042 姫香とのデート(その1)

「ん~…………」

 陽光照らされる自室・・にて、姫香はデートの時の為に取り寄せた高級下着ランジェリーを身に着け、その具合を確かめていた。

「……うん、悪くないわね」

 赤のブラジリアンタンガ、しかも通常よりも過剰なまでに扇情的なデザインだった。姫香位顔立ちが整っていなければ、下着に着られてしまいかねない程に。

 しかし姫香は、その下着だけでは満足していない。服もまた、手間暇を惜しまずに選定している。いつもと異なる格好という『非日常』で魅力は数割増し。さらに薄めとはいえ、普段はしない化粧も施す予定だ。

「…………よし」

 今日の自分に死角無し。

 満足気に頷いた姫香は、またしばらく空けることになりそうな自室から出て鍵を掛け、睦月との待ち合わせ場所へと向かった。

 ただしその前に、寄る所がある。


「またしばらく声出す機会ないだろうし……カラオケ行っとこ」


 個室にすれば、化粧をしている場面を人に見られることもない上に、周囲に迷惑を掛けずに声を出すのであれば、カラオケは最適だった。

 ……残念な点は、睦月と一緒に行けないこと位だろう。




「……で、何で俺はここにいるんだ?」

「私が姫香ちゃんに頼まれたから」

 姫香とのデート当日。飲み会から一夜明けた朝早くから、睦月は彩未に連れられて車を運転させられ、少し離れた場所にあるショッピングモールへと来ていた。開店早々に店内へと引っ張られ、強引に衣服を見繕わさせられているのが現状だった。

「睦月君、服の趣味はいいけど一辺倒じゃん。姫香ちゃん、その辺り信用してないってさ」

「姫香の奴……で、構ってちゃんお人好しなお前が、代わりに俺の服を見繕ってくれる、ってことか」

「まあ……借り・・もあるしね」

「借り……?」

 その言葉を聞き……ようやく睦月は、ある事実を悟った。

「もしかして……婆さんとの交渉に、姫香の手を借りたとか?」

「だってぇ~……」

 彩未は、盛大に溜息を吐きながら答えてきた。

「……お金で何とかなるの、智春んだけじゃん」

 拝金主義者の店員はともかく、老獪な情報屋にはさしもの『ブギーマン』も太刀打ちできなかった。それが先日の結果だったのだろう。ただ……彩未と智春の仲が良さそうなのを見て、睦月には別の不安が生まれていたが。

(二人で手を組んで、大金目当てにえげつないことをやらかさなきゃいいけど……)

 内心で若干失礼なことを考える睦月に気付かず、彩未は姫香に助けられた件について愚痴り出してきた。

「しかも睦月君の時とは違って、ほんの一言二言であっさり解決したんだけど……姫香ちゃん、和音さん相手にどんな弱み握ってるの?」

「……それは俺も知りたい」

 いまさら、相手を信用していないわけじゃない。

 だが姫香が睦月の見ていないところで何をやっているのか、時折不安に駆られてしまうことがある。心配とかではなく……恐怖、という意味で。

「あいつ裏で何やっているのか、偶に怖くなるんだよな。この前なんて、追加報酬に何故か『グザイスッポン』を要求していたし」

「ああ、あのスッポン……精力増強目当て?」

「せめて美容方面であって欲しい……」

 流行に詳しい彩未が選んだ服の中から好みのものを受け取った睦月は、そのまま試着室へと入って行く。

「そもそもあいつ、本当は金、結構持ってんだよな。ただでさえ、愼治の奴から『仕送り代わり』ってアパートの権利貰って、家賃収入だけでも十分食っていけるし。その上、『運び屋』の仕事も手伝ってるから、蓄えはもう八桁行ってるんじゃないか?」

