ふとうめいな部屋

蒲鉾の板を表札にする

第1話

夜、そこが数センチでも開いていると中からなにかが出てきて私を捕まえに来るような気がした。だから、むかしからクローゼットが怖かった。

ちょうど服がだらりと垂れたのもおばけみたいに見えた。たとえば白いワンピースなんて、そこからいくらでも髪が長くて挙動不審な女がやってきそうだった。だから、いつでも私はクローゼットをきちんと閉めていたし、服もできる限り整頓して、そもそもだらりとしたフレアっぽい服は着ないようにしていた。

三年前に付き合っていたケイスケには「しずちゃん、あんまりこういう服着ないよね。もっと女の子っぽいのも似合うんじゃない?」と柔らかな印象のスカートやワンピースを勧められたことが何度かあった。ケイスケのタイプは私の容姿とは正反対の見るからにかわいらしい女の子であり、そういう好みの押し付けやモラハラのようなものが嫌であまり長くは続かなかった。

だが、そのような押しつけ以上に戸棚や服が大人になっても怖いのだ。だから長くてひらひらした服は着ない。怖がりのせいで髪も伸ばせない。入浴中に浴槽を漂う長い髪なんて想像しただけでゾッとする。ああ、ふと見上げたときに自分が亡霊みたいな姿だったらどうしよう。こんな、幼いころの恐怖心をいまだに持ち続けていることは少し恥ずかしい。

いま住んでいる家はケイスケと同棲していたときの家をそのまま借り続けているから、なおさら一人でいる感覚があって嫌だ。しかも、母が病気で亡くなってから、すぐに同棲を始めたため、彼と別れて一人暮らしを始めた二六歳当時は余計に慣れなかった。いまでも夫の帰りが遅い一人ぼっちの暗い夜は好きにはなれない。だからといって怖いから早く帰ってきてなんて言えない。


深い夜、部屋の天井のシミが私を見て笑った。笑ったのだ。動いた、気がしたのだ。寝ぼけ眼が覚めてしまい、そのあと眠れなくなった。少しでも自分を守りたくて布団をシェルターみたいにして、ぬくもりの中にそっと閉じこもった。

さらに深い夜、トイレに起きて洗面台で手を洗っているとき鏡の中の自分が恐ろしい顔をしていて驚いた。苦手なのだ。変な時間に起きたものだから、その目はギラついていた。それは暗闇の中、手がよく見えるようにいつもより大きく開かれていた。

暗いだけで怖かった。明るいときは全てが私の範囲内であり、手に取るように何もかもの情報が得られる。視覚があるというのは、そういうことなのだ。暗闇は、ただ大きくて見えないもの。そいつが私まで飲み込んで誰からも見えなくさせてしまうようで怖かった。いまも怖いから小さい電気だけつけ、寝ぼけていても歩けるくらいには明るい状態で眠ることにしている。


小学校低学年のころ、よく母と一緒に風呂に入っていた。私は母の体を洗うのが好きで、特に背中を流すのが好きだった。当時の母はまだ若かったけれど、いま思えばすでに年齢相応に老いていたと思う。母はあまり丈夫ではなかったから、自分が守らなくてはとたくさんのことを手伝おうとした。きっと、何もかもが中途半端で余計に時間がかかってしまっていたことだろう。

 忘れもしない、一九九五年の一二月二十日。古い家だから浴室暖房や保温機能などはなく、いつもよりも少しぬるいお湯だった。寒いから浴槽に入ったままで半分身を乗り出して、いつもと同じように母の体を洗い始めた。

 その日は不思議と泡立ちが悪く、いつもより多めに石鹸をつけてこすり続けたが全く汚れが落ちている気がしなかった。母は働き者の手をしていた。だから、手の甲や腕などは特に入念に洗おうとした。体をこすりながらふざけた調子でいると、母がその上から手桶で湯船のお湯をかけた。まだ、きれいに洗えていないのに。

すると、その汚れた手が消えていた。「汚れが」ではないし、手だけでもない。母の体も自分の手も足も何一つ残っていない。ただ泡がぽつぽつとあるだけだった。一瞬のうちにすべては洗い流されてしまったらしい。

