地球食

蒲鉾の板を表札にする

第1話

先ほどまでは虫が鳴く声だけがこの静かな土地に響いていた。

どこから来たのか。突風が吹き荒れ、トウモロコシの大群がガサガサ揺れた。時刻は19時。地球人の見知らぬ飛行機のようなそれは、ヘリポート未満のとある畑に着陸した。


「さむいね」

地球はこの時期、例年23℃くらいの気温だったはずだが、その晩はやけに冷えており、だいたい、16℃くらいに感じた。氷河期が近づいているのが分かる。

今晩の時季外れな冷え込みは、二体の移動には最適の気温だった。もとの星からこの国の天気予報を確認して、今夜、地球に到着するように出発していたのだ。

「そうかな?」

「この体にまだ慣れてないのかも」

「ちょうどいいよ。さむがりめ。もう少し待てば、この星の夜も暑くなるよ」


Bは急に立ち止まった。

荒っぽくなぎ倒されたトウモロコシを畑からもぎ取り、大きな葉をばりばりとむしって、元あった畑に捨てた。はじめてのそれをどう食べるのか、よく分からなかった。だが、もぎ取った幹のような部分とつながっていた箇所がこれの持ち手のような気がした。

そして、もさもさとした毛がついたほうを上にして、がぶり。一口、黄色い実を口の中ではじけさせると、それは、聞くところによる果実のようにジューシーで甘かった。その汁が垂れた前足をなめると、これまた数分後のべたつきを容易に予想させる糖度の高さだった。

「あらら。これ、美味しい」

「何だか食べやすそう」

「いや、食べにくい。持ち方が違うのかも」

「横にした方がいいのかな」

むしゃむしゃと頬張るBにつられ、Aもたまらずにそれを畑から勢いよく折った。

「ここは食べ物に困らないね。この、黄色いのだけでもこんなにある」

「お、やっぱり横だ。粒と歯列を合わせると食べやすい」

Bは、もう夢中で食べた。Aもまた、同じようにして食べている。しばらくそうしているうちに、Bが言った。

「ねえ、見て。月があんなところに」

今夜は満月だ。Aは空を見上げて、少し驚いてからうっとりとした表情になった。


畑に停めた離着陸機から1500mくらい離れた道を歩いていると、明かりのついた民家が見えた。

それは、予想よりはやい段階での発見だった。その家からは何かを揚げた油のにおいと、野菜や果実を煮詰めた甘辛いにおいがした。

「あったかそう」

「お、きっとこの畑のヒトの家だね。入ってみようか」

長旅で空腹の二体は、不用心に鍵の開いた勝手口から静かに侵入した。この星のマナーが分からないため、限りなく静かに。

その家にはネコがいた。入ってすぐのところにある風呂場は、先ほどまで何かいたのか、まだ暖かい蒸気が漂っている。そこに白くてまるい、少し太ったネコが、そのぬくもりを求めるようにずっしりと居座っていた。

ネコの四本ある足は、どれも柔らかく、ほのかに甘いにおいがした。その風貌とまろやかな香りは、この星に来るまでによく読んでいた『食文化から見る日本史』に載っていた和菓子のように思われた。

しかし、二体はそれを手にとって口に運びたい衝動を必死に抑えなければならなかった。

「これって、誰かの食べ物だよね」

「うん……でも、美味しそう」

Bはネコをじっと見つめながら言った。

「じゃあ、あとで謝ろうか。珍しい食べ物かも」

Aも見つめたまま答えた。

「そうだね。でも、一匹しかない。Aが食べていいよ」

「いいよ。あげる。さっきの二本食べたの。これはあげる」

Bが、珍しく食料を「お先にどうぞ」とAに譲った。Aは、ネコの「しっぽ」と呼ばれる一本だけ長く伸びた部位をかじった。その瞬間、ネコは大きく鳴いた。前足の爪でBを引っ掻こうとしたため、Bはすかさず、その前足を折り、ネコを絞めた。

「うわっ、さすが。まだ絞めるのは無理だな。何か怖い」

普段からこのネコはよく鳴くのか、その家のヒトは一匹もこちらの様子を見に来なかった。その鳴き声がやむと、Aはナイフを取り出した。

「怖いっていうけどさー。命をいただくのってそもそも怖いことでしょ」

「そうなんだよなー。そうやって覚悟もたないと駄目なんだよね」

Aは肉を切り分けた。Bも料理はできないほうではないが、刃物の扱いには自信がない。

Aは床の上で血まみれになった足やその内臓を食べた。

「あ。これ、ちょっと古いのかな。あんまり美味しくないかも」

「そう?私は結構好きな味。というか、ここだけ美味しいのかな」

そういって、Aは「しっぽ」を半分、Bにあげた。Aは、いつも自身が美味しいと感じたものをBに分ける。シェアが好きなのだ。だから、いつもすみませんね、とBもときどき美味しいものはお裾分けするようになり、二体の親交は深まった。そして、食い倒れ日本旅行を決行するに至ったのだ。

