GUNMAN GEORGE
根井
一 銃編
一、 NYPDのディンゴ(野犬)
この話は、NYタイムズ紙の下請記者、ジェームズ・ラングドン氏が突然の行方不明故に、私、イゾルデ・エリザが資料を引き継ぎ、執筆したものである。
これは主にあるワン・ポリス・プラザの内情をフィクションという建前として書いたものである。
ワン・ポリス・プラザ――、またの名をニューヨーク市警本部はお察しの通り、あの911事件以来、極秘主義を貫き、一般人もうかつに近付くことができない状況にある。
しかし、我らBMI社のジャーナリスト精神、もといラングドン氏の情熱は、その困難さえ乗り越え、見事、メディア史上初めて、ワン・ポリス・プラザの情報を大量に集めることができた。
その結果が小説風で書かれているのは、これを読むあなた自身が、ラングドン氏の二の舞にならないための配慮でもある。
どうかここは、あなたのためと思って御許諾を願いたい。
そしてもしもの場合であるが、ある時、やたらと手足の長い白人の男に絡まれたときは、いち早く逃げることをお勧めすることを書き残しておこう。
編集長コルト氏、編集担当者リジーに感謝を。そして命知らずで好奇心旺盛な貴方に、ひとときのスリルを贈る。
イゾルデ・エリザ
***
それはクリスマス直前のことだった。イルミネーションに彩られたNYの街で、閑散としているところが一つだけある。それは、NYのマンハッタン、ロウアー・イーストサイド、パーク・ロウに位置する「ワン・ポリス・プラザ(NY市警本部)」、その前の広場だ。
そこには今、大柄な黒人男性以外は誰もいない。そして、規制外エリアで響くエンジン音と、広場の中央に聳えるもみの木のざわめき以外は何も聞こえなかった。
「相変わらず、人を寄せ付けねえなあ」
と、呟きながら彼は、イルミネーションもない殺風景な、もみの木の向こうにあるプラザへと歩いていく。中に入ろうとしたとき当然、入り口近くに警備していたオフィサー(巡査)に、行く手を拒われた。
「ちょっと、ここはプラザ(本部)ですよ! 一般人は入ってはいけません!」
と、いつものと異なり、妙に丁寧な口調で注意する巡査は、八角帽子から二、三本前髪を垂らしたオールバックの黒髪に、シャープな黒縁メガネをかけたアジア系らしき男である。その巡査は黒い瞳を鋭く光らせ、190センチもあるその大柄な黒人の男を見上げた。すると、黒人の方は、自分より奴が低いのを良いことに、高圧的に詰め寄って拳を形作る。
「あんだ? まーた勝手に、人様ン家の近くを交通規制しやがって! その抗議をするために、今から乗り込んでいくところなんだよ!」
「いいえ! そういう抗議でしたら、あちらのビジター用の入り口にて受け付けております! とにかくここには入ってはいけないことになっていますから!」
しかし、怯むことなく、そして逆上するでもなく応答する彼の態度は実直そのものだった。メガネの奥から窺える、真摯なその黒い瞳に、しばし彼は困惑を受けた。珍しく真面目なヤツに会ったものだ、と。
よし、冗談を言うのはここまでにしよう。と、黒人の男はにやけながら俯いた。
「なら、あんちゃん。コレを見ても入ってはいけねえのかい?」
すると、彼が徐に黒いジャケットを翻して見せたのは、胸章に縫いつけられた金色の星。巡査はその数を見た瞬間に目を丸くし、そして規律正しく敬礼をした。
「し、失礼致しました! まさか委員長殿とは知らず……!」
「分かったなら良いンだ。さっさと中に入れな。警護は他の奴にまかせて、案内はお前がやれ」
「は、はい! 今すぐ……!」
声上擦らせ、慌ただしく走る彼の姿がおかしくて、男はやがて大声を上げて笑った。
***
プラザの一階に当たる吹き抜けのロビーを超え、金属探知機を抜けたあと、男は、その名札のプレートが瞬く、ヨーナス・トラヴィスと名乗る巡査と共に左手のリフトに乗って階上に向かう。階上へ登るリフトはシースルーとなっており、フロントを歩く職員の姿を見下ろすことが出来る。