「しかも姫香ちゃん、銀行とかに預けず、ある程度貯まったら金に換えてるみたいだしね」

「……マジで?」

 それは初耳だった睦月は、未だに姫香のことを理解しきれていなかったと自省する。

「それなのに、何で俺と一緒に居るんだ……あいつ」

「睦月君、それが『女の子の愛』ってやつだよ」

 試着室のカーテンを開けて、身に着けた服装について意見を求める。

「どうだ?」

「……やっぱり地味」

「ほっとけ。ただの運転手が目立ってどうする?」

「分かってないなぁ~、睦月君は……」

 やれやれ、とばかりに首を振る彩未は、少し歪んでいる睦月の顔に指を突き付け、少し真剣な眼差しを向けた。


姫香ちゃん女の子がちゃんと愛してる、って態度で示してくれているんだよ。それに睦月君男の子が応えなくてどうするの?」


「…………」

 睦月は憮然とした顔を向けてから、再びカーテンを閉めた。

「汝、自らの過ちを告白し、悔い改めて下さい」

「懺悔室ごっこするな。後、多分文言間違ってるから」

 次の服に着替えながらも、睦月は周囲に気を付けながら、改めて話し始めた。

「あいつと組んで、仕事を始めてから少しして……姫香を殺そうとしたことがあるんだよ」

「うん……姫香ちゃんから聞いてる」

 トス、と軽い音が聞こえてくる。

 試着室の端に、背中からもたれかかっているらしい。周囲を見張りやすく、かつ小声でも会話をしやすくする為、だろう。

「詳しいことは聞いていないが……『睦月が死んだ』って聞かされたらしい。で、それにまんまと騙されたんだと」

「姫香ちゃんらしいね……それで?」

「あいつ、仇討ちとばかりに相手に挑みかかったんだよ」

 それだけ・・ならば、止めて欲しいとは思いつつも、内心嬉しく思うだけで済んだだろう。だが、睦月にとっては、そうではなかった。

「それだけなら良かった。でも、な……姫香の奴、その時自分の生命いのちを顧みなかったんだよ」

「……心中するつもりだった、ってこと?」

「もしくは、仇討ちの方は次いでで……そのまま俺の後を追って、死のうとしていたのかもしれないな」

 そして、遅れて駆けつけた睦月は、姫香の行動を止めて一旦引いてから……ブチ切れた。

「どっちにせよ、あの馬鹿は自分の生命いのちを俺に寄越そうとしてきやがったんだ……それが俺には、許せなかったんだよ」

「……気持ちが重い、ってこと?」

「勝手に俺の人生に圧し掛かるな、って意味では合ってるな」

 それが、睦月にはどうしても許せないことだった。

「人殺しの罪背負って生きていける程、俺の神経は図太くない、って彩未も知ってるだろ? ましてや、自分の生命いのちを勝手に押し付けられてみろ……自分の意思で人を殺すよりもきついぞ」

 自らの意思で殺す分には、まだ折り合いをつけられる。自身の身や利益を守る為という、傲慢な免罪符があるからだ。

 しかし、相手から望まぬ・・・生命いのちを捧げられた場合は違う。こちらの意思等関係なく、無理矢理『人殺しの罪』を背負わされるようなものなのだ。

 殺人鬼のような異常者でなければ、常人ではまず間違いなく、その重さに耐え切れない。

 ましてや、それが見知らぬ赤の他人でなく……自らが拾い、己が人生へと巻き込んだ相手となれば、なおさらだった。

「それで、前に生命いのちすら差し出そうとしたのが……姫香あの馬鹿だ」

「それも本人から聞いてる。でも姫香ちゃん、生き方を変える気はないみたいだよ?」

「人の生き方どうこうに、口出しする気はないよ。聞き入れられなきゃ完全に時間の無駄。それどころか……他人の人生に指図すること自体、たとえ神でも許されない所業だしな」

 すでに着替え終えてはいるものの、睦月は試着室のカーテンを、すぐに開ける気にはなれなかった。

「俺を好いてくれているのは、純粋に嬉しいよ。でもな、俺自身が姫香に好かれるような人間なのかって、偶に思うんだよ」

「睦月君って……自己肯定とか、できないタイプ?」

「やり方が下手なのは否定しねえよ。特に、他の連中を見ているとな」

 自己肯定を高めるやり方で一番手っ取り早いのは、誰かの上に立つことだ。

 勉強でも運動でも立場でも、それこそ犯罪行為でもいい。

 相手を下位に追い込めれば、相対的に自分が上位だと思い・・込める・・・。努力のできるできない以前の、やるやらないすら関係ないやり方だった。

 自分が相手より上の立ち位置にいる。

 そう思い込めるだけでも自分を肯定することが、自分が正しいのだと錯覚することができる。人類から『差別』の二文字がなくならない理由の一つが、それなのかもしれない。

「勉強はそこまでできる方じゃない。運動だって、俺より動ける奴は何人もいた。俺が自慢できたのは精々、姑息な不意討ち位だよ」

 睦月はよく、姫香と模擬戦(性交セックスという意味ではなく、純粋な肉弾戦)をしているが……訓練であることを忘れて、強引に性交セックスへと持ち込んだ一回以外、全て負けていた。

 無論、その一回の勝利すら、睦月にとってはただの『反則負け』に過ぎないのだが。

 しかし、そんなことは関係ない……

「俺より強くて何でもできる奴が、『ただ拾った』ってだけで俺に懐いてくる。いまさら男の意地だの何だのと言う気はないが……そんなすごい奴に命懸けで好かれている。その事実が重すぎて、こっちがどう応えればいいのか……悩みが尽きねえよ」

「その割には……結構『馬鹿』、『馬鹿』言ってない?」

「人間である以上、徹頭徹尾完璧じゃいられないだろう? 姫香が馬鹿やってる時以外で……俺があいつに勝てると思ったことは、ほとんどねえよ」

 美女を侍らせたいという男もいるだろうが、彼等は理解しているのだろうか?

