029 案件No.003_長距離高速送迎(その2)

(これだから、近頃の若造共は……昔は良かった)

 陽の落ちた海岸線を眺めながら、その男は内心で毒づいていた。

 最初こそ、昔なら無罪に・・・なる・・ような交通事故だというのに、近年ではドライブレコーダーによる物的証拠が簡単に用意できる為に相手を威圧できず、とうとう示談では済まない状況に陥ってしまったのだ。

 無理矢理相手の有責にできず、保険で賄えない分の賠償金を請求させられてしまい、仕方なく当たり屋で稼ごうとしたものの……結果は失敗に終わった。

 どこもかしこもドライブレコーダー常備、証拠を残して当たり前な世の中と化したので、男はこの国に見切りをつけることにしたのだ。

 ただ法律ルールを積み重ねていき、規律で厳しくしたからといって、国民全員が幸福になるわけではない。現に男の人生が今、終わろうとしている。

 それゆえに、これから暁連邦共和国へと亡命しようとしているのだが……そこでもケチがついてしまった。

 言語はどうにかなったものの、ここに来るまでに警察の手を振り切らなければならず、しかも向こうの都合で脱出しなければならないから待つ必要がある。

 ここに来るまでに結構な無茶をしたので、資金面は心許ない。いざとなれば使い捨てようと雇った護衛も、前金無しで引き受けてくれたのは『喧嘩屋』を謳う若造一人で、今は警戒すらせずに、乗り捨てる予定のレンタカーの上で寝転がっている有様だ。

(この国はもう、駄目だな……)

 自分のような善良な・・・国民を守ろうとせず、故意に・・・殺したわけでもないのに犯罪者扱いする。そんな国に未来はない。

 男が亡命しようと考えるには、十分な理由だった。

(それに戻りたくなろうとも、拉致被害者を手土産にすればこの程度の罪等、簡単に帳消しにできるだろう)

 妄想するだけであれば自由とはいえ、男は本気でそう考えていた。

 戦後の高度経済成長期を見て育った影響からか、たとえ罪を犯したとしても、金と力で解決できると考えてしまう節がある。実際は秩序を遵守する者達によって、それらの悪習は軒並み潰されていた。だからこそ、男の有責となったというのに。

 現状を理解できずに順応できない者、昔の良い面だけを見て過去の事例を持ち出す輩は後を絶たない。しかもベビーブームの影響か同世代が大量にいた上に、未だに試行錯誤トライアルアンドエラーが繰り返される教育現場、大抵の人間は『頼る』と『甘える』の境界がいいかげんなまま大人になってしまうことが多い。

 しかし、生活環境に影響されやすく、出る杭を打とうとする考え方が横行していた中でも、人間という者は自我を抑えられない生き物なのだろう。だからこそ空を飛ぶ手段を得て、宇宙へと飛び出せる程に文明を飛躍させてきたのだ。

 ある意味では、文明の自浄作用とも言える。

 問題は、何かを行う際に、個人でできる範疇を越えた場合の対応だ。他者に対して『頼る』と『甘える』、どちらの影響を濃くして助けを求められるか。それこそが、社会に適合できるかどうかの境界なのかもしれない。

 そして、男が亡命を図ったということは、その境界を越えてしまった証左なのだろう。

「しかし、まだか……?」

 何かを待ち遠しく思う場合は、年齢を重ねていたとしても、時間の流れを緩く考えてしまうものらしい。男は腕時計を確認するものの、予定の時間までまだかなりの間がある。

「…………来たな」

「ん?」

 そんな時だった。

 護衛として雇った若造、革ジャン姿の青年が車から飛び降りてきたのは。

「まだ時間じゃないぞ。若造」

「違ぇよ。おっさん」

(雇われの分際で……)

 口の利き方がなっていないからと、男が怒鳴りつけようとした矢先だった。


 ――ブオォォォ……ン!


 素人でも分かる程に、そのエンジン音は家庭用の一般車とは完全に異なっていた。

 それだけならば、改造車を乗り回す暴走族の類だと考え、迷惑そうに顔を顰めて終わる話なのだが……


「追手が来たんだよ」


 ……問題は、そのエンジン音が近付いてきていることだった。




「馬込さん、もうすぐ着きますよ」

「…………ぁ、は、はいっ!」

 少し気が薄れてしまっていたのか、睦月の呼び掛けに対して、由希奈からの返事は少し間があった。

 停車させたのは港湾よりさらに内陸側、亡命用の船を待つ男達が乗って来たであろう車から数十メートル離れた場所だった。

「姫香、準備はできてるか?」

 エンジンを切り、首肯する姫香から鞄を受け取った睦月を先頭に、全員が降車した。

 人数的には、睦月達の側は倍のはずだった。しかし、おそらくはその中に被害者の一人由希奈を見たからだろう。事故の加害者であるはずの男は、まるで自分が正しいとばかりに、不遜な態度を取ってくる。

「この子娘がっ! 子供ガキの癖に余計なことばかり、」

 ――ドゴォッ!