「へえ、リフトが前のと違うな。そのせいで、プラザもいつの間に広くなった気もするぜ」
「ははは……、実は以前、リフトの中で客人のフリした、ならず者の暴力事件が起こったものでして、それ以来リフトをガラス貼りにしたのですよ……」
と、苦々しく笑うヨーナス。その情けないという表情に、また彼の生真面目な性格が感じられる。
「暴力事件といやあ、一ヶ月前からクイーンズ辺りも、火を吹いたように騒がしいじゃねえか。牝馬に頭蹴られて、醒まされたようなヤマが突然起こってきたよな」
「ああ……はい、クイーンズは、ギャング抗争事件のことですよね。あっちは分署の管轄なので、私たちプラザ(本部)の者は関わっていませんが、連続して起こるから調査が進まない上に、事件の度に銃撃戦も激しく、非常に混乱していると聞いています。もしかして、委員長殿はそれについて此処に来られたのですか?」
ヨーナスは、男が気難しくない性格であることを知ったのか、おのずと気安く話しかけるようになった。そこに彼も悪い気はしないのだが、それに答えるにはまだ、目的の階に着いていない。
「まあー、そういうもんかな。しっかし、あの騒ぎようにはまいったもんだよ。五つの行政区の分署はみんな駆けつけたというのに、プラザの方はいつなったらお呼びがかかるもんかねえ」
「それは上の指示次第なので、私には分かりかねますが……、それでも、もし貴方の要請がきたのでしたら、私たちワン・ポリス・プラザは、2000人の総力戦の元、誠心誠意、その業務に取り掛かることでしょう。私もその一人であることを強く願っています」
男の皮肉を、範例回答よろしく清々しくヨーナスは答える。その眦は黒縁メガネに紛れてよく見えないが、実は凛々しく、均等な並びで伸びる眉毛と合い重なって、勇ましい輝きを放っていた。彼こそ、この黒ずくめの巡査服を着るに相応しい男なのだろうか、と、男は下を向き含み笑いをする。
「ふっ……なら、その勇ましいプラザの中に、実はいんのかもしんねェなあ……」
「はあ……何がでしょう」
「NYPDのディンゴ、がよ」
一瞬、沈黙が走った。
「ディンゴ(野犬)……? 警察犬でしたら、確かにここにもいますけど……?」
その時、軽い鈴の音が目的の階に着いたことを知らせた。扉が開いたことで、そこで会話は途切れてしまう。すると――、
「え、あ……その……! 応接室はその向かいにありますので! それでは私はココで失礼しますね!」
と、ヨーナスはさっきまでの親しい会話がなかったかのように、そそくさと逃げようとしたのだ。「ディンゴ」という言葉に、明らかな戸惑いの色を見せていた。しかし男は逃さなかった。閉まる扉に無理やり足をかける。ガタンと鈍い音が響いた。
「ヨーナス、お前も、来るんだ」
「は、はい……」
眉下に瞬く眼光に、ヨーナスは従う他なかった。
***
向かいの扉を足で開くと、そこもまたガラス張りの部屋で、NYの街を見下ろす男の背中が見える。振り向く姿にヨーナスはまた声を上げた。
「ほ、本部長どの……!?」
「ヤー、フェルナンデス。お前の頭もまた砂漠化したか」
すると黒人の方は、太陽の光を色白の額に受けている妙齢の男、フェルナンデスに向かって、ヒラヒラと手を振って挨拶をした。
「ふっ。その馴れ馴れしい口と、肥えた腹も相変わらず変わっていないようだな、ウェッブ教育委員長」
と、お互い挨拶を交わし、ひと時の再会を確認する。
「え、委員長は本部長殿とお知り合いで……!?」
話を逸らそうとするヨーナスを、そんなことは今はどうでもいい、と、黒人の男――、ウェッブは一蹴した。一方でその隣に立つフェルナンデスが、悠々とヨーナスに答える。
