102 Homecoming(その3)

「ところで……用事は何だったんだ?」

「家に仕事関係の資料、残してないかと思ってな。念の為、見に来た……つもりだった」

「本当、変なところ心配症だな。お前……」

 一度外に出て、玄関先の戸に身体を預けた二人は視線を合わせず、正面を向いたまま話を続けた。

「まあ、急ぎじゃないし……施錠や埃の積もりようからして、誰も入ってなかったみたいだしな。今日はもういいや」

「……次来た時は、ちゃんと掃除しろよ?」

「あ~、覚えてたらな……また来るのかも分からないし」

 もう戻らないと決めていただけに、掃除するどころかここには来ないだろうな、と睦月は声を窄めつつ、話を逸らすことにした。

「今回の件……情報屋婆さんは、どっち側だと思う?」

「少なくとも、敵側には回らないだろう」

 睦月の疑問に即答したということは、どうやら朔夜は、疑ってすらいないらしい。

「それ以前に……『立案者プランナー』は弥生の婆さんが情報屋をやっていることすら、知らない可能性もある。今のところは問題ない、と考えていいだろう」

「となると、残るは……弥生の・・・親父・・の方か」

 睦月がそう言うのには、理由がある。

 三人が姉兄妹きょうだいのように、共に暮らしていた時期がある理由が。

『お前の母親はとっくに死んでるからな』

 秀吉はそう言っていたが……その前から、いや、はるかずっと昔から、睦月はすでに・・・知っていた。


「お前の親父が自殺・・したのは……俺のお袋を殺して・・・しまった・・・・からだってのは、本当の話か?」


 もうどちらが先かは、睦月にも思い出すことはできない。ただ、はっきり言えることは一つ。

 睦月の母親について、秀吉は『車に引かれて事故死』したと言っていたが……朔夜もまた、別の事実を話していたことを。

 世間では主な例としてサンタが挙げられるが、それは調べればすぐに分かることだ。

 空想上の幻想的なサンタは存在せず、現実には外国フィンランドでしか出会えない。

 だが、サンタならまだ根拠はあった。けれども、睦月の場合はまるで違う。

「結局、どっちが正しいんだよ……」

 根拠がない以上、ほじくり返しても仕方がないからと、自ら黙っていた。

 けれども、今回ばかりは仕方がない。


 睦月達姉兄妹きょうだいの、それぞれの父親は……かつての仕事仲間だったのだから。


 どう答えたものかと決めあぐねているのか、朔夜は少し時間を空けてから、ゆっくりと答えて来た。

「先に言っておく……実は、私にも・・・分からない」

「…………は?」

 思わずそう漏らしてしまう睦月。無理もない、急に発言を撤回してきたのだ。だが、朔夜がそう答えるのにも、明確な理由があった。

「幼児期健忘、って知ってるか?」

「あれだろ? 物心付く前の記憶がなくなる、ってやつ」

 一般的に、人間は三歳頃より以前の記憶を保つことが難しい。成長過程で上書きされてしまう、未成熟な為に定着せず忘れてしまう等、様々な諸説があるものの、はっきりとしたことは未だに分かっていなかった。

 けれども、人類の全てがそうなるわけではない。

「……私には残ってるんだよ。幼児期当時の記憶が」

 そのこと自体、睦月は不思議にも思わなかった。

 元々、『超記憶力Hyperthymesia』が備わっていた彼女のことだ。その能力で記憶が残っていたとしても、不思議じゃない。

 ……問題なのは、その記憶の内容・・の方だ。


秀吉おじさんの目の前で……父さんが、自殺・・した記憶が」




 それは、朔夜が生まれて間もない頃のことだった。時計やカレンダーを含めて記憶したわけではないので、正確な日時は不明だが……色の花が、鉢植えに飾られていたことだけは覚えている。

