二、 ロー・エンフォースメント・オンリー

 上司二人は、メガネを震わせるヨーナスの顔を冷徹に見据えた。続けてフェルナンデスが呟く。


「そうだな、そんな弱気なアレクサンドルが野犬なワケがないだろう。ディンゴはお前だよ、ヨーナス。ま、最も、ウェッブから言われたときは、私もまさか君がそんなことをするとは、思ってもみなかったがね」


「本部長殿までなにを……!」


 ヨーナスがフェルナンデスに向かって抗議の声を上げたとき、その大柄な体型に似合わず、ウェッブが脇から彼の眼下に素早く飛び込み、その膝を思いっきり蹴った。


「な……!?」


 アレクサンドルを抱えながらヨーナスが崩れたその隙に、彼のレッグホルスターから黒い銃を素早く取り上げる。それは、同業だからこそ出来る早業であった。


「ほれ見ろ。これが証拠だ、フェルナンデス。これは19じゃねえ、1引いたヤツだ」


 そうして、ウェッブが素早く投げた600gの塊を難なく受け取り、フェルナンデスはまじまじと、その規定の物から12ミリも長いスライドを視認した。


「ほう、やはりな、ヨーナス。お前が持っていたのは、GLOCK18だったのか」


 GLOCK18。オーストリアを代表するハンドガン、GLOCKシリーズの中で、最も危険と評され、ロー・エンフォースメント・オンリー、つまり公的に限られた者しか持つ資格を与えられないハンドガンだ。9ミリパラベラム弾のロングストックを付ければ、一丁で33発装弾可能、それはハンドガンの中でも最も多い装弾数を誇る。


 それが二丁であれば66発、それがもしフルオート攻撃であれば、サブマシンガンにも劣らない威力を増すことができる代物だ。


 しかし、それをヨーナスが持っているということは、コンパクトサイズの19のみを義務付けたNYPDの規則を破ったこと――、正真正銘の違反行為にあたるのだ。


「ヨーナス! まーさかなオメー、そのメガネが曇ってて、選び間違えたとか言うんじゃねえだろうなぁ?」


「そんなつまらないジョークで誤魔化すつもりはありません」


「言うじゃねえか、この野郎」


 嘲笑を浮かべて見下ろすウェッブを、ヨーナスは今度は上目遣いで睨み返した。


「しかーし、混乱しているアレクサンドルをわざわざディンゴに仕立て上げ、狼狽する最後っ屁、サイコーだったぜ。ちなみにアレクサンドルは、お前の正体をたまたま知って、ディンゴって名づけた張本人ってだけだ」


「な、なんですって!」


 すると、彼は知らなかったらしく、今度は相棒の襟首を掴んだ。


「ひどい! まさかあの名付け親が貴方だったなんて! なんでディンゴなんですか! 私がオーストラリア出身だから!? 私がそう呼ばれているのを知ったとき、屈辱的でたまらなかったですよ! 野犬なんて失礼じゃないですか、アレクサンドルさん!」


「すまねえよお。つい面白半分で言っちまって……。このままにしたらもっとお前のディンゴっぷりが楽しめるかなと思ってさ……!」


 間近に顔を寄せ怒り叫ぶヨーナス、それに向かってひたすら涙で顔を汚すアレクサンドル。さっきまでの友情が嘘のようである。今度はウェッブとフェルナンデスが顔を見合わせ、深いため息をついた。


「で、そんなトコでよ」


 やがて、ウェッブは低い声で呟く。途端、顔を紅潮させていたヨーナスの顔がみるみる青くなっていく。それににやりと笑ってウェッブは手を鳴らし、歩み寄った。


「さあーて、これから、NYPD教育委員のウェッブ委員長様として、お前にたーっぷりと、お説教を聞かせてやらねえとなあ? ランボーもちびるほどの楽しい時間をテメーにくれてやるぜ。あ、勿論ほったらかしにした相棒くんも一緒に、な?」


 徐に小脇から取り出した葉巻を加え、フェルナンデス曰く死んだ目で笑う彼に、二人は互いの体を支えながら怯えた。そのウサギのような姿に、ウェッブは一際大仰に口角をあげて止めを刺そうとしたとき――、突然、唸るような警報音が応接室に響き渡った。一斉に全員が天井を仰いだ。


