画に、バラエティ番組にも出てたから顔を知ってた。近くで見たあとはすごいオーラがあった」

「そんな俺を蹴ったんだぞ」

「襲ってきたのはあなたよ」

 二人で睨み合って、笑いあった。

「君があまりにも目立つから」

 目に痛いほど彼女は美しかったから。

 俺と、あのときの役の男の心を捉えるほど。きっと飢えた心は同じだったのだろう。

「君はあの役の俺に恋をした。いや、あいつに恋をした」

「あいつって、もしかして、・・・・・・彼のこといってる?」

 ドラマの悪役である男。彼女に恋をして改心してヒーロー側に寝返るダークヒーロー。彼女ともどもドラマの最後に逃げ出す結末――陳腐だが、視聴率はよかった。俺のやった役のなかでかなりヒットした。

 彼女は出会ったころから、彼に恋をしていた。俺が演じる孤独な悪役に。

 俺は、いつも自分ではなくて彼を――俺のやった男に嫉妬していた。彼女から無償の愛を捧げられ、愛されている。

 ドラマの撮影中、俺がどんなに彼女にアプローチしても彼女はいい顔をしなかったが、彼が――ドラマの悪役だぞ! ――誘うと嬉しそうに応じる。

 俺とデートしても、彼のことを話題にしてきた。

 当時は腹が立ったし、嫉妬もした。

 ちらりと見ると、妻は少し照れている――あいつのことを思い出しているのか? ――訂正、やっぱり今も嫉妬する。

 だから俺はドラマの終わりに、あの男を妻から取り上げた。本当は好評だから出てこのまま次のシーズンもメインキャストとしてどうかというオファーに俺は頑として受けないとつっぱねた。ドラマのなかに生きるあの男を封じ込めて、葬り去った。

 そのくせ、俺は彼を、理由に妻にアプローチをして、こうして結婚までこぎつげた。

 ついつい役にのめり込んで相手に恋をして、そのまま・・・・・・珍しくない結末だ。

「君は彼が好きだろう」

「好きよ。彼の孤独とか、強さとか、けど、ドラマよ。私の好きなのは生身のあなたよ。ばかね」

 手を伸ばして、重ねて、じゃれてくる。

 妻は俺の大きな手が好きでよくこうしてくる。撫でると喜ぶ彼女を見ると、心が穏やかになる。どんなに疲れても、苦しくても、まだ生きようと思える。

「君は俺に恋した目をしなかった」

「憧れのスターだもの。神様みたいに眩しかったのよ」

 ベッドのうえで二人して見つめ合う。黙っている俺に彼女は声をあげて笑った。

「やだ。むすっとして・・・・・・ドラマの悪役は、役として見れるからなんなく話せたのよ。彼を話題にして、あなたに近づきたかった。緊張と憧れでがちがちの田舎娘の私のこと、ちょっと意識してほしかったの」

「ずっとしていた」

「じゃあ、私たち、互いにびびっときたのね。私、あなたに生身であったとき、この人と結婚するって思ったもの」

「俺は目が離せなかった。びびも、結婚もなかったけど」

「あら、じゃあ、私のほうがあなたを好きね。ねぇ、まだ彼に嫉妬してる?」

「少し」

「ヤキモチやくあなたって、セクシーで好きよ。だからもうしばらくは彼のこと好きでいるわ。いっぱいヤキモチ焼いててよ」

 妻はくすくすと笑って懐の潜り込んで目を閉じる。頭を撫でて額にキスをする。

 自分でやった役なのに、――心のなかで俺のなかにいる彼が嘲笑っている。盗まれてたまるかと俺は目を閉じて深く息をして、妻を抱きしめる。この女は俺の妻だ。お前にはお前の愛する女がいるだろう。

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