 私は驚いて大声を出しそうになったけれど何とか我慢した。怖かったのだ。叫ぶことで訪れるかもしれない、また別の展開が。

 ここで悲鳴を上げても誰も助けてくれないのはよく分かっていた。古い家で母と二人暮らし。浴室にも母と私の二人きり。消える二人きりの体。

先ほどまでふざけて歌ったりくねくねと踊ったりしていたのに急に締まりの悪い蛇口から湯船に垂れるぽちゃんという水の音が聞こえた。透明な母は声も出さずに戸惑う私をちらりと見ると目を細めて微笑み、いつものように「ありがとう」と言って透き通ったまま浴室から出た。

 何が起きたのか理解できず混乱していたが、とにかく急いで自分も服を着ると逃げだすように部屋に戻った。心臓がばくばくと音をたて、呼吸が乱れ、背中からは嫌な汗が流れた。部屋の鏡に映る私の頬は上気しており、ポカポカの少女が確かにそこにいた。同じように母も頭にタオルを巻き、居間でくだらないテレビを見ていた。毎週、急いで風呂から上がり真剣に見ていた大好きなバラエティー番組が、その日から実にくだらないものに思えた。あのとき透明になったのは、気のせいだったのか。はたまた体調管理の苦手だった私が熱にうなされてみた夢か。

 それからというもの冬になると決まってお湯ははらずにシャワーに入るようになった。夏もシャワーが多かったから、湯船につかるのは、ぼんやりした陽気の春と秋だけだった。

 母が亡くなってから五年。もうずっと自主的にお湯には浸かっていない。自主的に、というのはたまに入浴剤をプレゼントされることもあるため、そういうときに勿体ないからとお湯をはってみる。けれど、あの感覚を思い出すだけで恐ろしくなって体が拒否反応を示してしまいすぐに出て来てしまう。そうして湯船を眺めたまま呆然としている間に、時間は過ぎて行くのだ。


 二〇一四年の六月二九日。私は母の遺したコートに袖を通した。夏に突入しようかどうか、という時季に冬用のコートを出したままにしていたこともそれをどこに着て行くでもなく、ふと袖を通してしまったこともすべて。部屋の中で三十分ほど羽織り、暑くなって冬物を入れるケースに仕舞った。ただ少しだけ夏の訪れを遅らせたいと思った。夏はホラー映画や階段の類がグッと増えるから。

 その日の夜は何事もなく布団に入った。珍しく豆電球もつけずに真っ暗なままで寝てみたはずだ。因果関係は分からないが嫌な夢を見た。

けれど翌日、三十日。起きると窓辺で鳥の鳴き声を聞いたような気がしたしカーテンの隙間からも眩しい光が見え隠れして、非常に爽快な朝だったように思う。時計を見ると朝七時前。昨日の疲れが残っていたから、もう少し眠ろうと思ったのだが妙に目が覚めてしまい、そのまま着替えて家を出た。いつもとは少し違う、ルーティン外のことが多かったためか、一度部屋にカギを忘れてしまったが、そのあと取りに戻って、まだ気分が良かったので「家のカギ、よし!」と調子に乗り、指差し確認をして施錠した。

 電車に乗って会社に着くまで、ずっと外を眺めていたのだが、そのときは特に変わったことはなかった。普段と同じ景色が広がっているばかり。こういう日常を「つまらない」という人もいるが、私は何もない平坦な人生が好きだ。そうそうこれで良いのよとその日も通りに面した家のおばさんがごみ捨てに行く姿を確認した。燃えるゴミの日だった。

 いつも通り四ツ橋駅に止まり、先に降りる人に合わせ流れて降りようとしたとき、誰かが私の手をつかんだ。車内に引き留めようとした感覚があったのだ。おびえながらも痴漢なんかに屈してはいけないと思い、瞬時に睨みながら振り返った。

だが、そこにはスマートフォンを両手で持ち、腕に買い物袋のように鞄をかけているどうしたって人の手は掴めそうにないサラリーマンしかいなかった。しかも手をつかまれてぎこちなく躓いたことと睨みを効かせて後ろを振り返ったダブルタイムロス。そのせいでスムーズに降りられなかったし後ろに控えていたサラリーマンに舌打ちされた。

 まあ、私が睨んだからだと思うが、それは非常に爽快な朝が程々に不快な朝に変わろうとした瞬間だった。

 何が起きたのか分からないまま、とぼとぼ歩き、会社の扉を開けるとそこは薄暗くて、まだ誰もいないようだった。早く起きたから珍しく一番乗り。まあ、一番だから何だという話で特に何事もなかったかのように仕事をして一日を終えた。

いや正確には終わらなかった。会社を出て帰宅しようとした際、家の中に人の気配を感じたのだ。というのも、外から見ても分かるほどに部屋の光が漏れていた。日が昇る朝には部屋の照明をつけることはないし、家を出る際もしっかり施錠したはずだ。

