139 慌ただしくも変わらない日常(その2)
午前中はスケジュール管理と書類仕事だけで、時間が潰れてしまった。
(まあ、午後の予定に支障はないからいいけど……)
午後には中途採用の面接が二件と、商談が一件予定されている。
「最初の面接予定までに昼食に行ってくる。今のところ、何かあるか?」
「現状は予定通りです。ただ、本日の面接希望者は真面目な方みたいなので、早めに来られるかもしれません。ご注意を」
「分かった。軽めに済ませてくる」
そう秘書に言い残してオフィスを出るものの、周囲に飲食店は少ない。コンビニですら、片道五分は掛かってしまう。
しかし、今日は予定もあるので、勇太は迷わず一番近い方を選んだ。
(今日は……コンビニにするか)
以前、ストレスの為か、一時的にコンビニ弁当が食べられなくなったことがある勇太。それでも、一番近いラーメン屋よりも移動時間は少なく済むので、適当なおにぎり等で済ませようと歩き出した。
「いらっしゃいませ~」
店内にイートインスペースはあるが食事時なので、席はすでに埋まっている。手近な公園かオフィスの自席で食べようかと、コンビニの中を歩いている時だった。
「はぁ!? お前清掃業なんて選んだのかよ?」
食品棚に並ぶおにぎりを見ていると、勇太の耳にも届く程の怒号が、コンビニ内に響き渡ってきた。
「雇用条件も評判も破格なんだから、別にいいだろ。業務内容や職場環境は面接次第だけど、特に嫌がる理由もないし」
「いやいやいやいや……結局はゴミ掃除だろ! 完全にド底辺じゃねえか」
「どう思うと勝手だが……どんな職業だとしても、
コーヒー片手に何かの書類を読んでいるスーツ姿の青年に、私服姿の誰かが叫んでいるものの、清掃業に対する否定的な発言に対して『あっちに行け』とばかりにあしらわれている。
「学歴に縋ったって……もう良いことなんて一つもないのは、お前も思い知らされただろ? 現に大企業ばかりに固執し過ぎて、結局二人揃ってブラック企業に入って鬱になったじゃねえか」
もはや会話だけで、大まかな内容が把握できてしまった。
(目的のない学歴厨、か……)
進学後に、何か人生の目標が見つかれば良かったのかもしれないが……ただ学歴だけで満足してしまえば、何をすればいいのかが分からなくなることもままある。するとかえって、生きて『何をしたいのか』に迷ってしまうものだ。
大方、『生きる為にとにかく前へ進もうとしている』青年に、『生き方が分からずに立ち止まっている』奴が、野次を飛ばしてきているのだろう。
(単なる嫉妬か、足を引っ張ろうとしてるのか……ま、どっちでもいいか)
勇太としては、『とにかく前へ進もうとする』判断も、『前へ進む為に努力する』姿勢も否定することはしない。人によって必要なら、『ゆっくりと英気を養う』時間を取るのもいいだろう。
……けれども、『誰かの足を引っ張る』ことだけは、許容できなかった。
「とにかく……俺は午後から面接があるんだ。その対策に忙しいんだから、もう帰ってくれ」
「ああ、そうかよ……勝手にしろっ!」
そしてコンビニから青年が荒々しく出ていく中、勇太は我関せずとばかりに、昼食用のおにぎりと麦茶のペットボトルをレジの前に置いた。
「あと、チキンも一つ。味は
「……あ、はい! 少々お待ち下さいっ」
トラブル対応に慣れていない新人店員の清算作業を待ちながら、勇太は財布を取り出して中身を探り出す。
(とりあえず……『友人に難有』って点が面接の判断材料に含まれるかは、先に相談しとかないとな)
未来の社員候補に気付かれないよう、手短にレジを済ませた勇太は、静かにコンビニの外へと出ていった。
この日、彩未が睦月の下を訪れたのには理由がある。
「意外、でもないが……元気そうだな、
「……そうでもない。これでも、やることが多いんだよ」
狭い面会室にある椅子の上に、足を組んで腰掛ける『
伝手や偽造の身分証を活用し、通常では使われない古い部屋に二人きりという、本来ではあり得ない例外的な措置の中、面会は
昼下がりの中、彩未が睦月に面会を頼んだ理由はただ一つ……『
「というか、様子見なら普通の面会でもいいだろ? わざわざ人払いまでする必要はあったのか?」
「ああ……例の『
渡すことは難しくとも、持ち込んだ書類を読ませることはできる。人払いや監視カメラに細工済みの為、刑務所側に面会の内容を聞かれる心配はない。一度歩み寄ってから掲げた書類を近付け、内容を一通り読ませた睦月は、改めて月偉に声を掛けた。
「そういえば……お前の方には、『
「……韓国語を話す奴なら一度、俺の更生保護を理由に来たことがある」
ただ、目的は何であれ、月偉はすでに
「ま、俺には関係のない話だ。
「……よく言うよ」
それが
「だったら何で…………
本来、月偉が扱うのは
しかし、月偉は気にすることなく、むしろ感謝するかのように明るい表情を浮かべてきた。
「
突如、口調が関西弁に切り替わる月偉に驚くことなく、睦月は黙って耳を傾けた。
「
「まったく……」
手に持っていた書類を鞄にしまった睦月は、
「お前……やっぱり何か、企んでるだろ?」
「いやいや、
もし拘束されてなければ眼前で手を振りかねない態度で、月偉は睦月の発言を否定してきた。
