022 荻野睦月という男(その1)
(そういえば…………)
鉢上達也と、そう名乗る青年は長距離バスの停留所近くにあるコンビニ前にいた。
コンビニで購入した缶コーヒー片手に、壁にもたれながら目的のバスが来るのを待っている。しかし目的は乗車ではなく、降車する人間との面会だった。
ただ時間に余裕がある為、コーヒーを口にしながら、昨晩再会した昔馴染みのことを思い出していた。
(昔から……あいつとは何故か、馬が合わなかったな)
青年にとって、その昔馴染みとは根本的に……考え方が合わなかったことも。
**********
『面倒臭くないか? お前……』
まだ地元の田舎町に住んでいた頃、小中一貫の田舎学校にある図書室に寄贈(廃品回収として出されたとも言う)された漫画を読んでいた昔馴染みに対して、かつての青年はそう聞いてみたことがある。
『何がだよ……』
その昔馴染みは、面倒臭そうに意識を向けてくる。ただ視線は未だに、手元の漫画に固定されていたが。
『いちいち相手を選んでいるところ、だよ』
経年劣化による廃棄から辛うじて生き残ったテーブル席に腰掛けている昔馴染みの向かいにある椅子に腰掛けた青年は、ボロボロの机上に肘を付く。しかし相手のように、蔵書には一切手を触れていない。
ここに立ち寄ったのだって、校舎に忘れ物を取りに来た際に通りかかったら、偶々見かけただけに過ぎない。そしていい機会だからと、常に疑問に思っていたことを聞いてみたのが、今回の出来事だった。
『わざわざ仕事内容だの依頼人だの、選ぶ必要あるか? お前、そこまで弱くないだろう?』
『生憎と、『俺、最強』とか中二病染みた考えは持ち合わせていないんでな』
『よく言うよ……』
ページを捲る音が室内に響く。会話をしつつも、漫画の内容は頭に入ってきているらしい。『口と頭は別に動かす』ことを教えた者としては、ふざけた応用だと思わず舌を打ちたくなってくる様だった。
しかし、昔馴染みの方から話を続けてくれたのには、さすがの青年も内心驚いていたと覚えている。
『お前……『自分を殺したい』、って思ったことはないか?』
何せ、彼から発せられたその言葉が大きく、強く脳裏に印象付けられたのだから。
だが少なくとも、当時の青年には昔馴染みからの言葉を深く考えることはなかったが。
『自殺願望か? そんなもん
地元そのものが、ふざけた人間達によって生み出された掃き溜めの成れの果てなのだ。そして自身の家業もまた、道徳的には認められる手合いのものではない。
だがそれでも、青年は同じ道を選んだ。だからこそ、聞いてみたかったのかもしれない。
同じく家業を継ぐ道を選んだはずの昔馴染みが、何故少し方向をずらしたのか。
何故……無差別に利益だけを求めないのか、と。
『だがそんなもん、一度開き直ればそれこそ、気にする方がどうかしているだろうが……何だ、一丁前に罪悪感か?』
『いや……それ以前、だな』
そう聞いてくる青年に、昔馴染みは未だに漫画を読み続けながら、何故か溜息を吐いてきた。
『自衛の手段について考えていた時な、丁度自分に殺意を覚えていたんだよ。ネガティブな思考からか、無意識下に変な罪悪感を持ってたかは知らねぇし、深く考えて中二病の可能性に行き当たるのは嫌だからこの際置いとくけど……『する・しない』じゃなくて『できる・できない』だったら、アホみたいに
『…………は?』
一瞬、青年は昔馴染みの言葉の意味が分からずに考え込んでしまった。
たしかに人間は生物である以上、いつかは死ぬものだ。だがそれでも、『自衛』という言葉がある通り、対策の立てようはある。
少なくとも青年は、そう考えていたのだが……
『そんなの、護身術でも覚えとけば十分だろうが』
『それで防げるのは、どっかの
最後まで読み終えたらしい漫画を閉じると、昔馴染みは溜息交じりに話してくれた。