「ああ、今日、彼がわざわざここに来たのはな、さっきも言ったNYPDのディンゴを探すために来たんだ。あの、クイーンズのギャング抗争事件とも大きく関わる、正体不明のディンゴをな」
ヨーナスはメガネを光らせ、顎を引く。
「ディンゴ……私はあくまで噂でしか聞いたことないので、そのことについてはよくわからないのですが……」
「そうだな、聞いたことあるだろ? あれは丁度一ヶ月前、クイーンズのギャング抗争事件の、一番最初のヤマに出てきたってよ」
次にウェッブが話を始めた。
「その事件はなんてことのない、麻薬取引における交渉金額の不一致が招いた痴話喧嘩。二つの組があらゆるハジキをぶっ放して大暴れしていたものだ。しかし、そこを偶然通りかかった一般女性が巻き込まれ、運悪くヤツらの盾扱いにされるところだったのを……」
「あのディンゴが現れ、助けた」
ヨーナスは、はっとして顔をあげた。
「人数は合わせて十五人、その女の証言曰く、それをたった一人の巡査が、漆黒のハンドガン二丁を携えて、弾幕の嵐で奴らを制圧したというじゃねえか。しかも、フルオートであったにも関わらず、9ミリ弾は奴らの致命傷から外れるところに丁度当たり、ガラ開きだった女の『初めて』も奪うことなく立ち去ったってね。そして、ソイツは漆黒の巡査服を着ていた、ともいわれている」
「そうして、後に追い付いたクイーンズ分署の者にも、やられた奴らにもその巡査は怖れられた。そして双方から畏れと嫌悪の意味をこめ、次第にこう呼ばれるようになった」
フェルナンデスの言葉に、ヨーナスのこもった声が続く。
「……それがNYPDのディンゴ(野犬)だと……」
しばしの沈黙が流れた。が、ヨーナスは、「それでも」と、首を振る。
「黒ずくめの制服、しかも巡査服を着ているNYPD職員なんてこのNYの中でゴマンといますよ。このプラザ(本部)にいる確証なんてどこにもないっていうのに……」
ヨーナスは眼下に広がるNYの景色を指差して問う。それに対してウェッブはポケットに片手を突っ込んでは腹を膨らまし、ニヤリと笑った。
「それは簡単だ。ちゃんとこの中から見つかったからだ、よ」
と、空いた手を差し伸べた黒い手に、ヨーナスは目を丸くする。
「は……?」
「それを確認するために、お前を呼んだんだろうが、よっ」
そう答えたとき、応接室の扉がまた開いた。振り返って見た瞬間、ヨーナスは更に目を丸くする。
「あ、貴方は……!」
二人の同僚に抱えられながら入ってきたのは、うねりのある金髪を短く揃え、同じ色の無精ひげを生やした中年の男。それは、ヨーナスと相棒を組んでいる古株巡査だった。
「ああ、やはり貴方がだったのですか……! アレクサンドルさん……!」
突然の呼び出しに、泣きそうになっているだらしない相棒へ、ヨーナスは駆け出してその腕を掴んだ。
「あなたが……! NYPDのディンゴだったなんて!」
「すまねえ。ヨーナス。バレちまったよお」
アレクサンドルは半べそ状態でヨーナスにしがみつく。ほぼ混乱状態でヨーナスの話さえ、まともに聞き取れない状況だ。
「そんな……! 言ってくれたら私だって、一緒に自首しても良かったのに……!」
「すまねェ。本当にすまねェ……!」
その中、ヨーナスは上司二人に顔を向けて懇願する。
「許してください、本部長殿、委員長殿! 彼、家族がいるのです! どうかディンゴのことはこの話だけのことにしてもらえませんか……!」
それは一見すると、腕を組み合わす男二人の友情といったところだが、ウェッブの虚ろな黒い瞳は、この中からいかがわしい姦計をとうに知っていた。
「おい、良い加減にしねーか。ヨーナス」
「……は?」
そしてウェッブは、咎めも含めた太い声で言った。
「NYPDのディンゴってのは、お前のことだろうが」
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