020 クラスの親睦会(その2)
「すみません。送って貰って……」
「別にいいですよ。これ位……」
今日は姉の菜水が仕事で留守にしていた。だから解散後にタクシーで帰ろうとした由希奈を見て、他の全員が睦月に送迎依頼を出したのだ。
徒歩で来た睦月が車を取りに行く間は待たされていたが、そこまで長くは掛からなかった。少し苦手意識を持ちつつも、洋一達が飲みたい人だけアルコール有りの二次会に行く話を聞いていたので、あまり退屈はせずに済んだことも大きい。
飲酒には興味があるので、次の機会では姉に付き添って貰おうと考えていた。だから他の人達にも菜水のことを話し、了承を得ようとする。
『じゃあ……今度、バーベキューに来るか? そのお姉さんも一緒に』
なんでも、洋一は今度の
他の人達は『日程が合えば』と返事をしていたので、由希奈もまたそう返した。実際、今からでは予約の取れる日を探した方が早い位なので、全員が参加できるわけではないと、洋一も理解しているみたいだった。
……人付き合いの苦手な人間が、参加自体に不安を覚えてしまうことも含めて。
「しかし、バーベキューですか……」
「荻野さんは、どうされますか?」
こちらは普段使いだと言って、自宅から乗って来たらしいワゴン車を運転している睦月は、由希奈の問いにハンドルを振りながら答えた。
「俺は先約があるんで、日程次第なんですけど……」
若干歯切れ悪く、話を続けようとする睦月。一人称は少し気安くなったものの、未だに敬語は抜けていなかった。
「……もしかしたら、その先約と被ってる気がするんですよね。
「被ってる……というのはそのバーベキュー自体が、ですか?」
「ええ。丁度前に知り合いと、ゴールデンウイーク辺りにバーベキューでもどうかと、話していたんですよ。それで人数増やそうと、あちこちに声を掛けているみたいなので……まさかとは思うんですけどね」
何か、思い当たる節があるのだろうか。難しい顔をしながら
時間帯が悪いのか、交通量の多い道路を信号に捕まりながらゆっくり進んでいる中、ワゴン車の助手席に腰掛けている由希奈は、車が動くのを待っている睦月に話し掛けた。
「あの……聞いてもいいですか?」
「答えられる範囲なら……何です?」
緊張で喉が絞まりそうになる感覚を覚えながらも、由希奈は睦月にあることを聞こうと口を開く。
「この前、入学式の日にお姉ちゃ……姉が恋人と一緒に、荻野さんらしき人をこの先の生鮮スーパーで見かけた、って聞いたんです。この車みたいなワゴン車に乗って……」
由希奈にとって、この先を繋げるには時間を要した。
「……っと。着きましたよ」
ただ、車が目的地に到着する方が早かったが、
「……『可愛らしい女性を連れていた』、と」
どうにか、言葉を繋げることだけは、成功させられた。
由希奈は助手席から降りるどころかドアノブにも手を掛けず、停車後にエンジンを切った睦月を見つめる。
「もしそれが荻野さんでしたら……その女性がどなたか、伺ってもいいですか?」
「…………」
由希奈の目には、睦月がその問い掛けに対して、少し悩んでいるように映った。どう答えようと考えているのか、それとも……質問の意図を図りかねているのか。
やがて答えが出たのだろう、睦月は運転席の背もたれに体重を預けてから、由希奈の疑問に答えた。
「その日だったら、多分……姫香ですかね」
(…………)
由希奈の中に、重い何かが圧し掛かってくる。『姫香』という名前の女性だけじゃなく、『その日だったら』、つまり他にも女性が居ると邪推してしまっている自分自身に、感情がうまく働く様子はない。
それでも口が堅くなってしまわない内に、由希奈は言葉を続けた。
「その、姫香さんって……荻野さんの、恋人でしょうか?」
「恋人、って言っていいのか……」
しかし今度は、睦月の方が言い澱んでいる印象を受けた。
まるで……今まで自分達の関係について、一度も考えたことがないかのように。