「グハッ!?」

 けれども、怒鳴りつけて自らの優位性を保とうとした途端、男の腹部に途轍もない衝撃が襲い掛かった。

「姫香……お前、少しは容赦して、」

 そして振り返った睦月が目にしたのは、擲弾発射器グレネードランチャー再装填リロードを行う姫香と、『ちょっとちょっと!』とばかりに軽く肩を叩いている彩未の姿だった。

「ちょっと姫香ちゃん!? これ以上はいくら何でも過剰攻撃オーバーキルじゃ、」

「いや、彩未。それ・・はいいんだよ」

「え? え……?」

 状況転換の早さに追い付けず、目を白黒させる由希奈。睦月は彼女の肩をそっと押し、姫香の後ろへと促した。

「大丈夫だと思いますけど……念の為、姫香の後ろにいて下さい」

「え、あ、はい……」

 意識は飛ばずとも、不意の衝撃で内臓が痙攣しているのか、苦し気に呼吸を荒げている男はいい。所詮は素人な上に、装填済みの擲弾発射器グレネードランチャーを構えている姫香相手であれば、金棒を構えた鬼に超小型犬チワワが挑むようなものだ。たとえ桃太郎の家来だったとしても、敵うわけがない。

 ……問題があるとすれば、雇われている青年の方だ。

「ったく……」

 その証拠に、睦月の意識はその青年……同じ地元の昔馴染みから、大きく逸れることはなかった。

「おい郁哉ふみや! ……お前、何でこんなおっさんに雇われたんだよ?」

 革ジャンを着た青年、たちばな郁哉に対して、睦月はそう言い放った。

 しかし郁哉と呼ばれた青年は軽く口を歪めると、親指で近くのコンテナ群を指差してきた。

「決まってんだろ……お前・・だよ。睦月」

 その言葉に……睦月は一歩、足を引いた。

「だから俺、男性同性愛者ゲイじゃねえって言ってんだろうが!」

 え、え、と混乱する由希奈だが、他二人の女性陣は事情を知っている為か、我関せずと未だに呻いている男性おっさんに意識を割いていた。

「別に同性愛は否定しねえよ! ただ俺のケツを狙うのはいいかげん止めろっ!」

「……んな冗談言ってると、本当に・・・女の方を狙うぞ?」

 それを聞き、睦月はとうとう観念した。自分を狙わせつつも、強引に雰囲気を壊そうとおどけてみせたのだが、当の郁哉は気を逸らそうとしない。

「ハア…………分かったよ」

 これ以上は無駄だろうと盛大に溜息を吐いた睦月は、郁哉と共にその場を後にしようとする。

「姫香、後は頼んだぞ」

 離れる際、背中越しに声を投げることも忘れずに、睦月は暗闇へと消えていった。




「めっ、目上の人間の話も聞かずに……ゲホッ!?」

「たとえ過失であっても、誰かを殺した人が言っていいことじゃないって。それ」

 彩未がそうぼやく直前、擲弾発射器グレネードランチャーのベルトを肩に掛けた姫香は、地面に落ちていた鉄パイプのようなものを拾い上げると、再び腹部にフルスイングをぶつけたのだ。

 お陰でまともな会話は成立しないまま、事故の加害者はとうとう意識を手放してしまうのだった。

「とりあえず拘束しよっか。全部・・片付いてから、この人のスマホで通報しとけば大丈夫でしょう」

 それとも社会的に止めを刺そっか、と問い掛けようとする彩未だったが、その前に由希奈が口を開く方が早かった。

「それよりっ、荻野さんの方がっ……」

「まあまあ、落ち着いて由希奈ちゃん。というか仇敵この人はいいの?」

 テキパキと自前の結束バンドで拘束している姫香の代わりに周囲を警戒しながら、彩未は由希奈を宥めようとする。けれども、彼女から焦燥の気配が抜けることはない。

「でもだってっ、あの人荻野さんをっ!?」

「大丈夫だって由希奈ちゃん……いつものこと・・・・・・なんだからさ」

「…………え?」

 ポカンとしてしまう由希奈に、彩未はただ、大丈夫だと思える事情を話し始めた。

「さっきの人も、睦月君達と同じ地元の人。目的も少年漫画でよくある、『強敵と戦う』ってやつだしね。今回また、睦月君が勝ってくるんじゃない?」

「それって……荻野さんの方が強い、ってことですか?」

「う~ん……さっきの人どころか、多分姫香ちゃんにも負けるんじゃないかな?」

 彩未は少し悩まし気に、口元に指を当てて答えた。


「…………まともに・・・・戦ったらね」


 しかし、彩未は知っている。

「実際、この世界に強い人は他にもいるよ。それに睦月君曰く、『一般就労した昔馴染みの中には、俺以上に強い奴もいた』らしいし。でも……睦月君が狙われた理由は、そんな次元の話じゃないんだよね」