「な、なんだ……!?」


 それと同時に、アナウンスも響く。


『報告します! 只今マンハッタン……! ロウアーマンハッタン街にて、新たなギャング銃撃戦勃発! 規模は最大級、分署の方はESU(特殊部隊課)も含め状況をおさめることが出来ず、幾人かが怪我、それに一人が人質にとられている模様! 至急最短距離からのの応援を頼みます! 繰り返します! 今……!』


「ちっ、こんなときに始まりやがったか……!」


 プラザに劈く警報音は、よほど緊急のときでないと鳴らない。それは事の大きさを示していた。フェルナンデスが無線で対応する中、騒がしくなったプラザの様子を見て、ウェッブは少し心もとない雰囲気を感じ取った。何か他に強力なものがないか、と、考えていると、混乱している巡査二人を見て思いついた。


「おい、ヨーナス」


 すると、ウェッブが後ろからヨーナスの震える肩を叩いた。


「な、なんですか……?」


 それは、ディンゴだと知った上で見てみると、信じられないと思う程に弱々しい声だ。とても、その名に相応しい者とは思えなかったが――、ウェッブはそこでにっこりと笑い、軽々しい口調でこう言ったのだ。


「お前、今から援護行って来い。そこで制圧できたら、NYPDのディンゴとしてのお前のデビューを、認めてやってもいいかもしんねえ」


「「え、ええーっ!」」


 突然の展開に、悲観と歓声入り混じる叫びが、耳障りな警報音と共に劈いた。


***

 

「なに? あと一人だけ残っているって?」


 事件があったところは、パーク・ロウより北、チャイナタウンとリトルイタリーとの境目だ。そこは、レンガ造りの古臭い建物に挟まれた路地であった。


 その路地には今、NYPDのパトカーがすし詰めに停留している。


 一方、駆け付けたウェッブは、その路地と交差した大通りに待機し、続々と救急車に運ばれる負傷者の様子を眺めていた。路地の中のパトカーは無残な弾跡が刻まれて転がり、彼らの行く手を阻んでいる。これが人数確保によるNYPDお得意の、突入攻撃がうかつに使えない要因となっていた。

 

「はい、あの路地、ウェルデ・ストリートの中に一人だけ、武装したギャングが残っているんです」


 管制車のオペレータは答える。


「最初はあの路地にある、小さな料理屋でのギャングの喧嘩が始まりだったのでした。幸いにして(?)、クイーンズの一件で警戒体制が厳しくなったNYPDがすぐ駆けつけ、それ自体はすぐに治めることができたのですが……」


「なら、なんで残っているソイツも、一緒にブチこめなんだ!」


 ウェッブの怒声に、オペレータはそばかすだらけの顔を埋めて呟く。


「それが……その……彼だけが、あまりにも強くて……」


「はあ?」


 すると、ウェッブの後ろに待機するヨーナスとアレクサンドルも、驚きで口を開けた。それに肩を強張らせたオペレーターは、更に声を震わせて両手を掲げる。


「本当に……本当に強かったんです! あいつは……あいつ、は! 突入する警官も、そこにいた味方も一緒くたにして、遠慮なく撃ってきたのです! ESU(特殊部隊)が駆けつけて突入しようにも、この周辺の勘もあるのか、建物づたいに屋上に挙がるところを、部屋の物陰から攻撃して全滅させてしまったのですよ!」


「特殊部隊をたった一人で!?」


 それにウェッブは感嘆の声をあげた。屋上にあがるところを狙うという、自分たちのやり口も把握しているところにも。


「そうです。ESUがやられてしまうなら勿論、私たちオフィサーにも叶うべくはありません。パトカーの中で待機していた私たちも、抵抗むなしく撃たれ続けました。ヤツの味方であるはずのギャングも、確保しようとするところを撃たれ、その撃たれた相棒を運ぼうとした警官も撃たれ、それはもう、今までにない酷い被害を受けました……!」


 オペレータの言葉が、がらんどうのパトカーが転がるウェルデ・ストリートに虚しく響く。

 

 夕焼けの逆光が更に路地の奥を陰らせ、大通りにまで尻込みされたNYPDのメンバーたちは、正体の見えない闇の獣に、パトカーとシードでもって防御し、必死の思いで監視を続けていた。開けっ放しの管制車のドアの縁の側に立つヨーナスも思わず、その緊迫した状況に唾を飲み込む。


