110 挫かれた仕事の出鼻
また……懐かしい夢を見ていると、睦月は制御できない記憶の流れに、そのまま身を委ねた。
――カラン、カラン……
『ああ、疲れた……』
『おう! お疲れ~』
まだ、『走り屋』を引退して一月も経ってなかった頃だと思う。当時の睦月は、秀吉から『運び屋』としての
『……で、どうだったよ?』
『どうも、こうも……』
場所は和音の経営する輸入雑貨店。その中にある椅子にどさりと腰掛けた睦月は、背もたれに体重を掛けながらぼやいた。
『依頼の為とはいえ……
そして目の前にあるテーブルの上へと、懐から取り出した
『まともに
人が
『いやぁ~……しっかり
『てっきり
『……余計なお世話だ』
後悔は物事に対して悔やみ、
いまさら……微塵の後悔も抱けない。『運び屋』という生き方を選んだのは自分自身だ。
だから睦月は、秀吉からの依頼――正確には依頼中の囮を引き受け、目的を達成させてきたのだ。
『ちゃんと
『出来が良くなったら、
『『人生は一生勉強』、か……やっぱり、お
とはいえ、経験の浅さについては睦月もこの件で身に染みた。その時は勉強代として、取り分から
『ところで……邪魔してきたのは、どんな奴だったんだ?』
『あ~……女だったよ。多分、俺と同年代の』
スマホにある電卓機能を用いて計算しながら、近寄ってきた秀吉からの問いに、睦月はそう答えた。
『顔は遠目越しにしか見ていないけど……垂れ目気味のサイドテール。おまけに、結構発育の良い姉ちゃんだったな』
『おいおい、戦う前に口説かなかったのかよ? それでも俺の息子か?』
『……下手に近付けなかったんだよ』
少し手を止めて一度、秀吉と視線を合わせる。そして、睦月は疲労を吐き出すようにして、溜息を漏らしながら顔を背けた。
『見ただけでも、師匠と同じ眼や雰囲気を醸し出していたんだぞ? 多分殺しに慣れているか、
『それで、さっさと片付けたのか。まあ、結果的には良かったんじゃないか?』
『良くねえよ。毎回
そんな
『というか……爆薬なんて持ち歩いてたのかよお前、おっかねえな』
『この前、留学帰りの弥生から生活費の支援として、仕方なく買ってやった。試作品の小型爆弾で、威力も値段も馬鹿高』
しかも今回、睦月は相手の生死までは確認できていなかった。さらに
『婆さん、もし相手が生きてたら、すぐに教えてくれ。代金はこの前の報酬から引いといてくれればいいから』
『……はいよ』
フゥ、と
その後も、秀吉からの質問攻めに遭い、睦月は内心辟易しつつ答えていく。
『そういや……遠目で見た
『得物も相性悪そうだったからな』
『何だ、.50(12.7mm)口径の銃でも持ってたのか?』
『いや…………
相手の力量を測るには情報が少な過ぎたが、
『
計算が終わり、請求書とスマホを片付けた睦月は立ち上がると、秀吉と共に和音の店を後にしようとした。
『しっかし、もっと手
扉を開けようとする睦月だったが、秀吉がついて来ていないことに気付き、その場で振り返った。
『……親父?』
しかし、当人は何か考え込んでいるのか腕を組み、視線を天井へと向けた後にゆっくりと降ろし、そして睦月の方を向いてきた。
『睦月……ちょっと婆さんと話があるから、そこらで飯食っててくれ』
『? まあ……いいけど』
その時は気にならなかったが、夢の光景を思い出していた睦月はふと、嫌な予感を覚えた。
何故なら……その時の秀吉の顔が、何か面白いことを思い付いたかのように口角が持ち上がって、
――パシン! パシン!
「っ痛ぅ~……んだよ、いったい」
ベッドの上で寝ていた睦月だったが、同じく寝ていた姫香に頭でも引っ叩かれたのか……何にせよ、文字通り叩き起こされてしまった。
夢の内容を反芻する間もなく、何事かと振り返ってみれば、彼女の手には
「お前、自分の(スマホ)は触らせない癖に俺のは……、って」
未だに剥き出しになっている乳房を目の当たりにしても、睦月は落ち着いて
「毎回思うが……俺の個人情報、どうなってるんだよ?」
「はい……」
『む~つっきく~ん。あっそび~ま、』
――ピッ
「何だ。間違い電話か、……チッ」
間髪入れずに鳴る呼び出し音に、睦月は仕方なくベッドから降りると部屋を出て、再度通話に応じた。
「……先に聞く。名前は?」
『郁哉だよ。ふざけたのは悪かったから、ちょっと話を聞け』
「お前な、仕事邪魔してくる件も謝罪しろよ。いいかげん……」
何にせよ、全裸のまま長話をしても仕方がない。睦月は姫香を残したまま部屋の戸を閉め、ソファの背を跨いでから腰掛けた。
「で、何の用だ?」
『ちょっと話せるか? 今お前のマンションの前に居るんだけど……』
「……手短に済ませろよ。今日は夜から仕事だからな」
腰掛けたばかりのソファから離れ、軽く身体を拭いてから服を着始める睦月。ふと、あることが気になり、ズボンを穿きながら当てていたスマホ越しに、郁哉に問い掛けた。
「ところで……お前、俺の個人情報、どこで手に入れた?」
『え……弥生の婆さんから
「……あの婆さん、いつか痛い目に合わせてやる」
月偉や英治の時も同様なのであれば、これはさすがに見過ごせないと、睦月は内心怒りに燃えていた。
『というか……聞こうと思えば他の奴の連絡先も聞けるぞ? 聞いてなかったのか?』
「……特に用事がなかったからな」
元から交流のあった
『睦月……お前、他人に興味なさ過ぎ』
「ほっとけ!」
その言葉を皮切りに、睦月は一度通話を切った。
居住区内にある為か、マンションの近くには自動販売機が多数設置されている。
その内の一つ、マンションの前にある自動販売機で麦茶(ノンカフェイン)のペットボトルを買いながら睦月は、横でスポーツドリンクを飲んでいる郁哉に声を掛けた。
「……で、話って何だよ?」
「その前に、聞いてもいいか?」
「何を?」
自分のペットボトルの中身を一口分呷ってから、郁哉は睦月に問い掛けてきた。
「お前…………
――ボン!