 戦闘面での睦月の実力は、常人の物差しでは測れないことを。




「にしても、お前も懲りないよな……」

「俺が強くなる為だ。昔のよしみで協力しろよ」

「これだから、戦闘狂バトルマニアは手に負えない……」

 結局のところ、睦月が郁哉に狙われている理由なんてものは、この程度のことなのだ。

 強くなる為に強者と戦う。理には適っているが、睦月には一点だけ、狙われる理由として納得のいかない部分がある。


「そもそもお前……俺より・・・強いだろうが」


 そう、今ここにいる二人では、根本的に土台が違う。

 睦月はあくまで運び屋であり、軍人や傭兵、また郁哉のような喧嘩屋と言った、所謂戦闘職と呼ばれるものではない。ゆえに、戦闘能力の必要性を考慮すれば、どちらが強者なのかは、自明の理だ。

「もういいだろう? お前の方が強いんだからさ……っ!」

 問題は……睦月の強さのベクトルが、常人とは違うということだった。

 人気のないコンテナ群の中、睦月は愛銃を抜き、郁哉の拳をその銃床で受け止める。

 周囲に衝撃が舞うものの、睦月はその場で微動だにせず、距離を詰めてきた郁哉を睨み付けた。

「……だったらいいかげん、負けろよ・・・・

「なら仕事の外プライベートで襲えよ。というかいいかげん、人の仕事の邪魔するな」

「よく言うぜ……」

 郁哉の拳を払い、睦月はホルスターから抜いた自動拳銃オートマティックを右手に持ち……移動中に鞄から取り出して、腰に巻いたウエストホルスターからもう一丁を抜いて、左手に構えた。

 どちらも同じ自動拳銃オートマティックだが、ウエストホルスターにはまだもう一丁残っている。

本気・・のお前とまともに・・・・戦闘できやり合えるのは……その仕事中だけ・・だろうがっ!」

 相手が銃を構えているのも気にせず、拳を構える郁哉敗者に呆れながら……睦月勝者は両手の凶器を突き付けた。

「別に、普段から手を抜いているわけじゃねえよ……」

 5.7mm口径の自動拳銃オートマティックで、銃身に『FIVE-SEVEN STRIKER』と銘が刻まれた……己の牙を。

「……単に、状況に応じて使い・・分けて・・・いるだけだ」




「睦月君の強さってさ、素人の目から見ても、結構異質なんだよね」

 再び擲弾発射器グレネードランチャーを構えて、若干おざなりに周辺を警戒する姫香とは別に、彩未は由希奈と共に、睦月の車にもたれてしゃがみ込んでいた。

「『スポーツ化した武術は実戦的じゃない』って考えがあるでしょう? あれって、規則ルールの中でしか戦ってこなかった人がいきなり実戦に放り込まれても、まともに戦える人間が限られているから、そう思われているだけなんだよね」

「それって……『喧嘩にルールはない』って言っている人と同じですよね? それが実戦じゃないんですか?」

「戦うだけ・・に、限ればね」

 裏社会の住人となってそこまで年月を経ていない彩未ですら、睦月が異常だということをはっきりと理解できていた。

「実戦と言っても、結局は人間同士のぶつかり合いだから、どうしてもルールが生まれてしまうものなの。人体の構造やそれぞれが培ってきた経験、その場その場での状況に尊厳プライドとかの扱いも含めた暗黙の了解。大きな視点で見れば交戦規定ROEもそう。どう足掻いても、人間は自他問わずに設けられたルールからのがれられないの」

 犯罪者が、法律ルールに基づいて裁かれるのもそうだ。

 表裏問わずに社会で生きている限り、築き上げられたルールから逃れること等、不可能に近い。

 ……本来ならば。

「だから人によっては鍛えたり、知恵を絞ったりして眼前の敵を討とうとする……でも、睦月君はそうじゃない。目的の為なら相手に対して手段を選ばないどころか、主義主張含めてまともに・・・・取り合おうとすらしない」

 それこそが、睦月が『蝙蝠』等と陰で呼ばれている所以だった。

「本人含めて、皆は『社会の表と裏を行き来する』という意味で、睦月君は『蝙蝠』だって揶揄されていると思っているみたいだけど……私が知る限り、実際は違う」

 いや、その『蝙蝠』こそが、『ペスト』や『ブギーマン』と同様に、裏社会に生きる睦月を表している通り名なのかもしれない。

「自分の仕事を成功させること以外に興味を持たず、知恵を駆使して状況ルールの外から邪魔をする全てに襲い掛かる卑怯者蝙蝠。依頼の為ならば最悪、自分の尊厳プライドや立場すらどうでもいいとすら思い、達成条件唯一のルールを守ることしか意識しない生粋のプロフェッショナル」

 だからこそ彩未は、睦月について行けを愛せなかった。生半可な覚悟で、そんな狂人・・と共に人生を歩むことは不可能だと、思い知らされているからだ。


「『何ものにも縛られない蝙蝠ノーボーダー』、それが荻野睦月という……私が知る限り、最狂の運び屋だよ」


 その証拠に、彩未が睦月と知り合ってから彼が依頼を失敗敗北した回数は……ゼロだった。




「……すみません。ものすごく関係ないんですけど…………『ノーボーダー』って、昔のカップ麺のCMを思い出しますよね?」

「うん…………私も言ってて思った」

 そう話す二人のすぐ傍で、姫香はしれっと空いた手にスマホを構えてライトを抑えつつ、そのまま弄り出していた。

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