「本当だ。香りがいいのは足なのに、旨味が強いのは尾の方だ」

「毛、やっぱり邪魔だね。口の中でチクチクする」

「ね。イヌよりは美味しいけど、うーん。もういいかな」

毎回、食べ残すときは申し訳ない。だが、不味いものを無理して食べていたら胃がもたない。だから、仕方がないのだ、と言い聞かせるのだが……やはり少し後ろめたい気持ちになる。しかし、何より、旨いものを見つけるため、この星に来たのだ。というのも、わざわざ胃のスペース確保のために離着陸機からも降り、運動を兼ねて食べ歩きをしている。二体は納得したものだけで、腹を満たしたいのだ。


「ちょっと、あっちも見に行ってみようか」

そういってAはその家の廊下を進んだ。

「だね。あ、お粗末様でした」

「それは『ごちそうさま』って言ったあとに、言われた側が謙遜していうやつ」

「でも、ご馳走感、なかったなー」

「うーん。こういうとき、何ていうんだろうね」

二体はこの星に、この国に来ることを決めた日から少しずつ、旅行の計画とともに語学の勉強も始めていた。なんと真面目なことだろうか。この星でスムーズに食を楽しむためだけに文化を学び、言葉まで取り込もうとしているのだ。しかし、まだまだ会話を成立させるには程遠いようだ。

ところで「頂いたものがご馳走ではなかったとき」日本語では何と言うのが正解なのだろうか。命を「頂きます」そして、食物に対して「ごちそうさま」とすると、やはり料理人が「お粗末様」と返すのは見当違いなのである。

となると、「ごちそうさま」は料理人への賛辞と捉えることができる。「ごちそうさま」、「お粗末様」問題は謎のまま、勉強熱心な二体に語学教師の知り合いがいないことが、ただただ悔やまれた。


二体は民家の探索を始めた。その家は木造平屋建てで築四十年は経っているであろう古い建物だった。玄関を開けるとすぐ左手側に階段があり、二階へ続いている。右手側には六畳ほどの和室があるだけで他に部屋はない。一階は台所、居間、風呂場、トイレという造りになっていた。

「この家、やっぱり縁側がある!うわ~、良い感じだ。ここに来てよかった」

「お、ビンゴ。縁側は絶対条件だったもんね。私はバルコニーでもよかったけど」

「あのとき観たのに似てる!一緒に来てくれて本当にありがとう」

到着が夜になってしまったので、その正確な様子はつかめなかった。だが、むかし一度だけ観た番組に映った「縁側」に憧れていたBは、そこにある実物に腰掛け、大いにはしゃいだ。

AはBの小さな夢を初めて聞かされたときから、それを叶えるため、遠い星の建築様式をただ、ひたすらに調べた。要領のいいAにとっては何てことない、友人思いの行動にすぎなかった。

だが、それはBにとって幻の再確認だった。まだ幼い頃、夜更かしをしていた際に受像機で見たタイトルの思い出せない番組。画面の中にあった穏やかな時間の流れる「縁側」での風景。しかし、Bはそれをうまく伝えることもできずに実際にその番組が存在していたのかどうかも定かではなくなってくるような感覚に何度も陥っていた。まさに、夢に見た幻だったのかもしれないという不確証性を帯びた「縁側」。

だから、その実物に触れるという体験は、幼少期に見た幻が現実のものであり、遠くの星の小さい国に実在していたということの証明になった。

そんなBに対してAは「縁側」の在り処を突き止める際に、間違えてぶつかった「バルコニー」や「ベランダ」など、いわゆる洋風の、ヨーロッパ的な場所でとる朝食に少しだけ思いを馳せていた。だが、Bにはヨーロッパへの旅行経験があったし今回はあくまでも「縁側」のため、と自身の憧れはまたいつか、と後回しにすることにした。二体の地球旅行は恒例行事にしようと決めていたため、Aは急がずとも「バルコニー」で食事にありつけることを知っていた。


