南大門
高麗楼*鶏林書笈
第1話
昭和前期、朝鮮のとある田舎の村の酒幕——
村の男たちが洋装の紳士を囲んで大賑わいである。
「最近、京城(現在のソウル)に行かれたそうですが、どうでしたか?」
男の一人が訊ねた。すると紳士は
「半島一の都市だけあって実にモーダンだね。煉瓦造りの建物は見栄えがするし、道も煉瓦が敷かれていて歩きやすい。ここいらの泥濘道とは大違いさ」
と滔々と得意げに喋り始める。村人たちは感心しながら耳を傾けていた。
そうしたなか、大きな荷物を担いだ行商人が店に入り、片隅の席座った。
注文した酒と肴が運ばれてくると、杯を口にしながら耳に入ってくる紳士の話を聞いていた。
しばらくすると、行商人は立ち上がり紳士の側にいった。
「旦那は京城見物をなすったようですね」
行商人は親し気に話し掛けた。
「ああ、そうだ」
紳士は自慢げに応じた。
「ならば、南大門も当然、御覧になったでしょう」
「もちろんだとも」
「あそこに掛けられた扁額は実に素晴らしいですね」
行商人は村人たちに交じって会話を始めた。
「そうだな、何しろ世宗大王が書かれたのだからな。“南”の字の筆遣いの緻密さ、“大”の勇壮な字体、“門”の…」
紳士がここまで言うと行商人は堪え切れなくなったように大笑いした。
「何がおかしい」
紳士が叱責すると商人は悠然と応じる。
「申し訳ござんせん。南大門に掛けられている扁額は “崇礼門”と書かれているんですよ、それに揮毫したのは世宗大王ではなくて、兄君の譲寧大君ですよ」
実は紳士は京城には行ったことがなかったのである。面目を潰された彼は席を立つと店を出て行ってしまった。
その場に残された村人の一人が行商人に
「あんた、物知りだな」
と感心したように言うと
「いやぁ、大したことじゃありません。京城に行ったことのある者なら誰でも知っている、そう、常識みたいなもんですよ」
と笑顔で応えた。
勘定を済ませた行商人は店を出た。
田舎道を歩きながら、
「ああ、またやってしまった」
と彼は呟いた。
紳士は恐らくこの村の長者であろう。やり込められた長者は彼が訪ねたところで物は買ってくれないだろう。
物知りで世間に通じている彼は今回のように下らぬ自慢をする人間を見ると黙っていられないのである。この性格が災いして、これまで何度も利益を失ったことか…。
「これからは気を付けねばな」
これまで何回もした反省を繰り返すのだった。
「さて、次の場所に移動するか、まだ日は高いからな」
先ほど通った将軍標の前を再び通って彼は次の村へと向かった。
南大門 高麗楼*鶏林書笈 @keirin_syokyu
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