「そして今、最悪なことに一人のESU隊員が、脚を撃たれたまま人質になっています。このまま監視を続けても彼の命が危ない上に、もうすぐ日が沈みます。視界確保ができないままの人質救出は困難です! それに、相手があいつとなるともっと……!」


 すると、狼狽したオペレータは目を覆って俯いてしまった。この様子だとどうやらコイツは一生オペレータ止まりの人生だろう。と、思いながらも震える彼女の肩に手を置き、上司であるもう一人のオペレーターが話を続けた。


「はい、なんとか確保したギャングの証言によれば、一人だけ残っているソイツは、イタリアンマフィア、テストの用心棒をも務める男だそうです。戦闘力がずば抜けて高く、マフィアの間ではテストのハウンド(猟犬)と、恐れられていたとか……その暴虐で好戦的な性格も含めても、だと」


 最後の部分を強調して、オペレーターは天井を仰いだ。それにウェッブは、微かに好奇も含めた眼差しを伏せる。


「ふうん。まあ、自分が助かるために味方ごと巻き込むワケの分からん奴だからなあ……。どんな容姿だ、見たか」


「それが……すべてブロック(角)かパトカーからの攻撃だったため、私たち自身ははっきりと視認しておりません。が、話によると、テストのメンバーの中では、ずば抜けて容姿も良い男だとうかがっておりますよ」


「なあるほどねえ」


 ウェッブは口髭をなぞった。その意味あり気な仕草に、ヨーナスはディンゴ(野犬)の勘が働いたのか、「嫌な予感」と、言いたげな顔をする。ウェッブはそれに構わず、徐にきつく締め付ける腕時計を見た。時間はもうすぐ午後六時。そろそろ何かを始めなければ――、と、目を伏せると、


「ちょっと、それを借りるぜ」


「あ、ちょっと……!」


 泣き崩れる彼女の脇から拡声器を取り出し、勢いよく外に出たのだ。そして、路地に向かって大声をあげた。


「おい、聞いてるか! テストのハウンド!」


 それにNYPDのみならず、大通りの両端に集る野次馬も大きくどよめいた。


「そのまま俺らが観念するまで籠るのも良い趣味だが、ソイツは少々退屈になってきたろう? ここでちょっと楽しいゲームをしてみねえか、ワンちゃんよ!」


「え、ちょっ。何言っているの、この人!?」


 周りの懸念に構わず、ウェッブは前を向いたまま向こうの出方を見るが、路地の向こうから返事はない。しかしそれでも続けた。


「おー、今時イタリアンマフィアにも良い猟犬がいたもんだな! だがしかし、俺らにもちゃんと犬はいるんだぜ? テメーもマフィアの用心棒なら、話は聞いてんだろ!? 今ココに、NYPDのディンゴ様もいるってことをなあ!」


 ウェッブが語尾を強くして豪語した途端、野次馬が一気に歓声をあげた。彼らはクイーンズでの噂を聞きつけて以来、彼を正義の味方として神格化していたのだ。


「マフィアの猟犬と、NYPDの野犬。ぴったりな組み合わせじゃねえか。どうだ。ここいらは一度、手合せ願って、勝った方が負けた奴のいうことを聞くってのはどうだぁ!?」


 野次馬は更に歓声をあげた。NYPD久々の大対決。心なしかアレクサンドルも身体を震わせ、その興奮を楽しんでいるように見える。


「しかしな、犬同士の対決に人間は無用だ、猟犬。今、お前がその首に噛みついている俺たちの仲間は、こっちの方に引き渡してもらおうか。それをそのゲームにのった合図だとしておこう!」


 返事はまだなかったが、しばらくすると、路地の中から一人の防護服を着た男が、ゆらりゆらりと幽霊のようにから出て、そして大通りの地面に土煙舞散らして倒れたのだ。


「彼です! 人質にとられていたダニエル隊員です!」


 管制車の彼女の言葉を合図に、仲間たちはただちに駆け寄り彼を確保する。それに響き渡る歓声が更に大きくなった。


これで、猟犬が俺の誘いにのった。


「さて、と。ディンゴさん。お前の出番だぜ」


 そうして、ウェッブは管制車のドアで茫然と立ち尽くすディンゴ、もといヨーナス・トラヴィスの肩を叩く。揺らめきそうになりつつも、それを押しとどめたヨーナスはウェッブを厳しく睨んだ。


