081 案件No.005_レースドライバー(Versus_Shakah)(その4)
――瓦礫が崩れ、降り注いでくる……
『なあ……俺達、こんなになる程
『いや、多分だが……
『さすがに
ただでさえ、激しい戦闘を起こした後なのだ。
元は大企業の製造施設だったが、現在は倒産して廃工場と化している。その中を、車両で強引に割り込むだけでも難しいのに、さらには自らが仕掛けた攻撃手段が、建築物にさらなる負荷を掛けている。
いつ倒壊してもおかしくない。そんな状況なのに……目の前の『運び屋』達は来てくれた。
怪我だらけなのもお構いなしに後部座席へと押し込まれ、理沙は勇太と並んで腰掛けることしかできないでいる。助手席では姫香がどこかから拾ってきたのか、この施設の
『来た道戻るのは、ちょっときついな……姫香、別
倒壊が激しく、睦月達の車が強引に割り込んできたらしき道はもう、使えなくなっている。
しかし、それでも車から降りる選択肢はない。火と煙が充満した施設で、今でも瓦礫が降り注いでいるのだ。下手に生身で歩く方が、かえって危険だ。
だと、言うのに……ようやく見つかった出口すら、苦境への入口と大差はなかった。
『
たった四人、しかも一人は緘黙症で話せないのに……誰が呟いたかも分からない声が車内に漏れた。もしかしたら、話せる全員が似たような言葉を零したのかもしれない。
口の利けない姫香が指で示してきたのは、
『……ま、それしかないか』
しかし睦月は、それだけ呟くとハンドルを切って車を回転させた。シャッター壁を正面に見据える形を取ったかと思えば、次にはもうギアをバックに叩き込んでいた。
『おい、睦月。まさか……』
少しでも助走距離を稼ぐ為か、限界まで後方へ下がろうと振り向いてくる睦月。その瞳に、冗談の要素は一切なかった。
『その
幸か不幸か、天井だけでなく壁まで崩落していたので、破片さえ跳ね飛ばせれば真っ直ぐに突っ切ることができる。問題は……シャッター壁を破れる程の加速が得られるのかどうか、だ。
停車後はストリートレースの、スタートダッシュの時と同様に、半クラッチの状態でエンジンの回転数を高めているのが、座席の下から響いてくる振動で分かる。今この瞬間にも、頭上から瓦礫が落ちてくれば直撃だろうが……それは、失敗しても同じことだ。
『
だから睦月は、ハンドル下に取り付けてあるつまみを弄ってすぐに、
『……『全部振り切ってやる』』
しかし入れられていたギアは
『おい『運び屋』っ! お前何を、』
理沙が疑問を叫ぼうとするのを、勇太が強引に塞き止めてきた。
『ただの
偶々視界に入った姫香の方はギアを見てか見てないかまでは分からないが、少なくとも衝撃に備えようとしているのだろう、シートベルトを締めたままもがいている。
『……次に備えろっ!』
まさか、と理沙が嫌な予感がして、耐
ダブルクラッチ、という
一度ギアをニュートラルに入れてからクラッチを上げ、アクセルの加減でエンジンの回転数を急激に変化させる。そしてもう一度ギアチェンジを行い、再び繋げる技法だ。
二回クラッチを上げ下げし、ギアを切り替える。その動作から、
しかし……現代では、
大きな理由は二つ。
けれども、急激な回転数の変化に同調させるには、ダブルクラッチは必ず必要となってくる。
特に……エンジンに
睦月は慣れた仕草で、ハンドル下に取り付けてあるつまみを弄った。
それは、エンジン内部に
エンジンを動かすのは『混合気』と呼ばれる、
本来であれば、
通常時よりも加速させることのできるガスとその噴射装置。同じ成分が含まれているとはいえ、厳密には違う名前の
「……『全部振り切ってやる』」
即ち――――『ニトロ』
急激な回転数の中、持ち上げられるクラッチペダル。
ギアが噛み合った瞬間、内燃機関に噴流された亜酸化窒素により、過剰なまでに発生した燃焼エネルギーが牙を剥く。
――ゴァアア……!
