049 案件No.004_荷物の一時預かり及びその配送(その1)
早朝の整備工場内にて。
「……準備はいいか?」
仕事用のスポーツカーのボンネットを閉じた睦月は、事務室から出て来た姫香にそう問い掛ける。彼女は首肯し、肩掛けにしていた手提げ鞄を降ろして手に持ち替えた。
今日は動き回る可能性も高いので、いつものVネックワンピースではなく、通学用のデニム姿で済ませている。無論、
「良し、じゃあ駅まで送るから……電車で首都まで行ってくれ」
悪いな、と漏らす睦月に、姫香は軽く肩を竦めるだけで答えた。
(やっぱり、適当な奴を雇えるようにしないとな……)
個人経営の限界、というよりも大きな弱点の一つは、人数の少なさだ。
規模に応じて仕事を選べば、普段の経営にはさほど問題はない。しかし、突発的な仕事を行う上では、人数の少なさは対応できる範囲の限界を意味する。この世から、残業がなくならない理由の大半がそれだ。休みたくとも、仕事量が多くて休めないのだ。
ただ、それ以前に……睦月はあまり、姫香を戦闘するような状況に巻き込みたくないと思っている。
たしかに強いし、時折近接戦闘の稽古(ベッドでのご褒美付き)もつけて貰っているものの……それでも姫香は、睦月の
だから睦月は、常に姫香と仕事をしているわけではない。今回のように人手が足りない時は助けて貰うが、後方に下げておくのが基本的なスタンスだった。
……『非常時の予備戦力』という理由もあるが、それで姫香に負担を掛け続けるのは良くないだろう。今回の仕事が片付いた後に、予備人員の確保を検討してもいいかもしれない。
そんなことを考えながらも、睦月は姫香に向けて、車の方を指差した。
「早く乗れ。そろそろ行くぞ」
運転席に睦月、助手席に姫香が乗り込んだ後に、国産スポーツカーはエンジン音と共に、前進を開始した。
――ピンポ~ン……
『……はい』
「あ、すみません。馬込ですけど……」
『由希奈ちゃん!? ごめん、ちょっと待っててね!』
わりと駅に近いマンションに、彩未は部屋を借りていた。
事前に聞いた住所に辿り着いた由希奈はエレベーターで最上階にまで登り、インターホンで中にいる彩未を呼び出す。
――トッ、トトッ……ガチャッ
「ごめんね来て貰って、上がって上がって~」
「お、お邪魔します……」
高校の制服を着た彩未が玄関を開けて、由希奈を迎え入れてくれる。
本来は女子大生ではあるものの、彩未の制服姿を見たからか……今年に、いや通信制高校に通い出してから、誰かの家に訪問する機会が多くなっていることを思い、ふと由希奈はある空想を描いた。
(いつか、睦月さんの家にも……いや、私の家に誘うのも、)
「……由希奈ちゃん?」
「ぁぅっ!?」
妄想に耽溺し過ぎた為か、奥に通された後も意識を引っ張られていた由希奈は、彩未からの呼び掛けについ驚いてしまう。
「ぇ、ぁ、あ、すみません……考えごと、してました」
どうにか取り繕う由希奈に、彩未は特にツッコむことなく座席を勧めた。
「仕事のない時なら遊びに来てもいいけど……あんまりお勧めしないからね? 何だかんだ危ないし」
「あ、あはは……」
今でも付き合いのある友人がいないとでも調べたのか、それとも
「私も由希奈ちゃんとどこかに遊びに行きたいけど、今日は
そう言うと、彩未は八帖の部屋の一角を指差した。そこにはL字型机に長机を繋げて延長させ、その上から壁一面にかけて大小様々なPCモニターが設置してある。今は画面が暗く、由希奈の目には何も映っていないが。
机の前にあるゲーミングチェアに腰掛けた彩未は、タブレットPCを取り出してから由希奈に向けて手を伸ばす。
「じゃあ……睦月君が頼んでいたもの、頂戴」
「あ、はい……」
由希奈は鞄の中を漁り、中から
「……どうぞ」
「ありがとう。いやあ、由希奈ちゃんが
「それなら、良かった……です」
ただ……それを自分で作ったとは、由希奈には言い辛かった。
元々、仕事で作り方を覚えていた菜水に、指導を受けながら作成した結果が、今彩未に手渡したプレゼン資料のファイルなのだ。果たしてそれでいいのか、と内容を確認していく彩未の様子を立ったまま、静かに見つめて……
「……あ~、ごめんごめん! 適当な椅子に腰掛けてくれればいいから」
由希奈から渡されたプレゼン資料のファイルを確認している途中で、ふと立ち尽くしたままだということに気付いた彩未は、近くにある椅子をいくつも勧める。それこそ安物のビジネスチェアから、アウトドア用品であるはずのキャンプ椅子に至るまで様々だ。
「たくさん、ありますね……」
「この
彩未の言葉に、由希奈は手近なビジネスチェアに腰掛けながら、周囲を見渡していく。部屋に入ってから少し、違和感があった理由が何となく分かってきた。
……この部屋には、
「ということは……
「そ、保険としてね。何かあったらこの部屋も捨てるから、由希奈ちゃんも変な人に捕まったりしたら、すぐばらしていいからね~」
「…………」
その言葉に、由希奈は黙り込んでしまう。
思い出してしまったからだ。
『
そう、姫香に釘を刺された日のことを。
「彩未さんは、続けられるんですか?
