013 案件No.002_要人護送(その1)
要人との合流は、比較的穏やかに行われた。
人気のない田舎程、秘密裏に合流できる場所に事欠くことはない。しかもそれが夜中ともなれば、最終便のバスが出た後の停留所等、分かりやすい待ち合わせ地点を指定することは容易である。
睦月が合流に指定された場所も、廃線となったローカル電車の無人駅だった。近日中に解体される予定があるという点も含めて、ここが選ばれたのかもしれない。証拠を可能な限り出さないよう配慮し、かつ何かを残してしまっても解体工事で埋めてしまえるからと。
(ただ当の本人が、それを理解していないみたいだけどな……)
政治家に限らず、優れた人間の子供もまた優秀とは限らない。
親を尊敬し、それに恥じぬよう尽力する。または拒絶し、別の道を目指して邁進するのであればまだいい。親に甘えず、自身の足で歩き出すことこそが、人の本懐であるとも言える。実際睦月も、そう考えて生きてきていた。
しかし、親の威光を背に子供が好き放題に生きるという事例も、少なからずある。特に親が権力を持ち、子供の為に『悪いことは何かを教える』のではなく、自分もしくは子供、またはその両方を甘やかして『悪いことをなかったことにする』なんてこともよくある話だった。
完全な生命ではない人間が完璧な法律を作ること自体、不可能であるとも言える。だからこそ、力技や狡猾さを用いて法の目を抜ける者も、一定数は必ず存在するのだ。
そういう意味では、裏社会の住人である睦月達もまた、同じ穴の狢なのかもしれない。
しかし睦月は、内心断言していた。
自分と、今助手席に座っている要人とは……考え方が根本的に違う、と。
「ああ、喉が渇いた……何か飲み物はないか?」
「コンビニで買ったミネラルウォーターで良ければ、そこに……」
特に何かを言われることもなく、睦月が購入していたミネラルウォーターのペットボトルを、その要人は無遠慮にがぶ飲みしていた。
勢いが強すぎて中身が口から零れ、周囲に水滴が撒き散らされていくのも厭わず、政治家の息子とやらは袖で口元を拭っている。
「たく、なんで俺がこんな目に……」
(それはこっちの台詞だっての……)
自分が礼儀正しくしても、相手が同じように振る舞ってくれるとは限らない。前回みたいに、世の中には話の分かる人間ばかりではないのだ。需要と供給が生まれ、そこに契約がなされている以上、睦月みたいな雇われではよっぽど酷い態度を取られるか契約違反がない限り、苦情を言うことはできない。
ドアの閉め方一つで客に文句を言うタクシーの運転手の話もあるが、あれだって結局は主観に過ぎない。周囲も賛同してくれればまだいいが、運転手側の度量の小ささが原因だと思われてしまえば、最悪大元の会社にまで問題が拡大しかねないのだ。
だから睦月もまた、余程のことがない限りは同乗者に対して、余計な感情を抱かないようにしている。前回同様相手が話し掛けてこなければ、睦月もまた話し掛けたりすることはない。
それに……向こうは話し相手というよりも、言葉をぶつける相手が欲しいと考えている節がある。だったらまともに取り合っていれば、余計な手間になるのがオチだ。
「おい運転手……『ブギーマン』って都市伝説を知っているか?」
「『ブギーマン』……ですか?」
しかし睦月は、
「下らない都市伝説だと、思ってたんだがな……」
聞くところによると、相手を社会的に破滅させる存在が居る、という噂があるらしい。
その『ブギーマン』に目を付けられた人物は、過去から現在に至るまでの悪事を大小問わず洗い浚い調べ上げられ、それをマスコミやインターネット、果ては各種SNSにまで拡散させられてしまい、社会的に追い込まれてしまうのだとか。
今回もまた、父親である政治家が行った悪事が世間に晒され、またその息子も、その罪が露呈することになったのが全容だった。
……そもそも相手を社会的に殺すこと自体、素人でもできる程に情報社会は発展し過ぎてしまった。
ちょっとした評価一つ、感情的に吐いたほんの小さな嘘でも、下手な地位にいる者にとってはひとたまりもない。それだけ情報というものは容易に取り扱われ、簡単に相手を追い込める
そして……それを意図的に行い、また真実の悪意だけを世間に晒している存在が居る。
それが彼の言うところの、『ブギーマン』という都市伝説の概要だった。
(しかし、言い得て妙だよな……)
睦月も以前聞いたことのある話だが、『ブギーマン』というものには特定の外観はなく、『
だが、政治家の息子はその『ブギーマン』こそが全ての元凶であり、こうして睦月みたいな運び屋を始めとした運転手を経由して、わざわざ南西へと逃走しなければならなくなった原因だと思い込んでいるようだった。
「そいつに全部ばらされなければ、親父も俺も真っ当に生活していた、っていうのに……」
(
依頼内容には一応、
政治家の息子であることを笠に着ての暴力三昧。悪い連中とつるんでは薬物も親の金で買い、また適当な女を麻薬漬けにしては
それを父親が握り潰しているだけならばまだしも、どうもその父親も同罪らしく、息子から薬物を買うこともあれば、女を受け取って好き放題にしているなんてこともあったらしい。
まさしく、持ちつ持たれつといった関係だったのだろうが……今回の件で完全に世間に晒されてしまった。
しかし余程、隠蔽には自信があったのだろう。
思わず『ブギーマン』なんて都市伝説を信じてしまうあまり、自分達が潔白だと
とはいえ……今の睦月には関係ない。
依頼人の指示通り彼を目的地へと護送し、報酬を受け取らなければ生活が立ち行かなくなる。これも仕事、と割り切ろうとしていた睦月だったが……意外にも、相手が音を上げる方が早かった。