「俺の地元が廃村になった話って、覚えていますか?」
「え、ええ……」
あんな印象的なことを忘れられるわけない、と由希奈は歯切れ悪く肯定する。でもいきなり何の話をしているのだろうかと視線が切れない中、睦月は言う。
「その廃村の前に潰れた、地元の養護施設にいたんですよ。そいつ」
「……え?」
いきなりの飛躍に由希奈は一瞬、思考が飛んでしまった。
しかし睦月はそんな由希奈に構うことなく、姫香との出会いを話していく。
「幼馴染の一人の家だったんですけどね。元々閉鎖的で評判が良くなかったこともあってか、俺が中学を卒業して数年も経たない内に潰れたんですよ。その幼馴染はすでに家を出ていたんで俺にはもう関わりがなかったんですけど……理由は知りませんが、親父に何か用があったみたいで、一緒に行ったんですよ。その時にあいつと会ったんです」
詳しい経緯は分からないものの、そこで二人が出会い、今でも一緒にいるのだろう。少なくとも、今の由希奈には、そこまでしか分からなかった。
「えっと……荻野さんの家でその人を養子にされた、ってことですか?」
「いや……」
若干の期待も込めての質問だが、睦月の回答は何故か、どこか微妙な表情を浮かべている。
「偶々居たから連れ出したんですけど……別にあいつを、縛った覚えはないんですよね」
背もたれに預けていた身体を持ち上げた睦月は前のめりになると、そのままハンドルに圧し掛かった。
「元々施設の外でのことを何も知らなかったみたいなんですよ。だからどうするにしても、先に色々教えようかと実家で同居してたんですけどね。あいつ……『好きに生きろ』と言ったのに、それでもついてきてるんですよ」
……その時点で、由希奈はもう何も言えなかった。
分かってしまったからだ。もう養子縁組云々は関係ない。それが人間としてなのか、家族としてなのか、それとも異性としてなのかは、今の由希奈には分からない。
ただ……その姫香という人は睦月を
「すみません……個人的なことを、色々と聞いて」
「いえ……こちらも考える、いい機会になりましたよ」
車を降りようと手を伸ばそうとした由希奈だが、不意に睦月から放たれた言葉に動きを止めてしまう。
「わりとなあなあで一緒にいたところもあったんで、今度ゆっくり話してみますよ。まあ、ただはっきりしているのは……」
このままでは埒が明かないと思ったのだろう、睦月が先に運転席から降り、由希奈のいる助手席側へと回り込んでくる。そしてドアを開けてから、途切れていた言葉を続けてきた。
「面倒臭いところはあっても、今のところ……俺からあいつを遠ざける理由は、何もないんですよね」
その言葉をもってして……由希奈の中に芽生えていた小さな想いが、人知れず潰れようとしていた、
「……ああ、会えて良かった。こんばんは、由希奈さん」
……そんな時だった。二人に、いや由希奈に対して声を掛けられたのは。
「あれ、
睦月の手を借りて、車から降りた由希奈が声のした方を向くと、そこにいたのは菜水の恋人だった。
「実は菜水さんと連絡が取れなくて、留守でしたから家の前で待っていたんですよ……そちらの方は?」
「あ、この人は……」
「……
由希奈が杖を突きながらも立ち上がったのを確認した後で、睦月は自身と同年代だろう男性に、菜水の年下の恋人に向けて一歩近付いた。
「馬込由希奈さんと同じ高校のクラスメイトの、荻野睦月です」
「ああ、そうでしたか! 私は由希奈さんのお姉さんとお付き合いさせていただいております、鉢上
そう一礼する達也に睦月も軽く頭を下げた。由希奈は杖を突きながら、ゆっくりとその横に立って話に混ざろうとする。
「お待たせしてすみませんでした、鉢上さん。実はお姉ちゃ……姉が仕事に行く際に、スマホを忘れていったみたいなんです。明日には帰ってくる予定ですけれど……お急ぎですか?」
「ああ、いえ! 今日だけメッセージがなかったので、ちょっと様子を見に来ただけですから大丈夫です」