 泥棒やストーカーの類かと思って警戒しながら家のカギを取り出し、慌てて靴を脱いだ。確かに部屋の明かりがついているし、テレビの音もする。だが、誰もいない。クローゼットや浴室など隠れられそうなところはすべて見て回ったが、荒らされている形跡や何かを盗られた様子は見られなかった。

 その日はいつもどおりでなければ、やはり型を破ってはいけないのだと豆電球をつけたまま床に就いたが結局眠ることはできなかった。同じ現象はその翌日もそのまた翌日も続いた。


 五日目、ついに照明以外の部屋の変化が見られた。私の家にはもうない、アナログテレビ用のリモコンが落ちているのだ。おかしい、何か変だと思いつつも結局同じ行動をとる。どうしようもない。毎日、ただ怖かった。しかし、このあたりになるとだんだん慣れてきてしまっている自分もいた。

実家で使っていたアナログテレビを同棲したときにも使い続けていた。その機種のリモコンと同じだった。母はよく、けらけらと笑いながらザッピングをしていた。その癖は私にも移っていて、「CMのたびにカチャカチャ触んのやめろ」とよくケイスケに言われた。合わなかった、色々。

 懐かしんでも怖いものは怖い。だが、家の明かりがついているとか知らないリモコンがあったとか、その程度のことでは警察に話しようもない。

毎晩、明日の夜はいつも通りになっているはずだと思いながら過ごした。だが結局一週間以上経っても帰ると家中の照明はまるで家主のためかのようにせっせと部屋を明るくしていた。


 異変から十二日目の土曜日。これまで私が家にいる休日は異常現象が起こらなかったため、午後はぼんやりしながら本棚にあった文庫本を数冊手に取った。居間のソファで寝転がって読んだ。そういえば、この本は母が好きな作家の作品で、生前によく読み返していたものだ。私はあまり本を読む習慣がなくて同じ棚に仕舞っていた漫画しか手に取ることはなかった。それでも小説の類は母の遺物だからとずっと捨てられずにいた。最近は不安定な状態が続いていたし、母が恋しかった。ふと好きだったものを知りたくなって、パラパラと何冊かの数ページを読んでみた。

 それらは外国人のミステリー作家のもので正直、私は登場人物の「スティーブン・マックイーン」とか「ヘンリー・マスターマン」とか「マイク・スチュアート」とかもう、その時点でよく分からなかった。

加えて、「マスターマンはマックイーンの部下で日頃恨みを抱えていて」みたいな相関図が全く浮かばなかったし、結局、だれが何によって死んで問題視されているのかもつかめなかった。漫画だって文学と似たところがあるだろうから、単純に私は小難しい話が苦手だったということになる。

現世から姿を消した故人について新しく知ることができた。母はこの、こんがらがったストーリーを楽しんで読んでいたのだ。分からないなりに本棚から浮かぶ母の姿がが嬉しかった。


 ここ数日の奇妙な現象はきっと、私があのコートに袖を通したことをきっかけにして、あの世から母が遊びに来てくれたのだろう。特に変わりなく(正確には変わりない状態から異常事態が続きその異常は相変わらずのままで)気味が悪いながらも、また母がテレビを見に来たのだなと恐怖心は若干減った。時々「もーテレビ見るのは良いけど電気消してってよね」などと話しかけながら過ごしていた。

 同年の七月一日。仕事から帰ってくると部屋中に本が散らかっていた。母だ。私は驚きながらも文句を言い、片づけようとした。

 すると一冊、この前読んだ文庫本が減っていた。その代わりなのか、散らばった中に一通の手紙が入っていた。

 見ると、以前付き合っていたケイスケの字だった。「しずちゃんへ」


「しずちゃん元気?俺が悪かったです。ごめんね。俺は別れてしずちゃんとの時間をもっと大切にしてれば良かったって毎日後悔してました。でも俺はあの時仕事もうまくいってなくて会社で馬鹿にされたり、出来損ないの部下の失敗のフォローをしてやったりで疲れてたんだ。帰ってキラキラ仕事の話するしずちゃん見てると、辛くなってつい乱暴に接しちゃうこともあった。本当に反省してる。ごめんね。けど今は上司に気に入られたりで毎日楽しいんだ。合鍵使ってこんな手紙残して、ずるいよね。てか、返してってしつこく言われなかったから、しずちゃんも俺が成長して戻ってくるの待ってくれてるかなって思ったよ。俺がお家に来たヒントになるかなと思って同棲してたとき使ってた古いテレビのリモコンを置いてたの、気づいた?あれは、ブラウン管を処分するときに記念としてとっておいたやつ。怖がりのしずちゃんはビビったかもしれないけど、俺はそーゆー物もとっておいたり、こんなことしてまで俺はしずちゃんと一緒にいたいと思ってるんだよ。よかったら連絡して。電話番号もアドレスも変わってないよ」