蓋を開ける前だったので、ペットボトルの中身が地面に飛び散ることはなかった。けれども、手よりも口が滑らなかったことの方に、睦月は内心で安堵していたが。
「やっぱり知ってたのか……どういう関係だ? 元
「なわけねえだろ……」
郁哉の若干失礼な物言いを聞き流しつつ、落としたペットボトルを拾って砂を払った睦月は、その蓋を開けながら簡単に説明した。
「もし俺の知ってる奴なら、昔、親父の依頼を邪魔しにきた奴だよ。それを俺が潰したんだが……やっぱり生きてやがったか」
「確認が雑だな。どうやって潰したんだよ?」
「廃ビル内に誘い込んで、爆破解体かました」
「……本当にやり方えぐいな、お前」
飲み干し、空になったペットボトルのラベルを剥がして回収用のゴミ箱にまとめて放り込んだ郁哉に、今度は睦月が、麦茶を口に含んでから問い掛けた。
「で、そいつがどうした?」
「この間、首都に行った時に
「…………は?」
郁哉が勇太に付き合って中華街に寄った話は、電話ですでに聞いている。
元々首都の方に用事があったとかで、そのついでだとか言っていたが……いったいどこで出会ったというのだろうか。
「そいつも裏格闘技の大会に出てたんだよ。俺が出る前の日の、『女子格闘技』の『武器有』部門で優勝してた。しかも、雨谷に勝った上でだ」
「……有里が中華街に付き合わなかったのは、あいつの治療の為か?」
本当は有里も中華街に付き合う予定だったが、急な仕事でドタキャンされたとは聞いていた。まさか、美里の治療の為だとは思わなかったが。
「致命傷になる前に降参してたけど、結構な深手らしい。足やられて、しばらく歩けないんだとさ」
死なないだけましとはいえ……ついこの前、生活費の為に
そう言ったところで結局は他人事だと、睦月は郁哉に、話の続きを促した。
「お前は
「まさか……俺が優勝した後に待ち伏せくらってな。『
「そうかよ……」
和音をも欺く隠蔽工作を
「……で、そいつは今度どうするって?」
「ああ……『お前の
「傍迷惑なこと、この上ないな……」
だが少なくとも、知っていると知らないとでは、心構えを含めて備えられる内容に差が出てくる。タダ働きだろうと来るかまでは未知数だが、備えておいて損はない。
「……じゃ、俺は帰るから。負けんなよ~」
そう言い残し、立ち去ろうとする郁哉の背中に、睦月は言葉を吐き捨てた。
「どうでもいい……」
勝つだの負けるだのは、考慮する必要はない。
「俺はただ……『仕事をこなす』だけだ」
さっさと寝直そうと睦月もまた、剥がしたラベルごと空にしたペットボトルをゴミ箱に放り込み、マンションのエントランスへと歩き出した。
「姫香。今夜の依頼……
また寝る前に
「相手は裏格闘技の大会で優勝したんだと。部門は『女子格闘技』の『武器有』……最悪、
その言葉に、姫香の視線は一度、部屋の端に置いてあるジュラルミンのケースに向けられた。先日買ってきた代物らしいが、今の反応を見る限り、どうやら武器らしい。
「俺はいつも通り、仕事をする……ああ、そうだ」
未だに裸体を晒している姫香に、ベッドに身体を載せた睦月は圧し掛かりながら、最後に一言だけ付け加えた。
「『依頼達成』、『自己生存』が守られている範囲で可能だったら……ちょっと面倒事、頼まれてくれないか?」
その言葉に姫香は押し倒されながら、親指を立てた左手の背を叩いて押し出し、叩いた右手の掌を上に、小指側を自身に向けながら手前へと引き戻していた。
「【見返り】」
「分かってるよ。でも、それは……」
一度言葉を切り、睦月は姫香の額に口付けした。
「……ちゃんと
その言葉に満足したのか、姫香は手話に用いていた手を伸ばし……新しい
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