「……きゃあ!わっ、ねえ!もちこちゃん。ちょっと!もちこちゃん!お父さん大変、もちこちゃんが!」


AとBが食べ残したネコ「モチコチャン」をみたその家のヒトが絞める前のそれと同じように大きく鳴いたのが、少し離れた場所から聞こえた。二体は、やはり食べ残すのはマナー違反だったか、と勝手口の方へ、こそこそと様子を見に行った。一匹のヒトが鳴いたあと、仲間のヒトも駆け付け、その二匹はモチコチャンの食べ残しに手を合わせた。

「……最近、この辺のイノシシが悪さしてんだ。もちこ、痛かったなあ。可哀そうに」

一匹の老いたヒトが言った。

「私たちも耳が遠くなっちゃったから。もちこちゃんの最期の鳴き声もよく聞こえなかった……」

二匹は悲しそうに見えた。それは、食べようと思っていた冷蔵庫の食材が、すでに別の者によって食べられていたときのような無力感と怒り、悲哀のようだった。

その表情を見ているうちに、AとBはなぜだか涙が出てきた。この生き物たちのことを思うと、なぜだかわからないけれど、とても悲しい気持ちになったのだ。それはきっと、まだおなかが空いていたから。

「ヒトだ。B、食べたことある?」

「いや、絶対食べない。食わず嫌いだけど。調べたらヒトは洗剤で体を清潔に保つらしくて、その洗剤が何ともまずそうだったよ」

「洗剤ねー。そりゃ駄目だ。無農薬じゃなきゃ」

「イヌ食べたときも酷かったもんね。どっちも科学的なもので洗浄してるから、要は同じでしょ?」Bはイギリス旅行で食べたイヌが、いやに印象に残っていた。

「いや、整髪料とか香水とか、イヌより不味い。駄目。Bにはあげられない」

ヒト二匹がひっそりと手を合わせるその姿は「いただきます」と「ごちそうさまでした」のポーズに似ていたが、ヒトは決して美味くはないネコを食べるのだろうか。しかも、二体の食べ残しを。二匹は泣いていた。

二体にはそれが理解できなかった。しかし、何か大切なことをしているように思えたため、邪魔しないよう、そっとその場を離れて、また家の中を歩き始めた。


台所には六メートルほどの高さの食器棚が置かれており、中には皿などの食器類が入っていた。調理台の上には大きな鍋が一つあり、蓋を開けてみれば中身はすべて空っぽであった。

次に居間を覗いてみる。そこにはテレビ、小さなちゃぶ台、座布団などが乱雑に置かれていた。

「でもさ、ヒトが食べてるものって美味しそう」

「うん。この家も、なんだかいい香りがする。香ばしいのと、しょっぱそうなの」

「たぶん、今晩は『トンカツ』だよ。知ってる?」ちゃぶ台の上の質素な食事を指し、Aは言った。

「『トン』はブタだよね。イノシシに似てるやつ」

「うん。たぶんイノシシの安いやつ。それにニワトリのタマゴとコムギで作った『ハクリキコ』と『パンコ』をつけて、油で揚げるの。揚げるってのは、アメリカのフライドポテトみたいな調理法なんだけど」

「それ、この前観た!じゃあフライドポークってことね」

「そう。フライにすると、この『パンコ』ってのがカラっと揚がって、サクサク香ばしいんだ」

「うわ~、いいな。『トンカツ』にかける『ソース』のにおいもしてるよね。あれはイギリス行ったときに見た。でも、イギリスのは……あんまりだったよ」

「いや、日本のソースにはきっと驚くよ。今のうちに『晩御飯』もつまませてもらおうか」

ヒトの晩御飯がネコに変更されたようだったため、二匹がバタバタしているうちにAとBはそれを食べてしまうことにした。


「いただきます!」

前足を合わせると二体は同時に叫ぶように言った。まずBが皿の上のものを口にした。Aもそのあとを追う。

一口食べた瞬間、Bの顔つきが変わった。はじめてのトンカツは、聞いていたものよりも薄いブタに若干ベチャっとした衣がついており、舌の上にいつまでも余韻が残るものだった。しかし、それもまた風流と言い聞かせ、付け合わせのキャベツにもソースをかけた。

