美食幻想のトラットリア
山夜みい
第1話
「いい加減にしてください! 怒りますよ!?」
「もう怒ってるじゃん……」
レトロな雰囲気が漂う、とある食事処の一角。
おしゃれな空間に似合わぬ怒声と、萎縮したような声が響く。
「私、言いましたよね。試作もいいですけどちゃんと営業しないとお客さんが来ないって。大体、食事処なのに店主がその日の気分で作ったものしか出さないとはどういうことですか! これでは、早々に潰れてしまいますよ!?」
「なんだかんだで十年続いてるから、大丈夫さ」
「隼夫さんは楽観しすぎです!」
隼夫と呼ばれた男はぽりぽりと頭を掻いた。
「いいかい、玉緒ちゃん」
「なんですか。また変な理屈で煙に巻こうってんじゃないでしょうね」
綺麗な黒髪にくるりとした目が魅力の玉緒は頬を膨らませて言葉を待つ。
ここで働き始めて三年になる彼女も隼夫の扱いには慣れたものだ。
抗議する彼女に隼夫は「違う違う」と苦笑を返し、
「僕の気分でメニューを変えているんじゃない。食材の気分なんだ。まばゆく命を輝かせる食材たちが、僕を熱く呼んでいるのさ。それを捻じ曲げてお客の食べたいものを食べさせるなんて、料理人の風上にも置けない。そうだろ?」
「……」
玉緒は黙って隼夫の頬を引っ張った。
「痛い痛い痛い痛い! なにすんの!?」
「また変な理屈を言ったからです」
ふん。と手を離した玉緒はそっぽ向いて、
「あなたがそんなんだから、ここで働いている私も嫁の貰い手がないんです。このお店、巷でなんて呼ばれてるか知ってます?」
「それは知らないけど、玉緒ちゃんには僕がいるじゃない」
「ハッ、ご冗談を」
「鼻で笑わないでくれる? 傷つくから」
玉緒のつれない態度に隼夫はポリポリと頭を掻いた。
出来上がったばかりの試作を取り出し、玉緒の前に置いて見せる。
「そんなことより今回のも食べてみてよ」
「それも仕事ですか?」
「うん」
仕事ならしかたない。玉緒は諦めてスプーンを取った。
黄金色が目に眩しい艶やかなリゾットがほのかに湯気を立てている。
漂ってくる甘い匂いに、玉緒のごくりと喉を鳴らした。
(もしかして、今回は『当たり』の日では?)
「どうぞご試食あれ──これが僕の『悪戯好きのジャックオランタン』だ」
「では、いただきます」
玉緒はスプーンを手に取った。
とろりとした粘り気のあるリゾットを、小さな唇に運び──
「ん……!?」
玉緒は口元を押さえ、
「ま、不味い………………!!」
これ以上ないほど顔を顰めた。
吐き出したいのを堪えながら咀嚼すると、暴力的な不味さが口の中を蹂躙する。
「かぼちゃに豆板醤の辛味が加わって甘みが台無し……! それでいて新米のご飯が甘すぎるから味がめちゃくちゃです! しかもこれ……隼夫さん、かぼちゃの中にブルーチーズでも詰めたんですか!?」
「よく気付いたね、玉緒ちゃん。大正解だよ」
「嬉しくありません……!」
かぼちゃや米の甘みに加え、豆板醤の辛みとブルーチーズの苦みが合わさって最悪だ。
それはまるで、口の中で小さなジャックオランタンが執拗に頬を突き刺すかのごとく。天国にも地獄にも行けない悪魔の化身がこれ以上ないほどの『嫌味』を作り出した。
「不味いです! とてもではありませんが食べられるものじゃありません!」
「そっかー。行けると思ったんだけどなー」
隼夫はポリポリと頭を掻きながら言った。
そんな隼夫を、玉緒はじと目で睨みつける。
「なんてもの食べさせるんですか、あなたは。まずはご自分で試食してください」
「いやいや、玉緒ちゃんのために作ったんだから、玉緒ちゃんが食べなきゃだめだよ」
「せめてまともなものを食べさせてください!」
玉緒は頭を抱えた。
「そんなだから、『九回不味いけど一回は極上に美味いお店』とか言われるんですよ……!」
──その一回を味わうために不味いものを食べているようなものだね。
とある店の常連客が言った言葉を思い出し、玉緒はため息を隠せない。
その『極上の味』だけを常に出していればそれなりに有名なお店になっていようものを。
「むぅ。じゃあもう一品作るから食べてよ」
「あと一回だけですよ……」
「んー? あれ、材料切れてるな……しょうがない。じゃあアレとアレで代用しよっと」
不味いものが出てきた日は大体不味い。
経験則からそれを知っている玉緒はあまり期待していなかったのだが、
(あら……?)
