あの出前をもう一度…

このめだい

あの出前をもう一度…

 もう一度食べたい想い出の味って何だろう?


 母が健在の今は、母の手料理という感じではない。


 私が食べたいと思うのはかつてあった地元の蕎麦屋の出前だったりする。








 そのお店の名は、通称三友さんだ。

 しかし三友さんの話を詳しくする前に、少し特殊な我が家の話をしようと思う。


 私の名前は岡田橙おかだだいだい、木に登ると書くので子供の頃からあだ名はサルだった。

 祖父母同居で両親共働き、定年退職前の祖父もまだ働いていて、幼少期は主に祖母と共に過ごしていた。

 祖母は料理をとにかくしない昭和時代では珍しい人だった。


 祖父から聞いた話では、結婚当初から共同で使う釜で朝から他所の奥さんに混じって朝ご飯を作ったのは祖父だったという。

 戦争で早くに両親を亡くしていた祖父が、身の回りのことを器用にこなせる人だったというのもあるかもしれない。


 一方の祖母も、専業主婦ではなかった。日本たばこ産業で働いて、早期退職後に私の面倒を見てくれていた。

 竹を割ったような性格で、思ったことはハッキリと口に出すような人だった。




 そんな訳で、会社員の母の代わりに夕飯を用意するのは祖母の役目だったのだが――――祖母の手作りご飯が食卓に出ることはほとんどなかった。


「もしもし岡田ですけど、今日のおかずは何ですか?」


 祖母は、夕方の決まった時間にお惣菜を炊いて置いているへ電話をかけ、今日のおかずが何かを確認していた。


 そしておだかさんにおかずがなかったら、というお店へ行ってお惣菜を買うのがお決まりのパターンだ。

 手料理という手料理は、朝ご飯の味噌汁くらいしか記憶にない。



 そんな訳で我が家のご飯は、主に商店街のお惣菜と三友さんの出前で構成されていた。

 大型のスーパーがない時代、買い物は歩いて十五分程の通り沿いに店を連ねる商店街へと足を運んだ。


 肉屋、果物屋、本屋、傘屋、花屋、靴屋……生活室需品はこの商店街でほとんど賄えた。

 そして三友庵もまたこの商店街に店を構えていた。


 多いと週の半分は三友さんで出前を取るのだ。

 店内で食べるのは決まって祖母と二人の時で、わらべという子供用の商品には子供が喜びそうなおもちゃと可愛い和食器が使われていて、店内で食べて行く時の楽しみだった。




 私が小さな頃は若いご夫婦と、そのお母さんでやっていた三友さん。

 出前を届けてくれたのはおじさんで、私は「三友のおじさん」と呼んでかぶっていたヘルメットをコンコンとノックするのが挨拶だった。

 いつの頃からか出前を届けてくれるのがおばさんに変わり、離婚しておじさんがいなくなってしまったと知ったのは少し大きくなってからのこと。


 ヘルメットのコンコンが出来なくなり寂しさを覚えたけど、ハツラツとしたおばさんが元気良く出前を届けてくれた。




 昼三友さん、夜三友さんという日もある。

 とにかく来る日も来る日も三友さんの出前を食べ続けた記憶しかない子供時代。

 当時は家庭の味に憧れていて、出前やお惣菜ばかりの家のご飯が嫌だと思っていた時期もあった。


 けれど不思議なもので、子供の頃に食べていた三友さんの味が色濃く自分の中にインプットされている。

 記憶の中で美味しさが補正されている可能性もあるけど、それでも嗅覚と味覚でハッキリと記憶している。



 出前で少し伸びたり、冷めたりするのもご愛嬌。

 メニューは豊富にあり、かぶらないように選べば週に何度食べても飽きることはなかった。


 ラーメン、冷やし中華、カツ丼、玉子丼、親子丼、たぬき蕎麦、カレーライスなどなど。

 手書きのお品書きが常に手の届く位置に置いてあり、見なくても頭に入ってるけれど何となく見て選んでいた。




 家は坂の頂上にあったので、毎回バイクで坂道を登って届けてくれたと思うと、出前のありがたさを改めて感じる。


 年越しも三友さんの出前で、親戚が集まり大所帯だったので十食程の出前を頼んでいた。

 母が作った年越しそばで大晦日を過ごしたのは、自分がある程度大きくなってからのことだった。





 バイクの音と共に「三友でーす」という元気な声が聞こえる。

 お金を持った祖母が玄関に行くと、三友さんは銀色の出前箱から注文した品を次々と取り出して置いていく。


 現代の出前のような使い捨て容器がない時代なので、出前といえども器は全てお店のものだ。

 食べ終わったら洗って玄関に置いておくと、タイミングを見計らって三友さんが回収しに来てくれていた。




 出前の汁物にはピッタリと幾重にもサランラップがかぶさっていたのだが、サランラップを取る前からすでにモワッと漂う出汁の香りが家の中に充満していた。


 卓上に運び、それぞれ頼んだ品を前に置き手を合わせる。

 もうお腹はペコペコで、視覚と嗅覚が刺激されて早く食べたいと気が逸る。


「さぁ! 食べようか!」

「いただきまーす!」



 ラーメンは昔ながらの醤油ラーメン。

 卵麺で、あっさりとした中にもキラキラと浮いた脂がコクを出していた。

 チャーシュー、メンマ、ナルト、ネギ、ゆで卵という定番の具材。


 カレーライスも家庭のカレーとはひと味違い、スパイスの薫りが本格的な黒っぽい色をしたカレーだ。

 横に添えられた真っ赤な福神漬けがいいアクセントで、余計に食欲をそそらせる。


 うどん、そばも種類が豊富で、讃岐うどんなど硬い麺には馴染みがない時代だったので、程よく柔らかい麺に汁がよく絡んだ。

 この出汁がとても美味しかった。


 丼ものも外せない。

 美味しい出汁で作った親子丼、カツ丼、玉子丼はどれも白米に汁が染みていて美味い。

 丼ものに必ず付いてくる黄色の沢庵も、箸休めにちょうどいい。



 想い出補正もあってか、もう食べることの出来ないあの味は『とにかく美味しかった』という形で記憶に残っている。


 もしもう一度食べることが出来ても、本当はそこまで唸るような味ではないのかもしれない。





 我が家も時代の移り変わりと共に郊外の飲食店に車で出掛ける選択肢が増え、少しずつ三友さんの利用が減っていった。

 おばさんとそのお母さんで営業を続けていた三友さんも、そうした変化の中でお店を閉めた。





 昨今、再び新しい形で出前がメジャーになっている。

 昭和ではあちこちでおかもちを下げて運んでいた出前があったように、よりシステム化され消費者のニーズに合った出前という文化。


 自宅でお店の味を楽しむことができて、家に届けてくれるなんて最高の贅沢だ。

 

 いつか時空を超えることが出来るようになったら、今はもうなくなってしまった名店のあの味を、時空を超えて出前で届ける時代がきたら面白いと思う。



 目の前のインスタントラーメンの湯気の向こうに、懐かしさを求めて。


『三友でーす!』

「は~~~~~い!」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの出前をもう一度… このめだい @okadatomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