『悪い、秀吉ひで…………全部、俺のせいだ』

 朔夜の父、葉月義弘よしひろは椅子に腰掛け、使い込まれた.45口径自動拳銃オートマティックを片手に握ったまま、項垂れていた。

 その真正面に立ち、9mm口径の自動拳銃オートマティックの銃口を向けていた秀吉は、その腕をゆっくりと降ろした。

『……和則かず自首・・したのも、同じ理由か?』

 挙げられた名前は、当時の朔夜はまだ知らなかった弥生の父、鳥塚和則かずのりのものだった。その問い掛けに対して、義弘は姿勢を変えないまま、答えてくる。

『多分な……俺達に・・・関係ない・・・・罪状をでっち上げて、一生刑務所暮らしをする算段だろう』

 しかし、そう言い終えた義弘は首を、静かに横へと振った。

『あいつもたしかに関わっちゃいたが……原因は俺だ。殺すやるなら、俺だけにしてくれ』

『どいつもこいつも……俺はただの『運び屋』だぞ?』

『だが……お前には、俺を殺す理由がある』

 裏社会に生きる咎人、法を犯す罪人。

 たとえ、ただの運送業者であろうとも、自身が、これまで重ねてきた罪が消えることはない。

 ……この世界で生き続ける限り、永遠に。

『勘弁、してくれよ……』

 近くにある椅子を引き寄せ、秀吉は義弘の前に腰掛けた。

 抱えたくなる頭へ伸ばしたくなる手を上げず、自動拳銃オートマティックを握ったまま、真っ直ぐに見つめながら。

『全員で引退して、子供達ガキ共育てようぜって話をしたばっかだってのに……なんで、こうなるんだよ』

『…………』

 義弘は、何も答えなかった。

 ただ、握っていた.45口径の自動拳銃オートマティックをゆっくりと持ち上げ、銃口を向け出していた。

『…………止めろ』

『俺だって……できれは、やりたくはないさ』

 秀吉が再び銃口を向けたにも関わらず……いや、一切気にすることなく、義弘は引き金トリガーに指を掛けた。

 ようやく持ち上がった視線は秀吉を捉えたままだが、銃口がぶれることはない。

『もう……許す、許さないの問題じゃない。お前が俺を見逃しても……お前の息子が、俺に牙を剥く可能性がある以上、けじめはつけないといけない』

 ……おかしな話だった。

 まるで、秀吉の息子の……成長した睦月の考えが、分かるかのような発言だったからだ。

『止めてくれ……』

だけは見逃してくれ。それ以上は望まない』

 キキッ、と金属が絞られる音がする。

 それが引き金トリガーを引く音だと気付いた秀吉は、持っていた自身の自動拳銃オートマティックを手放し、慌てて椅子から立ち上がった。

『止めろ義弘よしっ!』

『じゃあな、秀吉ひで……』

 末期の言葉を残した直後、銃声が鳴り響いた。


スミレ・・・さん・・には…………あの世で会えたら、ちゃんと謝るからさ』


 秀吉が止める間もなく、義弘は自らの・・・頭蓋に銃口を向けたまま、.45口径の銃弾を撃ち放った。




「『スミレさん』、か……」

「もし、その『スミレ』って人がお前の母親なら……私の父親が自殺したのは、私を守る為だ」

 たしかに、その可能性はあっただろう。

 秀吉がどう思っているのかは知らないが、睦月なら仇討ちしかねない。たとえ、記憶のない母親だろうと……もし、朔夜達とは姉兄妹きょうだいにならず、何も知らないまま『親の仇』だと断じてしまえば、実行していたおそれがある。

 だが一つ、気になることがあった……

「朔の親父……義弘さんは、赤ん坊の俺が発達障害者ASDだって、分かってたってことか?」

 少なくとも、定型発達者普通の人間であれば、記憶にない母親の為に一族郎党鏖殺なんて極端な発想は浮かばないはずだ。発達障害者ですら、むしろ興味を持たなければ、そのまま放置しかねないだろう。