キッチンから漂ってくる香りに、目を瞬いた。
客席からキッチンにいる隼夫の手元は見えないが、この匂いには覚えがある。
オリーブオイルだ。
(いやでも、いつも匂いだけは一丁前なんですから……)
不味い料理でも匂いだけは美味しい料理は存在する。
その時は口の中が破壊的に終わってしまうので、匂いも感じなくなる。
玉緒は今回もそうだろうと思っていた。
それから五分も経たず、隼夫はキッチンから出てきた。
「はい、出来たよ」
玉緒は手元に置かれた皿を見て目を丸くする。
どんな凝った料理を出してくるのかと思えば、出てきたのは。
「これは……シチリア風野菜煮込みカポナータですか?」
スティッキオ、ビーツ、セルバーティカ、ズッキーニなど。
森を思わせる緑や、雪のような白いナスが目に楽しい一皿だ。
中央に添えられているのは桃の花だろうか。
「名付けて『春の雪解け』」
気取った名前を付けた隼夫は笑って言った。
「buonどうぞappetito召し上がれ、Signorinaお嬢さん」
「では」
心なしか警戒を強めつつ玉緒はフォークを手に取った。
単純な料理と侮ることなかれ。
隼夫にかかればどんな単純な料理も悪食の極致へ至る。
特に今日は『不味い日』なのだし。
「いただきます」
まずは添え野菜である白ナスからだ。
オーブンで焼かれたナスの芳ばしい香りが鼻腔を楽しませる。
どくんどくんと心臓が早鐘を打ち、高揚感が胸の内に沸き立った。
玉緒は可憐な唇に野菜煮込みを運び──。
「!」
目玉が飛び出るほど驚いた。
噛むほどに出て来る白ナスの瑞々しい旨味が口のなかを幸せ色に染め上げる。
「美味しい!」
思わず口をついた言葉に隼夫は嬉しそうに笑った。
玉緒は夢中になってスプーンを進める。
野菜それぞれが別々の下ごしらえをされていて、味が際立っている。
一つ食べても別の種類を食べるとまったく別の皿を食べているような気分になる。
憂鬱だった心が高揚感に満ち、何も考えずに食を楽しむ子供時代に引き戻されるかのようだ。
社会に疲れた心を解きほぐす。それはあたかも冬の雪解けのよう。
(これは、大当たりです!)
思わず黙々とスプーンを進める玉緒。
あっという間に空になった皿を見て寂しげに息をついた。
ふと視線を上げれば、ニヤニヤとこちらを見ている隼夫がいた。
「お口にあったようで何よりだよ」
「……ごほん。いつもこの味が出れば言うことはないのですけど。そうしたら、お店ももっと人気が出ると思います」
「そっか。じゃあそうしようかな」
「え?」
頑なだった隼夫の心変わりに玉緒は眉根をあげた。
「どうして」
「そろそろ僕も、真面目にお店を切り盛りしていこうかなって」
言葉を区切り、隼夫はどこか緊張した様子で身を乗り出した。
「ねぇ、玉緒ちゃん」
「……なんですか。お給料の延滞なら受け付けませんが」
隼夫の心変わりの理由が分からず困惑する玉緒。
つい出てしまった軽口にかまわず、隼夫は続けた。
「花桃の花言葉って知ってる?」
「はい? 確か、忍耐、辛抱、気立ての良さ。それから──」
玉緒は目を丸くした。
ハッと顔を上げると、隼夫は真剣な顔だった。
花桃の花言葉。
最後の一つは──『私はあなたのとりこ』。
(…………ほんとに、この人は)
料理でしかものが言えないだろう。
変な理屈はすらすらと言えるくせに、大事なことは口ごもってしまう。
告白の言葉くらい、自分の口でいえばいいのに。
(ほんとうに、仕方のないひと)
玉緒は「はぁ」とため息を吐き、笑みを浮かべて言った。
「では、お友達からお願いします」
「え、友達ですらなかったの!? 三年も一緒に働いてるのに!?」
隼夫は「そんなぁああ」と悲鳴をあげて天を仰いだ。
机に肘を乗せる玉緒が、楽しそうに自分を見ていることにも気付かずに。
終
美食幻想のトラットリア 山夜みい @Yamayasizuki
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