「運転手……目的地まで、どれくらい掛かる?」
睦月は脳裏で予定を確認し、現在地と照らし合わせてから質問に答えた。
「順調に行けば……一時間位ですね。今のところ予定通りです」
「ああ、分かった」
すると、助手席に腰掛けていた要人は軽く伸びをしてから欠伸をし、背もたれを思い切り倒してしまった。
「法的にはグレーですけど……安全性は保障できませんよ?」
「知るか、お前が気を付ければいい話だろうが」
この場合、睦月には強く言うことができない。雇われの身にとっては辛いところである。
「俺は寝る……着いたら起こせ」
そう言うや、政治家の息子はすぐに寝息を立ててしまう。
てっきり昼夜逆転する程に生活が荒れているのかと思っていた睦月だったが、単なる疲労か、はたまたそこまで酷くないのか。どちらにせよ、自動取締装置に引っ掛からないよう速度を維持しつつ、さらに注意を払う羽目になってしまった。
(……ま、静かでいっか)
正直
睦月は比較的目立たないよう、静かに車を運転するのであった。
一方その頃。
「はぁ……さっぱりした」
ようやく空いた浴室から入浴を終えた弥生が、下着姿のままタオルを肩に掛けた状態で出て来た。すでに深夜帯ではあるものの、姫香がぬるま湯で数時間も長風呂をしていた為に、弥生が湯船に浸かることができる頃には、こんな時間になってしまっていたのだ。
別に洗濯機を回しているわけではないので迷惑度合いは低いと思いつつも、あまり音は立てないようにと浴槽の中で静かに膝を抱えていた。決して……決して、浴室に響く鼻歌に姫香がブチ切れて、また弥生を叩きに来ることを警戒してのこと、ではない。その位の理性は残っている、だけなのだ。
……多分、メイビー、プロバブリー。
「あれ~、そういえば……姫香ちゃんは?」
先にもう寝たのかな、と弥生はリビングを見渡し、ふとスッポンが居る水槽に目移りしてしまう。
「これか~……ボクを婆ちゃんに売って手に入れたとかいうスッポンは」
水槽には『グザイ』と書かれたシールが張られている。それがこのスッポンの名前らしいが……弥生には一つ、気になることができていた。
「あれ? このシール……二重になってない?」
書き損じでもしたのだろうかと、弥生は寝ているのか身動き一つしない『グザイ』の居る水槽の裏手に回り、シールの裏に書かれた逆さ文字を解読しようと透けた部分に目を凝らす。
「えっと、『ヤ』……『ヨ』…………止めとこう」
激しく嫌な予感がした為、弥生は
「仕方ない。もう寝よ……」
もうベッドにいるだろう姫香の元に向かう弥生だったが……ソファの手前で足を止めてしまった。
「うわぁ……」
せめてもの情けだろうか、ソファの背もたれに掛けられた毛布の上に、一枚の紙が置かれている。
置かれている紙に、はこう書かれていた。
『ソファで寝るか帰れ。洋室への侵入厳禁! 姫香』
「姫香ちゃん、酷い……」
まだ夜間帯は肌寒い時期なのにも関わらず、弥生は毛布一枚でソファの上に寝転がることに。
「……あ、でも本当は睦月がいない寂しさを一人、
そして洋室から突然出てきた姫香にぶん殴られた弥生は、朝まで
その際、姫香がどんな格好をしていたのかは、そして何を用いて弥生をぶん殴ったのかは……言わぬが花であろう。
「お客さん、着きましたよ」
「……ん、ああ…………」
目的地へと着いた睦月は、エンジンを切ってから助手席で寝ている要人に声を掛けた。
近年では世間的に、『コンプライアンス』や『ハラスメント』等が問題視されている。できれば直接手に触れる事態に陥って欲しくはなかった睦月だったが、どうやらそれは回避されたらしい。
要人相手に『お客さん』と呼ぶのも、どこかタクシーの運転手を思わせるが、変に名前を出したりするよりはいいかと、睦月はその呼び方を選択した。それに第二種運転免許も持参しているので、やる分には特に問題ない。
「迎えはどうした?」
「周囲に車は……ああ、あそこですね」
依頼内容にあった予定通り、次の目的地へと向かう車は近くに停車していた。少し早めに着いていたのか、エンジンどころか室内灯すら点いていないように見える。時間潰しに席を外しているのだろう。
「でも周囲に人影がないですね……少し探してきましょうか?」
「いや、いい……」
睦月がドアの取っ手に手を掛けようとした瞬間だった。その耳に金属音が響いてきたのは。
顔はまだ正面に向いたままだったが、右ハンドルの運転席に腰掛けていた睦月の視線は、右から左へと移る。
そして視界に入ったのは……要人が手に持っていた
「……その前に、お前を始末しないといけないからな」
「なんか、よくある展開ですよね……」
睦月の前に乗っていた車の持ち主は、たった今
そして初対面の睦月に対しては、この態度である。ある意味予想通りではあるのだが……
「ありきたり過ぎて食傷気味というか……映画ですら、もう失敗確定の展開ですよね、これ」
「随分余裕じゃねえか……
多少は喧嘩を売る行為だが、睦月にとってはいつものこと過ぎて、逆に油断しかねないかが心配になる程だった。
「あんまり罪、増やさない方がいいですよ。ただでさえ面倒な事態だって言うのに……」
「だからこそ、だ」
大方、口封じ兼依頼料の踏み倒し、と言ったところだろうか。
予想通り仲間から
人間なんてものは、その気になれば鉛筆一本でも殺すことができる。実際はそれだけ、弱い生き物なのだから。
「というわけだ。恨むなよ」
「と、言われてもね……」
そして政治家の息子が持つ
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