「すぐ辞める気はない、ってだけ。まあ……簡単に抜けられるとは思わないけどね」
顔を上げ、苦笑いを由希奈に向けた彩未は、データを抜き終えた
「その時は由希奈ちゃんみたいに、睦月君達に助けて貰うつもり……この
「ぁ、えっと……」
的確に図星を突かれ、少し喘いでしまう由希奈に対して、彩未は慌てて手を振った。
「ああ、違う違う! 手伝って貰ったことを責めてるわけじゃないから。ちゃんと仕事してくれたことを嬉しく思ってるだけだから!」
「ちゃんと……なんでしょうか?」
それがずっと……由希奈の心の中で、しこりとして残っている。
これは由希奈
「最初から、人に頼ってばかりで……甘えているんじゃないか、って思ってしまって……」
「ああ、大丈夫大丈夫。むしろ……
それが由希奈の為になると思ったのか、彩未はあえて、強い口調で否定してきた。
「由希奈ちゃんが睦月君に頼まれたのは、『観光計画を用意する』ことでしょう? たしかに報酬は一人分だけど……『他の人に頼っちゃいけない』とは、誰も言ってないからね。特に今回の仕事は、守秘義務なんてないんだし」
「そう、いうものですか……」
言葉の裏は、読み取り辛い。
由希奈は改めて、
「細かいこと言うときりないけどさ……大事なのは『自分の力』で『結果を出す』こと。宿題だって教えて貰おうとせずに人の写してばっかりだと、
「あ……」
そういわれた由希奈は、睦月との会話で出てきた彼の父、秀吉の言葉を思い出した。
『
「……前にも、そんな話を聞いたことがあります」
「つまりそういうこと」
彩未はタブレットPCを畳んで机の上に置いてから、足を組んで由希奈の方を見つめてくる。
「全部
だからこれ、と彩未はタブレットPCの横に置いておいた、報酬入りの封筒を手に取り、由希奈の前に差し出してきた。
「気になるなら、その
「…………はい」
それが相場通りなのか、友人価格で多めに色を付けて貰えたのか、それとも素人仕事で安く見積もられているのか。働き慣れていない由希奈には、それが正当な金額なのかは分からない。
「ありがとう……ございます」
「こっちこそ、ありがとうね~」
それでも……初めての報酬は、由希奈自身の成長を図る上では、とても大きな
「じゃ、私はまだ仕事があるから……由希奈ちゃんはゆっくり、その
「あ、はい! ありがとうございました……っ!」
親しき中にも礼儀あり、とまではいかないだろうが……由希奈は自然と、彩未に向けて頭を下げてしまった。
……自分の力でお金を稼いだことが、『喜び』となって心の中を埋め尽くしてしまい、思わずに。
「さて、と……」
彩未が今居る部屋の家賃よりも安いが、成人しているとはいえ高校生のお小遣いとしては多い。そして……裏社会の仕事では一番簡単な上に、相場よりも安い。
それでも、そのお金を持って嬉しそうにしている由希奈を見送った後……彩未は、
「……お仕事と行きますか」
先程由希奈に『仕事がある』と話したことは、嘘ではない。
そもそも、今回の仕事も……睦月に護衛を頼まれた姫香が、必要だからと彩未に依頼してきたのが切っ掛けだ。
観光情報を彩未の方で統率しつつ……周囲の監視カメラを用いて、不審人物を探し当てる。それが今回の、『
――ブーッ、ブーッ……
「おっとっと……はい、もしもし?」
『……準備はできた?』
「今丁度できたとこ……タイミングいいね、姫香ちゃん」
電話の相手は、今は駅に居る姫香だった。
これから首都へ向かい、ある人物の護衛と通訳、そして観光案内をしなければならない。姫香は実力者ではあるものの、所詮は一人の人間だ。単純に手が足りていない。
だから姫香は、彩未に依頼してきたのだ。
自分が護衛対象の傍に居て警戒する間……観光情報と周辺の監視を、『ブギーマン』に外部依頼する為に。
(その辺りは……経験の差かな?)
初めて仕事を頼まれた由希奈と違い、
(だから睦月君や姫香ちゃんと仕事するのは好きなんだよね~……ちゃんとやってくれるから)
『人』という漢字が、人と人が支え合ってできていると、昔のドラマか何かで言っていたことを、ふと彩未は思い出した。しかし支え合うということは、同時に『バランスを取る』為にそれぞれが、力の配分を調整しなければならない。でなければ、双方共倒れになってしまう。
そう考えると、彼等との仕事は彩未にとって、とてもやりやすかった。
『これから電車で向かうから、あんたは首都周辺をよろしく。空港の方は?』
「今のところは何も……って言いたいけれど、『手配犯が税関で引っ掛かった』とか、そういう目立った話がないだけ、だけどね」
『…………っ』
「だから『使えない』って思わないでくれるお願いだから舌打ち止めて」
呼吸抜きで捲し立てるものの、姫香は彩未の言葉に取り合ってくれなかった。
『いいからさっさと仕事。そろそろ電車の時間だから、着いたらすぐ電話するわ』
「はいはい、分かりました姫香様」
『よろしい』
その言葉を最後に、姫香はさっさと電話を切ってしまった。
一応、観光案内の情報を精査するのは彩未の仕事だったので、由希奈の『仕事の出来栄え』を詳しく聞いてくるかとも思っていたのだが、そんなことはまったくなかった。
「私を信頼してくれているのか、それとも意外と由希奈ちゃんを信用しているのか……最悪
むしろ自分が姫香を信用していないのではないか、とも一瞬考えてしまったが……
「……ま、せっかく依頼してくれたんだしね。頑張りますか」
仕事をこなすのは義務だが、一層精力的に取り組みたくなるのは
より的確に、
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