 だが、万が一秀吉の息子睦月が興味を持ってしまえば、娘の朔夜に危険が及ぶ。

 ……だからこそ、朔夜の父親である義弘は、自ら命を絶ったのだ。

「少なくとも、その疑いを持っていたのは間違いない。ここからは憶測なんだが……」

 幼児期健忘と同じで、確固たる説があるわけではない。あくまでも確率論の話……けれども、朔夜が『スミレ=睦月の母親』だと考えられる可能性が、一つだけあった。


「その『スミレ』って人も、もしかしたら……睦月と同じ発達障害者ASDかもしれない」


 それは、発達障害が遺伝する・・・・ことだ。

 そもそも発達障害自体、現代でも不明な点が多い。

 人に応じて症状が違う上に、自身がそうだと気付いていない者の方が多いことから、他の分かりやすい障害よりも症例を集め辛いのだ。

 だから確実性はない。だが、父母の心身がその子供に遺伝する可能性がある以上、発達障害もまた、例外ではないと言えるだろう。

「そう考えると、結構辻褄が合うと思うんだが……睦月、お前はどう思う?」

「…………」

 睦月は静かに両手を重ね合わせる、いつもの癖を出しながら悩んだ。

 朔夜の言う通り、推測に矛盾はない。彼女の父親、義弘が何かをしでかして『スミレ』という女性を死なせてしまった。秀吉もだが、当時の記憶すら怪しい睦月息子からも、敵意を向けられると考えていたのは分かる。

 もし、まだ精神が未熟だった時に聞かされていたならば……睦月自身、義弘の予想する通りに、報復していたかもしれない。

 けれども……幸か不幸か、現在いまの睦月はある要素が脳裏を過ぎり、その可能性を考慮できる精神年齢にまで達していた。

「……暁連邦共和国」

「は?」

 突然、関係のない単語を聞かされた朔夜は、思わず首を傾げてしまう。そんな姉に対して、睦月は簡単に事情を説明した。

「この前知ったんだけどさ、親父も拉致事件の関係者なんだよ。どう関わってるのかは知らないけど、もしかしたら……」

「……そういうことか」

 睦月の言いたいことが理解でき、納得した朔夜はから手を抜いた。

「正体はともかく、『スミレ』って人は拉致事件に関わっていた。そして……その原因を生み出してしまったのは、父さんだったかもしれない」

「だから親父は、故意ではなく過失である可能性もあることを理解していたからこそ……どうすればいいか答えを出せずに、自殺を許して・・・しまった」

 証拠はなく、未だに憶測の域を出ない。

 だが、少なくとも……今の睦月に、朔夜の父親を責め立てる理由はない。

「この件は、一旦保留にしよう。情報が少な過ぎる」

「……そうしてくれると助かる」

 もうを抜く必要はないと悟ってか、朔夜は煙草を一本抜いて、口に咥えた。

「じゃあ……弥生の父親の件はどうするか、に話を戻すか」

 何かあれば懐の自動拳銃オートマティックを構える覚悟だったのだろう。だが、朔夜自身理性は保身に向けられても、感情が拒絶していたかもしれない。

 だから……彼女にとってはある意味ましな・・・結果に終わった為か、気が緩んでしまっていると、睦月は朔夜を見ていて思った。

(この瞬間を狙って、俺が朔を殺すとは……思わないんだろうな。この姉貴は)

 その推測を心の中だけで完結させた睦月は、改めて弥生の父親へと意識を向けた。

「連絡自体は、婆さんに聞いてみればいい。ただ……弥生はこのことを聞いて、どう思うかだな」

「その辺りが、一番怖いんだよな……」

 同じことを考えているのか、口から煙草の煙を吐き出しながら、朔夜は答えてくる。

弥生あいつに、自分の父親どころか和音婆さん以外の肉親についてどう思っているか、聞いたことがないからなあ……」

 そもそも父親の件だって、弥生から直接聞いたわけじゃない。

 睦月は彩未から『偶然知ったから』と服役していることについて確認を取られ、朔夜も過去の記憶から漏れ聞いた話に含まれていた結果、それぞれ知っただけだ。実際、弥生の肉親について二人が知っているのは、祖母である和音が漏らす愚痴位しかない。