爆発的なエンジン駆動がタイヤへと伝わり、通常では起こり得ない加速現象を引き起こした。
「っ、ぅ…………!?」
本来であれば、工業的な用途で使われる代物だ。ロケットエンジンの燃料の材料として使えないかと検討される程に強力なエネルギーを、一台の車で制御しようとすること自体が危険だった。
ゆえに、『
だが……『
父親の秀吉をはじめ、多くの『運び屋』達が培ってきた
「本当、きついな……」
思わず漏れ出る声を気にする者は、車内には誰もいない。視界の端に、ツァーカブの運転するAT車が微かに映った。その横を突っ切り、最後の
完全にゴールしたわけではないが、すでに勝敗は決した。
AT車は安定した加速が可能ではあるものの、
同様に
徐々に広がる車間距離、注入した亜酸化窒素が燃え尽きたのか、少しずつ速度が落ち始めていたが……
『――ゴォ~ル!』
……睦月がツァーカブを差し置いて、
「……だから貴様騒ぐなっ!」
睦月がレースに勝利したのを確認した理沙は立ち上がると、普段は絶対に見せない満面の笑みではしゃいでいる姫香を再び取り押さえようとした。
「いや~、すごかったね~」
「日本じゃ普通、見れねえもんな……
田村が愛用のオイルライターを弄びながら、近くにいた伯耆にそう話す。同じ感想を抱いていたからか、すぐに賛同の意が返されていた。
「そもそもさ……
「
秋濱の問いに、抽冬は以前、『
「それより
「…………っ」
「だから舌打ち止めろっ!」
せっかく浸っていた余韻を妨害され、不機嫌を露わにする姫香。しかし、そんな場合ではないだろうと、理沙は自らの愛銃を構え、店の外へと繋がる扉の方を見た。
「まったく……
軽い意趣返しのつもりか、遅れてゴールしたツァーカブの車は、さらに前方の所で停車していた。色々な意味で面倒だからと、睦月は運転席から出ることなく息を吐く。
――コン、コン
「……ん?」
無駄に騒ぐ
「騒がしそうだな……」
睦月はガラス越しにスマホを掲げてから、創のものに繋がる番号へ掛ける。
電話が繋がるや開口一番、創の声が車内に響いた。
『……俺も入れろよ。おい』
「
『正に今、俺がやられてんだよっ!?』
スマホ片手にバンバンと
「じゃあ助手席側に回れよ。もしくは先にトラックの方で待っててくれ」
そんな電話を交わす中、何人かが創に話し掛けている。その言葉はスマホ越しに、睦月の耳にも届いてきた。
『……『相変わらず付き合い悪いな』、だとさ』
「『ほっとけ』、って言っといてくれ」
睦月は元々、人付き合いは苦手な方だった。その上、
『それこそ……いまさらだろうが』
だが、周囲は睦月を手放そうとしてこない。
『お前が
「たく……」
誰からも見捨てられないうちが花なのか。それとも、永遠に纏わりつかれてしまう定めを呪うべきなのか。
人付き合いに対して未だに及び腰な睦月にとっては、おそらくは死ぬまで解けない命題なのだろう。
「……仕方ない、か」
どうせ勇太が話をつけるまで、少し時間がある。
睦月は旧友と言うには軽く、ただの観衆と言うには他人として扱えない顔馴染み達に、その姿を晒した。
――キン!
勇太はパシ、と軽い音を立てつつ、ツァーカブから投げられた鍵を受け取った。
「……これでいいだろ?」
「ああ……」
駆け寄ってくる『走り屋』時代の顔馴染み達に鍵を預け、
「……今後はもう、
「分かっている。もっとも……もう面目の方は、丸潰れだろうがな」
その証拠に、たった今車から出て来た睦月には観衆が集まっているが……ツァーカブの傍にいるのは、交渉役の勇太のみ。
人望の差が、明確に表れていた。
「もう行く……もう、
勇太の返事を待たず、再びエンジンが掛かった愛車と共に、ツァーカブは去って行く。
「…………そうだな」
この後に起きることを考えると、思わず憂鬱になってしまう。
しかし、睦月や創と旧交を温めている顔馴染み達を巻き込むわけにはいかない。急いでこの場を離れようと、勇太は二人の下へと向かった。
――Prrr…………Pi
「……私だ」
レースに負けた後であれば、大なり小なり無念に思うことだろう。しかし、ツァーカブはそんな様子を一切見せず、離れた場所で停車した車の中、取り出したスマホで電話を掛けていた。
「ああ、そうだ……
何故なら、ツァーカブにとって、これまでのレースはただの
「今すぐ全員来い。
たしかに、ツァーカブはレース場から離れ、二度と彼等に関わらないと言った。しかし、すでに引退した『
離れた場所で監視していた配下に足取りを追わせ、自らもまた、彼等の下へと向かう為の準備を進めていく。
「移動した? どこに……そうか、分かった。罠の可能性もある。1㎞圏内に伏兵が居ないかも調べておけ。すぐに行く」
並の
まずは伏兵を排除して近付けるようにし……その上で、目的の物を奪う。
――Pi
「ようやく、手に入る……」
ギリ、とハンドルを握る手に力が入る。
今この時、ツァーカブの心境はレースに負けた悔恨ではなく……探し求めていた物を見つけた時の高揚に傾いていた。
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