「ねえ、トンカツのメインって、この『キャベツ』のほうかも…A、こっちの野菜食べてよ」

「わ!本当だ。美味しい。こっちだ!野菜、美味しいね。ソースも思ってたのよりガツン!って感じ」

しゃきしゃきの千切りキャベツに分量を意識しながらソースをかける。どんなに美味しいものでも重要なのは分量。かけすぎてはいけない。まさに匙加減だ。

トウモロコシ農家はキャベツ農家でもあったのか、メインのトンカツよりもちゃぶ台の真ん中にどさっと積まれた薄緑のそれの方が、よっぽどリッチに感じられた。

「あー……」

声にならない感嘆が漏れる。次の一口をとろうとすると喉が口の中に広がる甘みを想像して勝手に鳴る。

「『ミソシル』あったまるよ。この星で、これ食べられるのって日本だけらしい」

「このカイソウがね。私これ好きだけどな。トウフも好き。オミソも好き」

お椀の中でミソがもわっと醸されている。それを箸でかき混ぜて、対流を起こし、緩やかな塩気とダシの旨味を満遍なく汁に行き渡らせる。冷えた食道に流れていくのが分かる。あたたかい健康の味。

Aは次にご飯に箸をつけた。炊きたてなのでまだ熱い。しかし、それがいいのだ。一口サイズにして、口の中に放り込む。ふっくらした食感と共に米粒から熱気が溢れてくる。

「油っぽいトンカツからさっぱりしたキャベツ。で、またトンカツ。からのほかほかゴハンをあったかいオミソシルで流す。これが幸せだわ」

Bは思わず呟いた。

「おいしい……」

「このコメという穀物が素晴らしいね。そして、それを生み出した大地に感謝するべきだ」

「確かにそうだ。でも一番はやっぱりミソだよね」

「その通り。日本人はこの味噌がなければ生きていけないよ」

 二人は顔を見合わせて笑った。控えめながらサクッとした歯ごたえの後に続く、キャベツのシャクシャクという音。噛むほどに味が出るとはこういうことかと思うようなコメの甘味が広がる。

「ミソ、持って帰りたい。買って帰ろう。皆に作ってあげたい」

「だね~。オツケモノもお土産決定。これCさん好きなやつだ」


サクサク、もぐもぐ、シャキシャキ、ごくごく、ポリポリ。じんわりとしみる庶民の味だった。Bによるとヒトは食べ物にはならないが、ヒトの作る食べ物は一流だ。二体はすっかりご満悦である。

この星には「バイキング」や「ビュッフェ」という、たくさんの味をこまごまと食べることのできる食事形式があるという。ここは、元いた惑星でもずば抜けて食への探求心が強いAとBにはうってつけの星だったのだ。だから、二体は仕事の休みを合わせて地球に旅行に来た。

「ごちそうさまでした!」

二体は声と前足をそろえて、悲しそうにネコを見るヒト二匹に一応声をかけた。だが、聞こえているのかいないのか、特に反応はなかった。


民家から離れ、また少し歩いた。それでもまだ、二体から見えるのは畑だった。

二体はそのままの姿では地球で自由に動くことができなかった。だから、現在はもとの星にもいたイノシシの姿を借り、この田舎を闊歩していた。それは体内に取り込んだもの、つまり食べたものにしか擬態できないためだった。だが、その仮の姿では、どうにもレストランのあるような都会までは行けそうになかった。


「この星の生き物の形になろう」

「よしきた。この土地で初めてのメタモルフォーゼだ」

Bが嬉しそうに応えた。Aも嬉しかった。二体は、初めて出会ったときのことを思い出しながら変身した。

二体はぼんやりとした光に包まれた。その光が消えると、もうそこに動物はおらず、あたりには静寂が訪れた。


そして一体はネコに、もう一体はまだ若いヒトになった。

Aの姿形は、ヒトのオスに似せたものだった。身長は一.八メートルほどの中肉中背で肩幅が広い若者。目鼻立ちはくっきりしており、艶やかな黒髪だった。肌の色はやや浅黒く日焼けしているようだ。これは地球の環境に合わせて変化した結果だ。

「げっ、A、ヒト食べてたの?おえぇ……」

Bは口を押さえながら、吐き気に耐えていた。二体とも地球生命体の形をしていても、中身はまったく別のものだった。

「うん。実は何匹か。赤ん坊とか、子どもならまだそんなに不味くないかと思って」

「……で、どうだった?」

「20歳はもう駄目。5歳も。Bにはあげられない。でも」

「うん」

「生まれたてのヒトは、美味しい」

Aが夜空を見上げながら頷き、うっとりした顔で言った。

「いやぁ、でも、うーん……」

「食わず嫌い王」

Aがあきれたように言う。

「……違う。いや、うーん。……ちょっと。やっぱり興味ある……かも」

「それならさ」

二体は意気投合して前足と手を取り合った。

「よし!じゃあ今度、都会に狩りに行ってみようか」

「いいね。アグレッシブグルメツアーだ」


こうして、二体の宇宙人による『地球人食化計画』が始まった。

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