035 案件No.003_長距離高速送迎(その8)
過去を話し終えた後も、睦月の言葉は続いた。
「その後は、前に高校で話した通りです。中卒で親父の仕事を手伝いながら、『運び屋』として必要な知識や技術を叩き込まれていました。進学するならどっちにせよ地元を出ることになるので、どうせならと廃村寸前まで残ってたんです」
「そう、ですか……」
少なくとも、由希奈自身が同じ立場であれば、まず選ばない
「……不安じゃ、なかったですか?」
周囲から、『普通』から外れて生きるのは、それだけでもかなりの労力を要する。事前に整備されていない道を歩く。いや、道そのものを自分で切り拓いていかなければならない。公務員や大企業を就職先に選ぶ人間が多いのも、すでに出来上がっている道だからだろう。
正しいのかどうかも、そもそも正解なのかもわからない。中には『間違っている』と一方的に決めつけてくる者達もいる。それに、自身に抱え込む不安や迷いが、その決意を揺らがせるかもしれない。
たとえ同じ状況だったとしても、由希奈にはとても、睦月のような生き方はできなかっただろう。
ただでさえ『交通事故の被害者』という、一般人から外れた立場に追い込まれただけでも、不安と焦燥で、内向的な性格に歯止めが掛からなくなっていた。精神状態が落ち着かないからと、入院していた病院にあった精神科の診療を受けたのも、それが理由だった。その結果、自身がASDだと知る羽目になったのだが。
入院時にもカウンセリングは受けていたものの、足のリハビリが優先だったので、そこまで本格的な内容ではなかった。それに由希奈自身も、当時は目まぐるしい状況の変化に現実が受け入れられず、しばらくは自分の殻へと閉じ籠ってしまっていた。
けれども、もし……由希奈が睦月と共通する点があるとすれば、
「不安しかないですよ。でも……人生なんて、そんなもんでしょう?」
睦月にとっての
「たしかに、
仕事に、給料以上の見返りを求める者達もたしかにいる。会社の方から、社員にやる気を求めている場合もある。
ただ、金銭以外に求めるものがあるとすれば、それは仕事の内容であり、得られる結果……どう働いて生きるか、だ。
「自分が死ぬその瞬間まで、自分以外の言葉に惑わされず、自分が欲しいものを求め、自分が
おそらくは睦月自身、それが正しいのかどうかは分かっていないのだろう。ただ、それでも由希奈には理解できた。
(『その生き様に憧れた』、か…………)
正しさなんて関係ない。ただ自分の意思で、前に進みたいと。
その、揺るがない想いを目の当たりにしたからこそ、
(…………分かる、気がする)
由希奈は……睦月を異性として意識していることを、自覚できたのだ。
(私も、そう生きたい……この人と共に)
……そろそろ、高速道路の出口が近付いてくる。
「もうすぐ着きますね。慌てて出てきたから、言い訳どうするかな……」
「……あ、あのっ」
速度を落としつつ、ギアを落としていく睦月の運転の邪魔をしないよう、それでも終わりそうな会話をどうにか続けようと、由希奈は口を開いていた。それに反比例して、掴んでいた杖を強く握り込んでいることに気付かないまま。
「も、もし、嫌だったら忘れてくれていいんですけれど……」
考えが纏まらない。何を言えばいいのかが分からなくなってくる。
それでも、もう依頼人として『甘える』ことはできなくなるから、言わなければならない。今後、そんな機会が来るとは限らないのだから。
だから、由希奈は言った。
「私と……
今の、睦月との関係はただの知人だ。少なくとも、由希奈はそう思っている。
ただの同級生で、学校か、何かの
自分達で遊びに行く予定を立てたい。一緒に食事をしたり、お茶をしながら他愛もない話をしたい。
……ただ単純に、同じ時間を共有したい。
たとえ相手を異性として見ていても、それが恋愛に発展するか、はたまた友愛で留まるかは分からない。
それでも、由希奈は睦月に、今まで以上の関係を求めた。
その第一歩が……『友達』だった。
「友達、ですか……」
「はい……」
どんな返事が来るかは分からない。相手が勘違いして、とんでもない事態に発展するかもしれない。周囲が余計なことを言って、関係が無暗に拗れてしまうだけかもしれない。
それでも由希奈は、
後は、睦月がどう答えるかだが……
「異性の友情って、ややこしいですよね……余計なことを考えてしまって」
「そう、ですね……」
おそらくは睦月も、由希奈と同じことを考えたのかもしれない。
「正直言うと、未来がどうなるかは分かりません。俺自身も、何も保証できない立場ですし」
「分かり、ます。分かっている……つもり、です」
他にも、社会の表と裏という、生きている世界が違い過ぎる。
ロミオとジュリエットみたいに、実家が常に争っているような状況でもない。だが、いつそうなってもおかしくないのが、今の二人の関係だ。人質や足枷等、由希奈の存在が睦月にとって重荷になる可能性も、またはその逆に見捨てられる可能性もある。
それは、由希奈自身も理解している……そのつもり、だった。
関係がどう変わるかも分からない内から、近付くこと自体危険かもしれない。けれども、それでも由希奈は、自らを偽ることはしたくなかった。
ゆえに、口を開いた。
「だから……お願い、します」
