078 案件No.005_レースドライバー(Versus_Shakah)(その1)

「梅雨が明けたな……」

 七月にまで雪崩れ込んでいた梅雨前線も落ち着き、陽が長くなる頃合い。

 車体マシンの最終調整を終えた睦月は、手配した車両運搬用のトラックの荷台に載せ、自らの手で鍵を掛けた。

 費用は勇太が出したが、トラックを手配したのは睦月だ。後は運転手に運んで貰えば、細工されることなくレースに臨むことができる。

 ……そのトラックが事故を起こす可能性もなくはないが、考え出すとキリがないので、睦月は強引に思考を切った。

「ていうか……何で手配した運転手がお前なんだよ? 『偽造屋』」

「いや、待ってる間暇だと思ってさ……どうせなら、って引き受けた」

 軽く結わえ付けた金髪に黒の特攻服という、いかにもチンピラな姿スタイルで現れた昔馴染みの一人、『偽造屋』の是澤これさわ創がトラックの運転席から、睦月を見下ろしてくる。しかし、その顔が偽物・・だと分かっているだけに、何の感慨も湧かないからとすぐ視線を切ったが。

の変装引っ張り出してきやがって……相変わらず見苦しいな・・・・・

 本来ならば、有り得ない光景のはずだった。

 人が誰かに変装するには、適当な小道具なり肉体を変質させる薬品なりを使わなければならない。『詐欺師月偉』がわざわざ整形手術を繰り返して顔を変えているのも、長期的かつ現実的・・・に別人へと化ける為だ。

 しかし、ここにいる『偽造屋』は違う。

 幼少時から絵空事フィクションであるはずの変装技術を巧みに操り、まるで粘土遊びの感覚で顔を変えてくる。しかもある事情から、『走り屋』時代のチームメンバーでいる時も、素顔を晒すことは一切なかった。

 それも……地元の人間同士であるはずの、睦月や勇太しかいない時も含めて、だ。

「『偽装に変装、全てを欺く『偽造屋』』がモットーなもんでね」

 親が離婚したわけでもないのに、普段は母方の名字を名乗る程の徹底振りだ。ある意味では誰よりも、意識の高いプロフェッショナルだと言える。

「というか、お前も相変わらずだよな。俺の変装を見苦しい・・・・とか言いやがって……」

 そして、睦月はいつも、その変装に対して疑惑の目を向けていた。自らの発達障害ASDが原因なのか、単なる体質なのかは未だに分かっていない。だが、『偽造屋』の変装や『詐欺師月偉』の整形といった、不自然な顔付きを見た途端に気分を悪くしてしまう。

「……本当のことだろうが」

 だから睦月は、その手・・・の顔が前に出た途端にいつも、嫌なものに向ける視線をぶつけていた。

 それだけ偽らなければならないというのに、それでも『偽造屋』の仕事を選んだのは創自身だ。そのことについて睦月はもう気にせず、そのまま腕時計に視線を落とした。

 時計の文字盤を確認すると、仕事の時間まであと少しある。

 ギリギリに到着するのは主義に反するので、睦月は創に手振りで出発の合図をした。

「ほら行くぞ。運転の仕方、忘れてないだろうな?」

「当たり前だ。何度お前の車をトラックで運んだと思ってやがる」

 ただでさえ、レースに参加するのは無法者アウトローだらけなのだ。創に車を運ばせながら、睦月と勇太が別行動して対処する場面が一体幾度遭ったことか。

「……なあ、睦月」

「何だよ?」

 愛用のスポーツカーに乗り込もうと扉を開ける睦月の背中に、創の声が掛かる。

 睦月が振り返ると、創は無駄に精巧な表情の変化を見せながら、呆れたように息を吐き出していた。

「お前……本当は許しどころ、探してるんじゃないのか?」

「……どうだか」

 創に背を向けた睦月は、最後に一言だけ残した。


「どっちにしろ……土壇場で信用できなきゃ・・・・・、意味ねえよ」


 それが睦月の、偽らざる本心だった。




 ある日、睦月は創に呼び出されて、かつてのクラブ跡地溜まり場に来ていた。そこには勇太も居て、いつもの座席に腰掛けていたが……傷だらけな上に気落ちしているのが、簡単に窺える。

『……で、何の用で呼び出したんだよ? 創』

 別に話すのが嫌ではないが、無駄に喧嘩しそうだからと、睦月はこの場を設けた創に水を向けた。

『お前等が揉めると、後々面倒臭めんどそうだからな……』

 カウンター席で好物の無塩トマトジュースを飲みながら、創は素面・・で答えてきた。

『……せめて『手打ちにしろ』って、提案する為だよ』

 これには睦月も、素直に驚いた。

『昔馴染みの仲裁とか……そんな手間掛けるような手合いだったか、お前』

『どっちかっつうと、常連同士の揉め事防止トラブルバスターだよ。せっかく使えそうな店長おっさん雇ったってのに……もしお前等が店内で暴れたりしたら、こっちが迷惑を被るんだよ』