「ええ機会やし……休暇がてら、少し勉強し直しとるところや。
「……その
月偉に背を向け、睦月は部屋の出口へと歩き出した。
「じゃあな。また様子を見に来る」
「ほなな~、『ブギーマン』によろしゅう
受刑者とは思えない気楽さの月偉に見送られながら、睦月は面会室を後にした。
コンビニに居たのはやはり、午後から面接する予定の内の一人だったらしい。空白期間はあるものの、面接対策を怠らない程度には努力している姿勢が見られたので、採用は前向きに検討することにした。
「もう一人は保守的で、自分に自信がない
「私見ですが……職種次第、かと」
思考の整理も兼ねて、勇太は自分よりも
「本人の資質にもよりますが、その手合いは
「と、なると……問題は、当人の自信のなさだな」
物事に慎重になることは、決して悪いことじゃない。
問題は……慎重になり過ぎた結果、石橋を叩き過ぎてしまうおそれがあることだ。
「……ま、どちらにせよ、人手不足は解消しとかないとな」
二人分の履歴書を机の上に置き、勇太は腰掛けていた椅子の背もたれに体重を預けた。ただでさえ、いくら給料や職場環境を良くしたとしても、変わらず人気が出ないのは清掃業の
「二人共二次面接に進めてくれ。ただし連絡の段階で、希望する職種を改めて確認するように。可能なら、その職種の
「かしこまりました。それでは早速メールにて、選考結果を連絡しておきます」
秘書が自席に戻り、今日面接した二名に連絡している中、勇太は次の商談の準備に取り掛かった。必要な資料のデータをタブレットPCに移しつつ、詳細が書かれている分は書類として
「…………ん?」
そんな時だった。一通のメールが届いたのは。
「商談の
向こうはかなりせっかちなのか、今日の空いている時間帯はいつかと聞いてきている。本来であれば複数の日程を候補として用意し、余裕をもって依頼するのが礼儀なのだが……相手方は『今日中であれば、何時でも構わない』と記載していた。
別に断っても良いのだが……幸か不幸か、今日の勇太の予定は、次の商談で最後だった。
「社長、そろそろ商談の時間となりましたが……いかがなさいましたか?」
「……いや、飛び込み営業のメールが来てただけだ」
手早く秘書の
「悪いが……俺が商談している間に、そのメールの送り主について調べといてくれ。受けるかどうかは、その時に決める」
「かしこまりました。
頭を下げてくる秘書を背に、勇太は立ち上がると、オフィスの隣にある応接室へと向かった。
「さて、今日は何が出るやら……」
相手は付き合いの長い取引先だが、同時に開発したての新商品を次々に提案してくる、少し変わった清掃用具の製造会社でもある。
無論、性能の良い商品を提案してくれることもあるが……中には癖の強い道具も営業してくるので、当たり外れが激しいのだ。
「……せめて、今日が当たりなのを祈るか」
しかし、商談の結果……勇太の精神的疲労は、さらに嵩増しされてしまうのだった。
「……で、どうだったの?」
「脱獄の心配はない……
弥生から『キャンプに行くから』と少し早めに納品され、受け取った仕込みの銃器一式を一度分解して再整備し、問題がないかを確認している時のことだった。手早く片付けていく姫香の横で、同じく銃をバラシていた睦月は、彩未の問いにそう返した。
「今は刑務所内で勉強中だとさ。特に脱獄する理由もないなら、しばらくは大人しくしてるだろう」
「……それ、信じられるの?」
睦月が持つ
しかしその疑問に、睦月は完成した銃を持ったまま、肩を竦めてみせた。
「少なくとも……
そう思うと、彩未が睦月の傍を離れないのは、良い意味で牽制となっているのかもしれない。だから、気にするべきは一つ。
……月偉が将来得るかもしれない、
「やっぱり、見張りを続けないと駄目かな……」
「……あんまり、あいつにばかり囚われても良いことないぞ?」
相手を刑務所送りにしただけで、怨恨が簡単に晴れるとは限らない。それは彩未とて、例外ではなかった。けれども、睦月はあえて苦言を呈する。
「『
「……だったら何で、しょぼい
「単に……母親から教わらなかったんじゃないか?」
睦月達が中学に上がる前に、月偉を置いて地元を出てしまったので現状は不明だが……母親もまた、凄腕の『詐欺師』だった。
それも、天才と呼ばれる類の人種だ。
「指導力がないんじゃない。現に月偉自身、実績が
「
「計画性」
話しつつ、動作確認を終えた
「昔、親父か婆さんのどっちかから聞いたんだが……元々、月偉の母親は地元の人間じゃなくて、他所から来たんだよ」
詳しいことは睦月も知らない。ただ、どちらかから聞いた限りでは、月偉は関西圏の
母親の方は最初から共通語で話していたので、生まれ育った環境が、月偉をそうさせたのだろう。
「丁度『暇だった』とかで、地元の誰かが誘ったから引っ越してきたって聞いたんだよ。それで十年程、月偉を育ててから置いてったんだが……その理由、分かるか?」
「……『
「いや、
やはり
「母親は母親で……月偉を育てながら、でかい
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