 だから、仮に死んでいたとしても、驚かない自信があった。結局は囚人だったわけだが。

「一回本人に聞いてみるか……ところで、当の弥生の行方は?」

「…………さあ?」

 姉ですら、この体たらくなのだ。そもそも情報屋であるはずの和音が何度も行方を晦ませている時点で、行動予測が通じない程にイカレ・・・ていると考えるのが自然だった。そんな妹に対して、睦月は盛大に溜息を吐いた。

「一応、連絡は入れておくにしても……最悪、婆さんに直接言うしかないな」

「……じゃあ、最後の案でいいな?」

「一番目は予算的に、二番目は倫理的にアウト。一番まし・・なのは、それしかないだろ」

 方針は決まり、吸殻を片付けた朔夜を伴って、睦月は姫香達が待つ方へと向かった。

「勇太に連絡頼む。『先に帰ってる。弥生の婆さんを通すことにした』って言えば、十分通じるだろう」

「それ位、自分で言えよ……」

「……やなこった」

 若干意固地になっている弟に対してか、大きく息を吐き出している音が、睦月の耳に入り込んできた。




(やっぱり、おかしい……)

 危険な所を避けつつ、校舎内外を見て回って来た勇太は一度外に出た後、腰に手を当てて首を捻った。

(何で……誰も・・、証拠を隠滅しなかった?)

 実際、証拠を隠滅するだけならば、睦月の言う通り焼夷弾一発で事足りる。『立案者プランナー』はもちろんのこと……地元の・・・人間・・なら、誰でもだ。

「何かがあるのか? この校舎に……いや、この田舎町そのものに」

 思わず漏れ出る声を気にすることなく、勇太はかつての学び舎へと、視線を向けた。

(……一回、調べてみるか)

 もし誰かが証拠を隠滅しようと、少しでも考えていたのであれば……『掃除屋』に依頼する話が、少しでも出ていたはずだ。一度帰って、その記録がないか調べようと決めた勇太は、校舎を背に立ち去った。

 丁度朔夜から連絡が来たこともあり、その足は地元の出口へと……理沙達が待つ入口へと向けられる。




 なお、弥生への心配は杞憂に終わってしまった。

『……え、父ちゃん? 留学から帰って来た辺りから、時々会ったり連絡取ったりしてるよ?』

「は…………?」

 偶々繋がった電話越しに、思わず聞き返す朔夜。しかし、スマホから聞こえてくる弥生は、何でもないことのように返してくる。

『大学にあった研究論文で父ちゃんの名前見つけてさ。内容詳しく聞きたくて、気が向いた時に聞きに行ったりとかしてたんだけど……言ってなかったっけ?』

「いや、初耳……お前の父親に用があるから、悪いけど今すぐ帰って来てくれ」

『は~い』

 姉のように慕っている朔夜の言うことに対して、弥生は素直に返してきた。

 特に用事もないらしく、日暮れまでには出先から帰ると言い残された後、通話は終了した。

「心配して損した……」

「きっさまぁああああ……」

 あまりの肩透かしに、思わず眼前の運動喧嘩に混ざろうかと、朔夜は一瞬葛藤してしまった。

「もう少し、叫びのバリエーションはないのかよ……」

 殴り合っている姫香と理沙、その二人を抑え込もうとする睦月と勇太を眺めていた朔夜だったが……結局、煙草を咥えてからしゃがみ込んでしまった。

「なんか……一気にあほらしくなってきたな」

 ただ、すぐに火を点けることはなかったが。

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