「…………」
今、誰かの思考が読めるのならば、由希奈は迷わず睦月の考えを読もうとするだろう。
それだけ、由希奈が相手の心情を量ることに苦手意識を抱いているのだ。だから杖を握りしめ、じっと睦月の出方を窺う。
その間にも車は料金所を抜け、高速道路を降りていく。
一般道で変わったばかりの信号に足止めされてしまう。そこで一度停車してから、ようやく、睦月からの返事が来た。
「……一つだけ、」
顔を上げる由希奈に、睦月は財布を取り出しながら告げた。
「一つだけ……約束してくれるなら、いいですよ」
「約束……?」
目的の物はすぐに取り出せたのか、
「……俺も『
突然のタメ口と膝に投げられた障害者手帳、そして突然
「……はいっ!」
無自覚に顔が笑い、声が大きくなってしまう。
「これからもお願いしますね……
抑えるのに苦労しつつも、相手が自分との共通点があるというだけで、嬉しくなってしまう気持ちに不謹慎さや罪悪感を抱きながら、
(そっか……)
由希奈の心は、静かに踊り出していた。
(私と睦月さん、同じなんだ……)
周囲の人達を見て、内心羨ましく思っていた……名前呼びに変えてしまう位に。
(問題は、姫香だよなぁ……)
別に由希奈と友人になること自体、睦月は何とも思っていなかった。
元々周囲にいるのが、自分以上にふざけた人種ばかりなのだ。いまさら同じASDの人間が友人になろうとも、友好的な関係が築けるならば特に問題はない。そもそも、馬の合わない相手ならばさっさと縁を切るのが、睦月のやり方なのだ。由希奈と上手くいかなければ、その時点で止めてしまえばいい。
なので問題は……姫香の方だった。
(彩未を蹴飛ばしたことを怒って、
さすがに仕事用の国産スポーツカーで、県境にあるバーベキュー場に戻るわけにはいかない。一度自宅マンションの駐車場に
「早めに戻らないと……また姫香が、何かやらかしかねん」
「少しは信じてあげたら?」
「信じてるよ……逆の意味でな」
後部座席から声を掛けてくる
銃器類の片付けは後で行うつもりなので、車ごとまとめて置いて戻れば、それでいいと考えていたのだが……何故か姫香は、車の中に彩未を残した状態でドアを閉めてしまったのだ。
「行き掛けも含めて、お前散々姫香にいじめられてんだろうが……むしろ何で、お前等友達付き合いできてんの? 正直不思議でならないんだけど」
「友達、って言っていいのかな? 私は友達だって思ってるんだけど……」
足を組んで首を傾げている彩未だが、すぐに解かれた。
「姫香ちゃん……顔を合わせる度に、大体嫌そうな目を向けてくるからなぁ~」
自宅マンションから整備工場はそこまで離れていないので、すぐに到着してしまう。
リモコンでシャッターを上げ、車を中へと乗り入れさせてからエンジンを停める睦月。
それを合図にして、二人は揃って降車した。
「じゃあ行こっか、」
「……ああ、ちょっと待ってくれ」
どうせ後で姫香にも伝えることだが、彩未には伝える暇もなく解散する可能性もある。だから今の内に伝えようと、睦月は戻る前に話し掛けた。
「ん? どうかした? 言っとくけど、エッチなことなら今度に、」
「……仕事の話だ、『ブギーマン』」
彩未の発言を遮った睦月は、『ブギーマン』への依頼を手短に済ませようとした。
「ちょっと、調べて欲しいことがあってな……」
「お待たせ……姫香、由希奈をいじめてないよなっ!?」
「睦月さんっ!?」
……返事は
「ご、ぁ…………」
「あ、あの……大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない? いつものことだし」
睦月の傍にしゃがみ込んで、心配そうな眼差しを向ける由希奈に、彩未は『大丈夫』だと声を掛けてから、姫香の元へと歩み寄った。
「ほら、急いで戻らないと……先行ってるからね~」
「行く、って、すぐ……そこじゃねぇか」
ざっと見た限り、特に痛めつけられた様子のない由希奈に安堵した彩未は姫香と共に、先にワゴン車の傍へと向かった。
(……ま、立ち位置的には一応、先輩だしね)
もしかしたら、彩未に呼び出されることも見越しての
ワゴン車の陰に入った彩未は、姫香の方を向きながら、腕を組んだ。
「姫香ちゃん、あんまりいじめないであげてね? 由希奈ちゃん、ただでさえ人付き合いが苦手なんだから……」
異常な環境下で育った睦月達とは違い、由希奈は
今回の件が由希奈にとっていいきっかけになったのかもしれないが、どう影響するかまでは分からない。かつて、似たような甘さを持っていた彩未だからこそ、少し心配になっているのだ。
そんな状況で、姫香が余計なことをしないようにと、釘を刺そうと思っていた彩未だったが……
「アタッ!?」
……目にも留まらぬ早さで、デコピンを返されてしまった。
「っう~……」
若干涙目になりながら額を抑えてしゃがみ込む彩未に、今度は姫香が腕を組んで見下ろしてくる。溜息を吐くように口を開け、
「……
そう
「
日頃の行いが、とツッコみたくなる彩未だったが、足音が近付いてくるので、仕方なく口を噤むことにした。
――Case No.003 has completed.
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