「ウェッブ殿……! 幾ら貴方様といえども、警察らしからぬ無茶苦茶な取引は弾劾ものですよ……!」


「いや、おめーも違反者じゃねーのかよ」


 その突っ込みに、ヨーナスは口窄め、眉間の皺を歪ませて視線を逸らした。その横顔を覗きこみながら、ウェッブはヨーナスに問いかける。


「なら、ヨーナス。お前はそこまで律儀なのに、なんでそんな違反を犯した?」


「それは……上の者たちの日和見主義に、市民の安全や仲間の命が脅かされるのが、どうしても我慢ならなかったからです……!」


 すると固く拳を握り、メガネの縁を震わせながらヨーナスは唸った。


「突然の銃撃、襲撃。この大都市NYではいつ、何が起こる分からないのに、私たちの持っている銃は、あまりにも心許ないんですよ……! 市民や私たちオフィサーが遭遇する、強烈な悪意に晒される実情も知らず、安全なビルに籠る者たちの机上の平和理論は、更なる犠牲と哀しみを産むばかり……! 私はそれを案じ、仲間のために、そして市民を守るために、より威力の強いGLOCK18を手にすることを選んだのです……! 彼らが助かるなら、せめて私だけが、罪を被れば、いい、と……!」


 現に、悲惨な現場を前にして、眦吊り上げてヨーナスは歯を剥いて叫ぶ。ウェッブはそこから離れ、ドアの縁に手をつけながら寂しそうに目を伏せた。


「そうか、ご立派なこったな。けどよ、そーいう不満は、自分だけで背負うんじゃなくって、誰かに話すべきだったんだよな」


 それは、教育委員長としての、澱みのない諭しであった。


「お前も誰かにとっては、その仲間の一人だってことを忘れて、勝手に頓珍漢な自己犠牲してんじゃねーよ」


 それに、背後でアレクサンドルも、ヨーナスの悲壮な事情を知らずに煽ってしまったことを反省し、涙ぐんで手を組み交わす。その視線を受けて、ヨーナスは首擡げ、震えたまま何も言えなくなってしまった。そしてウェッブも、慰めに彼の肩を掴んだ。


「まぁ、だったらよ。あんたの言うことが本当に正しかったかどうか、今から示して来いよ。場合によっちゃ、俺も一肌脱いでやってもいいぜ」


 その最中、ヨーナスの目の前で、担架に運ばれる人質が通り過ぎる。右脚の大量出血と顔面蒼白。少しでも遅ければ命が危なかったのは、一目瞭然であった。するとその時、ダニエル隊員は一瞬ヨーナスに目をむけ、ただでさえ声を上げるのも辛かっただろうに、枯れたような声で「ありがとう」と、呟いたのだ。それを聞いたヨーナスは、目を見開き、メガネの奥に涙が散る。


 それと同時に怒りの灯も瞬いて、彼は沈む夕焼けを睨んだ。やがて彼の怒りは次第にウェッブではなく、敵も味方も区別なく撃ち付けて仲間を危機に陥らせた、その猟犬へと向けられていった。


 彼の決心は固まった。ヨーナスは勇ましく、そして優しい男であった。仲間のために、市民のために、改めて、その意志を込めたレッグホルスターを掴む。


「分かりました……やりましょう」


「ま、マジかよ!ヨーナスウ!」


 相棒の声に応えず、ヨーナスは大通りの先頭へとゆっくり歩きだし、そして立つ。


「はい、やります」


 一言、念を押しつつ、筋の張った右手でメガネを整え、彼は前を見据えた。


「しかし、やるといったからには、私は絶対に負けません。正義の鉄槌はこのNYPDが持っていることを、猟犬に思い知らせてやりますよ……!」


 そしてヨーナスは、右から素早く漆黒のGLOCK18を取り出し、高く掲げてはスライド(遊底)を引いた。


 大通りに響き渡るグロック特有の、ポリマー同士が当たる軽い音に、今度はNYPDも含めた大勢から歓声があがった。

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