 空になったグラスに向けてトマトジュースが入った瓶の口を傾けることなく、創は頬杖を突いて溜息を吐いてくる。

『仲直りするかどうかはお前等で勝手に決めろ。俺には関係ないからな。だから……せめて休戦してくれ』

『お前は俺達を何だと思ってるんだよ……』

 そもそも、事の発端である当事者はこの場に居なかった。睦月と勇太がぶつかったのだって、結局は結果論でしかない。すでに決着の着いた今、再び争う理由はお互いになかった。

 ……が、人を雇う立場になれば、そんな言い訳を通すこと自体が難しくなる。

『たく……難しいよな。人を信用するのって』

『俺も、そう思うよ……』

 項垂れていた勇太がソファに思いきりもたれかかり、天井を見上げながらそう答えてきた。

『人間の嫉妬が、あそこまで醜くなるとはな……』

『……嫉妬したことがなかったのか?』

憧れ・・を嫉妬と言い換えていいなら、一応はあるよ……あそこまで醜くなるとは、思わなかったけどな』

 今回ばかりは、勇太側に非が有り過ぎた為だろうか。ペットボトルのスポーツドリンクを呷る以外、何もしてこなかった。いや、できなかった・・・・・・と言った方が正しいのかもしれない。

『体格に似合わない態度、見せやがって……』

『……お前よりはましだ。蝙蝠野郎』

 ガン、とカウンターにグラスを叩き付ける音が響いた。

『喧嘩するなら『喧嘩屋郁哉』呼ぶぞ。もう下の階に呼んでるからな』

 いっそもう呼ぼう、とでも思っているのか。創の手にはすでにスマホが握られていた。

『用意良過ぎだろ、お前……』

『お前よりはましだ、心配症睦月

 さて、どうする?

 そう視線で問い掛けられた睦月達は……同時に両手を挙げた。

『こっちは仕事の邪魔さえしてこなければ、それでいい』

『個人の裁量で、互いの仕事に影響しない範囲だったら放置する。だが、『掃除屋俺側』のせいで迷惑かけたら……今度こそ責任取って、先にあの世・・・に逝くよ』


『じゃあ…………誓え』


 創の言葉に合わせて、睦月と勇太はそれぞれ誓った。

『『運び屋』の名に懸けて』

『『掃除屋』の、名に懸けて……』

『『偽造屋』の名に懸けて、二人の誓いの見届け人になる』

 所詮は口約束だ。今のも自分達のガキ大将リーダーが決して破れない約束をさせる為に、でっち上げたルールでしかなかった。

 けれども……彼等がその誓いを破ることは、決してない。

 このルールの上手いところは、それぞれの職業に……生き様に誓わせているのだ。それを破るということは、自分の生き方を否定することになりかねない。

 感情論で合理性はないものの、実に有効的な手段だった。

『話は以上だ。この後はどうする?』

『もう帰るよ……まだ感情の方が落ち着いていない』

 早速誓いを破るわけにはいかない。他に用事がないならもう帰ろうと、睦月は二人に背を向けた。

『ついでに、郁哉と喧嘩してきたらどうだ? 喧嘩運動でストレス発散しとけ』

『断る。真正面まともにからじゃやったら、確実に負けるだろうが……』

 もう、面倒事はごめんだ……と、睦月は創のビルからそそくさと去って行った。




「じゃあ、何で仕事を請けてるんだよ……睦月」

 睦月の駆るスポーツカーの後ろを、創はトラックを運転して追い掛けている。

 最初に勇太から声を掛けられた時、創は二人の喧嘩を聞いて以来、久し振りに驚いてしまった。時折、睦月が仕事を請け負っているのは知っていたものの、まさか事情があるとはいえ、『走り屋』のチームが復活するとは思っていなかったからだ。

 おかげで勇太からの・・・・・依頼も含めて、抱えている仕事タスクを全て片付けなくてはならず、何日かは徹夜までした程だ。数日前には落ち着いたが、しばらくは休日を取ろうかと思わず考えてしまう。

「旅行にでも行くかな。もうすぐ夏だし……避暑も兼ねて北の方とか?」

 仕事柄、というべきか……『偽造屋』として依頼を請ける度に、ここ最近の情勢を理解することは容易だった。キナ臭い空気が流れている以上、しばらくは身を隠すことも検討した方がいいかもしれない。


「あ~……おっさん達と一緒に、店で観戦してれば良かったかも」




 ここはとあるビルの地下一階にあるバー『Alter』、酒瓶の並ぶ棚の横にはテレビが設置されている。

「……うし、繋がった」

 常連の一人である伯耆ほうきがそのテレビの配線を弄り回し、ある映像を店内に流せるようにしていた。

 店にいるのは雇われ店長のバーテンこと抽冬と、この店の常連一同。いつもはその内の数人しかいないが、今日はレースという盛大なイベントがあるからと、普段はあまり顔を見せない者達も、都合を付けて来ている。