 びっくりするほど独りよがりな内容だった。本当に申し訳ないとき「ごめんね」なんて書かないだろう。そんなのは小学生の仲直りだけだ。自分のことばかり、いちいち「俺」が出てくるたびにイライラした。

 当時、彼は何度も私を否定して、言い返そうとすれば殴りかかろうとした。結局手を出すことはなかったけれど、そのたびに恐怖と屈辱で泣きそうになった。同じ家で暮らしていたから逃げ場がなくて、職場が唯一、気の休まる居場所だった。そんな私に対して、彼の方こそ面倒くさいと思っていたはずだ。耐える意味を感じなくなり、振ったのは私からだが、そのころはお互いに気持ちが離れていたはずだ。

 この幼稚な手紙は怒りを通り越して悲しくなった。あの人は可哀そうな人だ。その日のうちに警察に連絡をして次の物件を探し始めた。

 もっとも深い夜、久しぶりに泣いた。電車で私の腕をつかんだのもきっとケイスケだろう。怖くて苦しくて、まだ私が二年前にいると思われているのが悔しくて、泣いた。もう、クローゼットの隙間も、濡れた長い髪も、笑いかけてくる天井のシミも、すべてを飲み込もうとする暗闇さえ怖くなかった。

 浴室で母とたった二人、泡を残して消えた日さえファンタジーに思えた。あのとき電車で私をつかんだのが母の消えた手なら良かったのに。とにかく大切な母の本を返してほしかった。

 だから数か月後の裁判には母のコートを羽織って行った。それは凍てつく寒さに丁度良い一張羅だった。

ケイスケは裁判で無罪を主張したものの認められず有罪となった。ストーカー行為や手紙、勝手に家に忍び込んだことが罪状の判断材料で懲約三年六か月という判決がくだされた。そのあと、私は彼と一切会っていない。彼がどうなったかなんて興味がない。しかし、母の本は無事、我が家に帰ってきた。


 あれから七年が経った。家はもちろん、駅や職場も知られていたため生活のすべてを変えなければならなかった。最近ようやく生活が落ち着き、毎日がいつも通りに感じられるようになった。

 あいつにまたばったり出くわすかもしれないからと怖くて四ツ橋に行きにくくなってしまったのだ。しかし自宅の最寄り駅から元の職場があった日東線四ツ橋駅までの間に見ていた風景が少しだけ恋しかった。それにあの街はビル街ということもあり美味しいランチが食べられる店が多く、駅中は意外と充実していてお気に入りの本屋があった。

 というのも母の影響で読書をはじめたのだ。まだ謎を解くところまでは到達していないものの、読み進めて、こいつが犯人かと驚けるくらいにはなった。夫も本が好きで、彼は特にSF小説を好んだ。そちらもときどき借りて読んだが、途中で時空がこじれることが多くて難しかった。

 代わりに彼は私や母の集めた小説を喜んで読んだ。直接会うことは端から叶わなかったが、彼がそれらを読む時間は私の好きな二人が交差する貴重な瞬間だった。だから、四ツ橋の本屋まで行く際も夫に付き合ってもらった。

 彼とおおきい本棚に並ぶ背表紙たちを吟味するのが好きだ。小説以外にも普段はあまり読まない雑誌や絵本コーナーのものもじっくり見た。その中で一番読みたいと感じた一冊を持ち寄り、それが偶然揃ったときには買って帰った。一度だけ、揃ったことがあるのだ。このイベントで選出されたオランダ出身の作家による『魔術師の森』という児童文学は夫婦の大のお気に入りである。子ども向けのため、当たり前ではあるが非常に読みやすく、かつ整合性のとれた素晴らしい作品だった。好きな人や物に触れられる豊かな生活が私のいつも通りになった。そうして四ツ橋は少しずつ怖い街ではなくなっていた。そして最近、ようやくこれまでのことを考える余裕ができたのだ。


 あなたの怖いものは何ですか。

 私の一番怖いもの。それは合鍵。

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