 自分達が、その侍らせたい美女に釣り合うだけの存在だと証明できるのかを。

 主観ではなく……客観的な事実でもって。

「他人を見下すのは簡単だ。でもな……それで俺が上になれるわけじゃないだろう? あいつに釣り合う男になるのに、俺は後、どれだけの努力を積み上げていけばいいんだよ……」

 姫香にブチ切れたあの時、もしかしたら、嫉妬の気持ちも入っていたのかもしれない。

 ……いや、単に慣れていなかったのだろう。


 目上の人間が自分に対して、異性としての好意を向けてくることに。


「弥生の時は、どちらも未成熟な馬鹿だっただけだ。京子さんの時は、ある意味仕事の延長で完全に割り切れた。他に抱いた女も、お前含めて似たり寄ったりだよ。だけどな……あいつは違う。本当の意味で初めて、俺の『女』だって示したんだよ」

 昔馴染み月偉が捕まったあの日、睦月は姫香に問い掛けた。『俺達って、どういう関係なんだろうな?』と。その答えは、睦月を指差した後に自身の胸元で小指を立て、『睦月の女』だと手話で示すことで返された。

「難しいよな……恋愛って」

「それは……ちょっと分かる、かな」

 カーテン越しに、黙って聞いていた彩未の声が響いてくる。

「私にも、分からないよ……だからつい、相手に依存しちゃうんだよね」

「それ……もう強迫観念じゃねえか?」

「かもね……でも、」

 彩未は、睦月に告げた。

「でも……私は睦月君のこと、好きだよ」

 睦月は、思わず頭を抱えてしまった。

「今ならちゃんと、卯都木月偉あのクソ野郎の時よりもはっきり言える。気の置けない友達だって思っているし、身体の関係を持つ程度には異性として見ている」

「……悩みを増やすな」

「大丈夫だよ……」

 またぞろ相手が増えたのかと考え込もうとする睦月に、彩未は待ったをかけた。


「だって私、睦月君のこと……愛して・・・いない・・・から」


 睦月は、混乱した。『好き』と『愛していない』という、ある意味矛盾した気持ちをぶつけられたのだから。しかし彩未は、その言葉に矛盾はないと言い切ってくる。

「私がいつか、『裏社会の住人ブギーマン』を辞めた時……もう二度と、睦月君達に会う気はないから。というよりも、ついて行けないと思う」

 一体何が言いたいのか、そう問い質そうとする前に、彩未の声に遮られた。


「『人が、誰か何かを信仰するのは、その存在に縋っているからでも、その威光を恐れているからでもない……その生き様に憧れたからだ』、でしょ?」


 それはかつて、睦月が彩未に言った言葉だった。

「心配しなくても、姫香ちゃんは縋ったり恐れたりしたから、睦月君について行っているわけじゃないよ。ただ……睦月君の生き様に惚れたから、最後までついて行こうとしているんだと思う」

「そうか、な……」

「そうだよ。それに……」

 気が付けば、彩未はカーテンを捲って、楽しげに中を覗き込んでいた。関係的にはいまさらとはいえ、もし着替え中だったらどうするつもりだったのだろうか。

人付き合いが苦手甘え下手なのはお互い様じゃない?」

「……かもな」

 そもそも、デートする理由が、理由だった。

『一緒に来てくれ。こっちの護衛は頼めるか?』

 姫香に仕事の手伝いを頼む時はいつも、一つ借りだと思うようにしている。そして、その借りを返す為に、その都度相手の言うことを聞くようにしてきた。今回もまた、由希奈からの依頼の際に、護衛を頼んだ結果、『一日デート』を求められたのだ。

 もっとも、今回含めて、姫香の要求の大半は『一日デート』だったわけだが。

「変なところで素直じゃないよね……二人共・・・

「ほっとけ……」

 彩未を押し退け、試着室のカーテンを開ける睦月。

「……これでどうだ?」

「まだちょっと地味かもだけど……いいんじゃない?」

 押し退けた彩未からその返答を受け、睦月は今着ている服を購入することにした。

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