『俺が俺を殺すなら、わざわざ真正面からやり合ったりしない。
『それ言い出したら、寄生虫一匹でも簡単に死ぬだろうが。考えるだけ、キリがないんじゃないか?』
一体何を話したいんだ、と今度は自分が溜息を吐きたくなる青年に、幼少よりどこか、視点が他者とずれている昔馴染みは告げた。
『まあ、要するに……単なる心配症だよ』
昔馴染みは立ち上がると、読んでいた漫画を本棚に戻しに行った。しかし別の物に手を伸ばすこともなければ、戻って来たのにまた椅子に座ろうともしない。
『お前はメリットを増やすことを考えているみたいだが……俺はその逆、デメリットを減らす方法を考えて生きたいんだよ』
もう時間だ、とばかりに昔馴染みは図書室の外を指差してくる。青年もまた立ち上がり、並んで帰路に着いた。
『誰がどう繋がるか分からないんだ。だったら余計な火種は起こさない方が、無難に生きられるだろ?』
『だったら転職しろよ……半端に犯罪してる
周囲から『蝙蝠』と揶揄されている昔馴染みに、青年は呆れた眼差しを向けた。
経済水準の向上と情報社会の発展から、犯罪そのものが困難になってきている。その行為とは無縁な家や、これ以上利益を見込めないからと手を引く者達の方が多い。だが隣を歩いている昔馴染みは、未だに犯罪紛いの運び屋家業を営んでいた。
依頼人を選び、時には犯罪者をも敵に回す運び屋家業を。
ただ……
『というか……何でまだ、運び屋なんて続けてるんだよ?』
……そう考えると、犯罪紛いである必要はない。
『何で、って……』
しかし青年の問い掛けに……昔馴染みは何故か、首を傾げるだけだった。
まるで食事や入浴のような、日常生活における普段の行為について何故疑問を浮かべるのか、という具合に。
『さあ、何でだろうな? ただ、試してみたいだけなのかもしれない……』
その昔馴染み……荻野睦月は、かつての青年にこう答えた。
『『運び屋』という職業で、どこまでやれるのかを……な』
その日から現在まで、青年は睦月と再会することはなかった。
すでに廃校となり、貴重品の類がないからと鍵が掛けられていない図書室のある校舎から去って行く睦月の背中を眺めながら、青年は吐き捨てた。
『……そういうところが、
むしろ、半端に相手を選んでいる内は『運び屋』なんて職業で大成することはまずないはずだ。
当時の青年はそう考えて呟いた後、苛立たし気に地面を蹴ってから、自身が手配したタクシーの元へと歩き出した。
(犯罪者を狙うなんて、それこそリスクだろうが……)
(一般人の方が楽だと思うけどな……どうせ抵抗する手段なんて思いつかないだろうし)
一般人に対抗する手段はない。ただ、その考え方が正しいのかどうか……
……それを知るのは、再会して一日も経たない内だった。
**********
「……よう、どうした?」
『お前……ばらしたのか?』
電話の相手は昨晩再会した睦月の昔馴染みであり、鉢上達也という偽名を名乗っていた青年だった。
別に電話番号を教えたわけではないが、事前に調べるなり誰かに聞くなりするだろうとは予想がついていた。特に青年が整形で贔屓にしているであろう医者は、同じく地元にいた昔馴染みなだけあって、睦月もよく世話になっている。
睦月に『連絡先を伝えた』云々の話がその医者から来ていない以上、勝手に教えたかあっさりスマホ辺りを見られたかのどちらかだろう。適当にばら撒かれなければ気にしないにしても、近いうちに話をつけに行かなければならない。
しかし今は、電話相手への応対の方が先だった。
「いや、逆に連絡を受けたんだよ。その時聞いたんだが……とっくにばれてたみたいだぞ。お前」
『それで、この状況か……』
女性特有の甲高い声が、スマホ越しに聞こえてくる。それも複数、睦月の耳では判別できない程に多く。
『
「まあな」