雇い主オーナーも大変だな……全員飲み物持った?」

 特に返事はない。この場にいる全員が飲み物を持ったということだろうと、抽冬もまたグラスに水を注いでいく。今日ばかりは観客しかいないので、接客の必要はないと思っていたのだが……そう判断した途端、入店してくる者が二人。

「…………っ」

ここ・・での争いはなしだぞ。分かってるな……?」

 舌打ちする姫香に、訝し気な眼差しで返す理沙。

「……いらっしゃい」

 店内で喧嘩しだしたらどうしようかと思っていたが……どうやら二人共、すでに厳重に注意されていたらしい。表面上だけでも平和に入店した後は、持ち込みで増やしたパイプ椅子の空きにそれぞれ腰掛けていく。同時に、背負っていた大きな鞄が二つ、床に置かれる音が響いた。

「ご注文は?」

「…………」

「水素水」

 姫香は黙ってテーブルチャージの千円札を差し出してから、水筒のふたを開けている。抽冬はそれを受け取った後、ウォーターサーバーの水素水をグラスに注ぎ始めた。

「……水素水なんてあるの?」

「この前お試しで設置してみたら、意外と好評だったからメニューに加えた」

 ビール片手に、カウンターの裏を覗き込んでくる秋濱にそう答えてから、抽冬は注文された品を理沙に手渡した。

 その秋濱の隣の席で煙草を吸っていた田村は、テレビの画面から姫香達の方へと視線を移した。

「ところで何で、二人はこの店こっちに?」

 抽冬もまた、同じ疑問を抱いていた。最初に話を聞いた時は、てっきり『走り屋』チームに参加するか、その近隣に控えているものと思ったのだが……彼女達は何故か、この店ここに居る。

 直接観戦に行こうという案も出てはいたのだが、後程・・面倒が起きることを『偽造屋オーナー』から聞いていた為、伯耆が遠隔での動画撮影を手配することで話が付いた。

 だから常連達も(身の安全を考慮して)、店内でのライブ観戦で決着したのだが……二人がここに来ることは、まったく聞かされていない。

「……念の為だ」

 抽冬から受け取ったグラスを口につけた理沙は一度だけ、視線を上に向けてから答えた。

「元々は『ブギーマン』のアジトの一つで待機する手筈だったんだが……私達が・・・見張られている可能性が出てきてな」

 理沙は姫香と共に、『ブギーマン』のアジトへと向かう予定だったと説明してきた。一応は設備だけ用意された場所な上、他には誰も待機しないことになっていたのだが……マンションの一室なので、戦闘行為があれば確実に目立つ。

「仕方がないから代案として、ここに来たわけだ」

『…………』

 再び喉に流し込まれる水素水を堪能する理沙を尻目に、抽冬は常連達を見回した。全員の視線と全て重なったことを確認してから、カウンター裏に隠してある自動拳銃オートマティックを取り出し、予備の弾倉マガジンも一緒に用意し始めた。

「他に武器はないのっ!?」

「『偽造屋オーナー』の隠し工房作業場にあると思うけど……無いから入れない」

 入り口から店内へと降りてくる階段の裏にエレベーターがあるものの、あれは完全なトラップだ。創の隠し工房作業場にすら、繋がっているかどうかも怪しい。しかも知っているのは、『偽造屋オーナー』を除けば死人のみ。

「安心しろ。武器はここ・・にある」

 そして軽く叩かれる二人の荷物のうち一つ。つまり中身は、大量の武器だった。

「いや、それ以前にこっちを巻き込まないでよっ!?」

 夏堀のツッコミに賛同する者多数。さすがにまずいと思ってか、田村は灰皿に吸殻を押し付けながら、抽冬に提案してきた。

「……おじさん、もういっそ貸切にしたら? 観戦希望者面子はもう揃ってるんだし」

「それも有りか……」

 雇い主である『偽造屋オーナー』にメッセージアプリで報告を入れてから、抽冬は銃器の次に、『reserved』の札を取り出した。

「というわけで……シャッター降ろす前に、誰かこの札、入り口横の壁に掛けて来て。俺は嫌だ」

「俺だって嫌だよ」

「同じく~」

 似たり寄ったりの返事が飛んでくる中、抽冬は元凶である少女二人をじっと見つめた。

「……どっちでもいいから掛けて来て」

 完全に争いの火種だが、ここで暴れるわけにはいかないと思ったのだろう。そもそも元凶なので、逆らうことができない。

 賭けに・・・ならない・・・・レースよりはましと考えてか、抽冬と愉快な常連達は、姫香と理沙のジャンケン勝負にドリンク一杯(千円)を賭け始めた。

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