それでも針は動き続ける

じゆ

それでも針は動く

 決して彼女以外誰も愛さないと決めたはずなのに、気付けば初めて見る天井を二人で見ている。天井に着いたシミが顔のように見える。

眉を顰める顔。白い目を向ける顔。悲しそうな顔。

すべて浮かんではすぐに消え、ただのシミとなる。


 俺には幼馴染がいた。家が近くで、親同士も仲が良かった。

俺の親は二人とも働いていて、ときたま帰りが遅いときがあった。

そんなとき、彼女の両親が俺を預かってくれ、年が近い彼女と一緒に過ごす時間が増えた。

彼女はおとなしく、子供ながらに長く伸びた黒髪がよく似合っていた。

小学校は三年生までは一緒に通っていた。

周りの目が気になって、あまりしゃべらなくなり、

自然と彼女の家に行くこともなくなり、通学路もあえて彼女の家を避けるように遠回りしていた。

 そのくせ、登校の時以外は彼女の家の前を通ってばったり会ったりしないかななんて思っていた。そうすれば、気まずさなしにまた、話せるんじゃないか。

学校でできないだけで、外で偶然会えば一歩彼女のそばに行けるんじゃないか。

そう思っていた。

思いは日々募りながら、俺の心をかき乱していた。

 俺と違って賢い彼女は遠くの私立中学校に通うために受験するらしい。

そう聞いてから、余計にこの出口を知らない迷惑な思いは暴れ続けていた。

学校では、遠くから彼女の姿を見て乱れる心を抑えるのに必死になって、

家に帰っては、隣に住む彼女は誰のことを考えているのだろうかとトゲトゲした不安がごろごろと転がっていた。


 結局、彼女とはそれきりだった。

何も起きることもなく卒業して、俺は公立の中学校へ、彼女はやはり遠くの私立中学校へ。

本当になにもおきなかった。

そう思っている自分がいた。

こうやって吊り上げられた魚のように暴れ苦しんでいたら、優しく誰かが海に返してくれると思っていた。

 時が流れれば、彼女が俺のものになっていると、そう思っていた。

だから、俺は恋患いをしている自分を客観視して、

こんなにも考えているのだから、彼女に思いが届いて

彼女が俺に微笑んで俺の横を歩いてくれる。

そう思っていた。


 しばらくして、彼女が笑顔で俺に初めて彼氏ができんだと教えてくれた。

数年ぶりに叶ったはずったはずの願いは俺に、ほら見たことかと言ってくるようで、

久しぶりに見た彼女の笑顔は周りを照らしていた。

彼女が俺の顔を見れば、俺の内側に影が差すように。

 それから俺はあることを誓った。

彼女に想いを打ち明けることができないうちは俺はほかの誰のことも好きならないことを。

そうすれば、きっと......。


中学に入ってから、ひたすら俺は魅力のある男になれるように勉強した。

運動部に入って、体を磨き、文武両道で学力を磨き、委員長を務めて心を磨く。

そうやって、中学校の三年間を過ごしてきた。

そうやって高校を過ごした。

難関大学に入学した。


何もなかった。

あんなに頑張ったのに。

何もなかった。

自分が魅力的になれば俺の想いが通じて、彼女がやってきて、楽しい思い出を積み重ねられると思っていたのに。

俺の数少ない友達にそれを言えば、お前は自分に恋をしてるのだな、

って意味の分からないことを言われた。

そいつのアドバイスに従って、初めて彼女と遊びに行った。

誘うとき自分の中で懐かしい苦しみがよみがえってきていた。

彼女から、「行ってもいいよ。」という旨の返事が来たとき、舞い上がるほど喜んだ。

そわそわしながら、彼女を駅前で待って映画館に行ったり、ショッピングモールを回ったりした。

ずっと地に足がついている気がしなかった。

彼女もずっと笑っていて楽しそうだった。やはり、彼女の笑顔は明るい。

去り際に、彼女から疲れたから休憩したいといわれた。


やっぱり、俺の考えはあっていたんだ。

小学校の頃、彼女が俺に惹かれなかったのは俺に魅力がなかったからで、

それを身に付ければ、いずれ俺の魚心に優しく水心を傾けてくれると。

それなのに、どうして、俺の横で寝ていた彼女は、

寝てすぐにあんなことを言ったのか。

「なんか、思ってたのと違ったな。

 まあ、久しぶりに会って、結構よさそうな見た目だから来てみたけど。」

彼女は何が言いたかったのか。理解ができなかった。

考えながら天井を見ていた。

横ではさっきあんなことを言った彼女が安らかに寝ていた。

ずっと頭の中にもやがかかっているような心地よさに身を沈める。


起きると、右に寝ていた彼女は薄い背中をこちらを向けていた。

俺が望んでいたのはこれだったのか。

俺の横に彼女がいる。

そのはずなのに、どうしてだろう。

今の状況が、ベッドの上に二つの肉塊が横たわっているようにしか感じない。

あんなに俺の心を動かしていたはずの彼女はいまや、無機質なものとなった。

背中に触れると彼女が起きて、こちらを見て言った。

「ごめん、やっぱり無理かな。

 君ただ、自分のことが好きなだけよね。何してもいいと思ってる。」

すぐにベッドから出てしっかりと身だしなみを整え始めた。

俺は二人のぬくもりが残るベッドの上で彼女が作ったシーツのシミを見ていた。

何も考えられなかった。

彼女しか好きならないと誓ったのに、そんな彼女をも失いかけている。

俺は、ただ彼女のことが好きなのに、彼女は何を言っているのか。

「呼び止めもしないんだ。君から誘ったのに。何も言わないのね。

 考えてもよかったんだよ。」

「心の声は言ってってくれなきゃわからないんだよ。

 言ってくれなきゃやりたいこともやってあげれない。」

そういって、彼女はヒールの音を響かせていった。

いつまでも彼女の声が波のように去ったと思ったら寄ってきて。


そしてやっと気づいた。

彼女の背中が見えていた。

彼女が髪を短くしていたことに、

化粧をしていたことに、おしゃれをしていたことに。

小学校のころとは変わっていたことに。



 

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