その間にも、姫香を通して依頼の連絡が来ていた。
「ちなみに……
しかし姫香が掲げたスマホの画面を見てから、睦月は電話越しに
少なくとも……
『……手を出さない、ってか?』
「手を
『な…………』
すでに包囲は完了していて、青年に逃げ場はないはずだ。だから睦月との電話が未だに続いているのだろう。
……いつでも取り押さえられるから、と。
「『お前の依頼を受けるな』って、ずっと前から逆依頼されていたんだよ……『ブギーマン』から」
『……ちょっと待て』
同じ裏社会の住人だからだろう。睦月達から見れば新参者とはいえ、その存在と実力が本物だということは、知っていたらしい。
『ということはあれか。俺の
「それがあるんだよ……
青年の発言を遮るその一言で、睦月の意図が伝わったらしい。
黙り込む電話相手に対して、睦月は捲し立てた。
「たしか前にも、言ったはずだぞ。『誰がどう繋がるか分からない』って……それは当人の、
『ああ……そういう、ことか』
もう……答えは出ていた。
「『ブギーマン』の大元は……お前が
青年もまた、睦月の女癖の悪さは知っていた。つまり、その中にいたのだろう……かつて、
「お前への復讐の為に得意分野を社会的な暗殺技術に昇華させ、挙句の果てには同郷である俺の所にまで辿り着いた。そんな女を
『そう、だな……』
スマホ越しに知り合いの女刑事、京子の声が聞こえてくる。
そろそろ時間切れらしい。彼が騙した女性達の叫びが激しさを増していた。
「どうする? 相場の五倍以上を出してかつ、俺が着くまで逃げ切れるって言うなら受けてもいいが」
『その提案はありがたいけどな……完全に
どうやらもう打つ手がないらしく、諦めることにしたらしい。
『しかし最後に、お前と
「お前がひっきりなしに手を出しまくるなんて馬鹿、やるからだろうが……
そして睦月は電話越しの昔馴染み、
「じゃあな、月偉。気が向いたら差し入れでも持ってってやるよ」
『『
その言葉を最後に、通話は途切れてしまった。
「ああ……
通話の切れたスマホから顔を離した睦月は、ベランダから室内へと入ると、そのまま目の前のソファに仰向けになって倒れ込んだ。
「
手に持っていたスマホを座卓の上に投げ置いた睦月は、そのまま目を閉じて眠りに就こうとする。
「少し寝る。何かあったら起こしてくれ……」
そう姫香に伝えてから、睦月はすぐ眠りに就いてしまった。
そんな睦月の頭元に周った姫香は、相手の腕枕を解いてから少し持ち上げ、間に自分の膝を差し入れた。
「…………」
睦月が、本当は
「っ…………」
……新たな着信者を告げている、睦月のスマホを無視しながら。
月偉が逮捕されたバス停より少し離れた場所にある、駅前にあるショッピングモール。その中にあるチェーンのコーヒーショップに『
より正確に言うのであれば『ブギーマン』という名前の付いた、独自の
その女性、いや女子高生の制服姿をした女子大生はテーブル席に置いたタブレットPCを畳んで店を出た。後は使用した端末からSIMカードを全て抜けば、足はつかない。
……しかし、『
店を、ショッピングモールを後にした『ブギーマン』はここからでも響いてくる姦しい罵詈雑言をBGMにして、私用のスマホで電話を掛け始めた。
「うわぁ……絶対無視してる」
相手からの応答がない為、『ブギーマン』はスマホの通話を切ると、スクールバッグ(に近い鞄)の中に仕舞ってあるものと持ち替えてから、差さっているSIMカードを取り出して割りつつ、電話相手の家へと向かって歩き出した。
「睦月君寝てるのかなぁ。だったら姫香ちゃんが出てくれてもいいのに……」
『ブギーマン』は、下平彩未はそう呟きながら、かつての恋人に背を向けた……
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