そう言って手を振る達也に、由希奈はホッ、と安堵の息を吐く。
「ではこれで失礼します。元々、明日の仕事終わりに会う予定でしたのでご心配なく」
「そうですか、では……」
そして自宅であるアパートの中へと入る前に由希奈は一度、睦月へと向き直って頭を下げた。
「荻野さん、今日は送っていただいて、ありがとうございました」
「気にしないで下さい。半分、仕事みたいなものでしたので……」
一応報酬が発生しているからと、睦月はそう答えた。しかし由希奈の内心には、さらに重い何かが圧し掛かってくる。
「ではまた、学校で……」
「はい……学校で」
その言葉を最後に、由希奈はアパートへと入って行く。
自宅の前に着くと鍵を開け、玄関に入った。無くさないようにか、菜水のスマホは靴箱の上に置かれている。未だに通知が鳴り止ますに明滅する画面を見ると、達也が何度か連絡していたのを確認できた。
「ふぅ……」
一度冷静になると、睦月に対して少し失礼だったかもしれない。そう考えた由希奈は、靴を脱いでも座ることはせず、そのまま室内用の杖に持ち替えてからキッチンへと向かった。
「たしか……」
少し前に、お裾分けで貰ったお菓子があったことを思い出して、いくつかを適当な紙袋に詰めていく。達也には菜水を通してすでに渡してあるので、送って貰ったお礼も兼ねて渡す分には、差別的な不快感は起きないだろう。
そう考えて、由希奈は睦月の元へと向かおうとする。もう帰っているかもしれないが、その時はまた学校で渡せばいい。
由希奈は紙袋片手に、再び靴を履いてから玄関を出ようと、扉を開けた。
「……余計なことは言うんじゃないぞ、
そして、夜の静寂で偶然飛び込んできた不意の発言に、由希奈は思わず足を止めてしまった。
「さて……」
由希奈がアパートの中に消えたのを確認してから、睦月は再び運転席の方へと回り、さっさと帰ろうとする。しかし、その行動を止める者が居た。
「……おい」
「…………」
先程とは一変して、急に馴れ馴れしい態度を見せてくる達也だったが、睦月は特に気にせず、車のドアノブから手を放して振り返った。
「本当は気付いているんだろう?」
「……そのまま黙ってれば、確信はしなかったよ」
そして睦月は、昔の面影を無くした顔を眺めながら、一つ溜息を吐く。
「コロコロ顔変えやがって……いくら
「言う程変えてないと思うけどな……」
そう言って手鏡を取り出して自分の顔を確認する達也。
「そもそも何年振りだよ、お前。中学卒業以来会ってないだろう、たしか」
いや、睦月の
「にしてもこの街にいたとはな……地元の実家で暮らしてたんじゃなかったのか?」
「その地元がとうとう、廃村になったんだよ。知らなかったのか?」
「いや……どうせ遅かれ早かれだったから、特に気にしてなかったわ。あの腐れ里のことは」
それに関してはほぼ同意見だったので、睦月から言うことは何もなかった。
「まあ何にしてもだ……俺の用件は分かるよな?」
「物事ははっきり言え、って昔から言っているだろうが」
「お前が言葉の裏を読み取る気がないんだろうが。大体お前は昔から……まあいい」
先程の取り繕った感じとは違う、昔馴染みに対する気安い態度で、達也と名乗った青年は睦月にこう告げた。
「これは俺の仕事だ。だから……余計なことは言うんじゃないぞ、
そう言い残して車から離れると、達也はそのまま夜闇へと消えていった。
睦月はハァ、と一息吐いてから、いいかげん帰ろうと車のドアノブに手を伸ばそうとしたが……
振り返って、そこにいた人物が誰かを認識した睦月は言葉を紡げないまま、ただ黙って後頭部を掻き出した。
「……お知り合い、だったんですか?」
その問い掛けにどう答えたものかと睦月は、紙袋片手にアパートから出てきた由希奈の方を向いた。
(さて、どう説明したものか……)
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