内田古書店前、凍てつく

蒲鉾の板を表札にする

第1話

生まれた通りは、幸運なことに長生きできるらしかった。ここに二日前からいるという先輩に聞いたところ、大体みんな十二月下旬誕生の三月中旬没死。この本屋通りはいつだって日陰だったから何とか、三月十五日そこらまで生き抜くやつが多いようだった。俺は、先月下旬に生まれた。だから、やっぱり平均寿命なのかな。それでも、隣のやつに比べたら身体には自信があった。なぜなら、ここを通る人は大抵俺の上で滑ったからだ。他と比べて分厚いし、盛り上がりもある。他より長生きできる自信が、少しだけあった。


向かい側、花屋通り生まれのやつらは、不運だった。日当たりがよくて、三月の頭には数えられるほどしか、生き残っちゃいなかった。直接、言葉を交わしたことはなかったが、顔見知りの彼らが消えてしまう日は自分のことのようにつらかった。あと、十日くらい。余命をどう過ごすべきか。俺たちは人間ほど選択肢を持っていなかった。所詮、内田屋に来る客の観察とか、隣で粘っているやつとつまらない世間話をするとか、その程度だった。


そもそも、本屋通りと花屋通り。日に当たると悪くなるから、日陰のこちら側には本屋が多かった。なので、そのまま通称本屋通り。反対側は日当たりがよく、花が生きて見えるため、花屋が数メートルおきにあった。だから、そのまま花屋通り。安直な商売人の多い街だった。

そして、こんな街の老舗古本屋であり、俺が居座っている内田古書店は、今年で創業八二年。だから、店の前にあるバス停の名前も「内田古書店前」。なかなか潰れそうにはないから、安心してうちの前に停留所を作ったのだろう。ここで降りた人は、まず、俺で滑らないよう慎重に、出口付近の手すりにつかまり、ゆっくりと、右足もしくは左足を俺に下した。氷としてやりがいを感じる瞬間は、最新の「転ばない冬靴」みたいなのを履いた人を転ばせることだった。


内田屋は一見、入りにくい古びた外装だ。よく言えば、趣がある。だが、停留所になっているおかげで、この街では一番繁盛していた。

古書といいつつ、漫画好きの息子が、店の大義名分を使って、常に最新作を仕入れた。しかし、普通の本屋でも手に入る本はネットでも簡単に手に入る。だから、息子の話題作へのアンテナ以上に父親の情熱みたいなものの力の方が大きく感じた。

古書というからには、インスタントでは手に入らない本を揃える必要があった。父親の方は「この前ご購入された『アジア諸民族体系全書』、もしお読みになられて、もう手元になくても、ということでしたら、よければここでお売りになりませんか」と客と客をつなぐような商売をしていたのだ。そして、要望通りの取り扱いがなかった品まで用意した。客を愛する店だったから、客に愛される店だった。

 

ある日、隣の半田書店の前で老婆が転んで腰の骨を折った。半田書店は文芸の取り扱いが豊富で、その老婆は、内田屋の前で降りて、半田屋に行く見慣れたばあさんだった。

「いやぁ、富山のおばちゃんが怪我しちゃってさ」

「あれ、節子さんか。うちの前歩いて半田さんところで気抜けたか」

「うーん、うちの前も結構、凍ったからね。逆に向かいの花風堂さんの前はべちゃ雪だしな」

「そろそろ向こう側は溶けるのかね。今年もなんだかんだ降ったもんな」

半田屋が「俺、ちょっとこの辺の氷割って回るわ」と言った。すると、内田屋も「あ~そうするか。なら山田さんも誘うわ」と言った。山田屋も「半田のお客さん腰やったって?いや、何とかしないとって、カミさんと言ってたの」と言った。

言った。言った。みんなで言った。こいつらの意志が固まったせいで、俺たちの寿命はあと十日も持たないことが明らかになった。死ぬまでの間をどうやって過ごすか、何かをしようにも、何をすればいいのかわからない。氷たちは毎年、こんな思いで生きていたのだ。雲の中にいたころは知らなかった。殺されるまで、いつも通り生きるしかなかった。


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