バイバイ。オレンジ

香澄るか

バイバイ。オレンジ

「こなっちゃん! さようなら!」

「ならー!」


 放課後。廊下を歩く私の背後を、二人の女子生徒が風のように追い越して行った。


「こら、小夏先生でしょうが! それと、廊下は走らない!」

「「はーい! あははっ!」」


 彼女たちは注意しても楽し気に声を上げながら、私へ手を振り去って行く。

 まったく……と苦笑しながらも、その後ろ姿は、かつての私であり、‘‘私たちだった”と、青春の思い出が蘇る。


『小夏、あたし達、いつかまた会えるかな?』



 窓の外から迫ってくるような西日に目を細めた。

 こんなにも綺麗だけれど、このオレンジをみると、どうしても胸が締め付けられる。


 私は、思わず持っていた出席簿を胸もとにでギュッと抱き寄せた。


 懐かしい。会いたい人。


「紗夏。今、どこで何をしてる? ……笑えてる?」


***


 彼女との出会いは、高校生の時。


 入学式後のHR。

 うちのクラスは一つだけ空席があった。

 誰の席……?

 周りも不思議がっていたが、遅れて現れた席の主が、目を惹くほどド派手なオレンジの髪の彼女。新城紗夏しんじょうさなだった。

 

 この時の、私を含めたクラスメイトたちの間抜けな顔と、颯爽とブレザーのポケットに手を突っ込んで歩く彼女の美しさとの対比。あれは、今でも絶対に忘れられない。


  紗夏には、その美しさと髪色から、あることないこと噂があった。

 歳上の彼氏がいるとか、父親がヤバい筋の人だとか。それならまだマシで、酷いものでは、パパ活をして稼いでいるなんてものもあった。

 それがきっかけで、気づけば彼女は、クラスで孤立していた。


 ただ、それは、一人ではなかった。


 羽月小夏はづきこなつ、私である。

 入学して半年が経ってもぼっちだった。でも、高校は、いちいち先生が心配して輪の中に入れてくれるなんてことはない。自力で何とかしないと。そう焦る私を襲ってきたのが、学校あるある。グループ課題の時間だ。


「あっ、ねえ……羽月さん、また一人じゃん」

「あんた、気になるなら話しかけてみれば?」


 もしかして、グループに入れてくれるのかな!?

 耳に入った会話に、胸を高鳴らせ、淡い期待を抱く私。

 でも、すぐにそれはあっけなく砕け散った。


「嫌だよ面倒くさい。それに、勘違いして懐かれちゃったらどうすんの?」

「うわー。可哀想!」

「じゃああんたが言うの?」

「……それは嫌」

「アハハハッ!!」


 無遠慮な笑い声が教室に響き渡る。

 そして生まれる、周りの憐れむ視線。同調する嘲り。

 私は、羞恥と悲嘆で震えそうなのを懸命に堪え、拳を握りしめていた。


 ――救いの女神が舞い降りたのは、その時だった。


「羽月さん、よかったらあたしと組まない?」

「え……?」


 そっと顔を上げると、目の前に紗夏が立っていた。

 教室中が一気にどよめいた。あの新城紗夏が、初めて自分から声をかけたと。


「本当に? 私でいいの……っ?」


 そう訊ねれば、彼女は意外なほど柔らかく笑った。


「うん。羽月さんがいいんだよ」

「ありがとうっ……!」

 

 私は泣きべそをかきながらお礼を口にした。

 紗夏は、私の背中を摩りながら側で話していた子達を見た。そのうち、彼女たちは気まずいのか、背を向け小さくなっていた。



 やがて、忘れたように教室が賑やかさを取り戻した頃。

 私と紗夏はトイレに移動していた。私の泣き腫らした目を冷やすためだ。


「これ、使いなよ」


 そう言って紗夏が貸してくれたのは、私も大好きなキャラクターのハンカチだった。


「まさか、新城さんも、コレ好きなの!?」

「やっぱり。羽月さんも好きだった」

「え? 知ってたの?」

「うん。前にちらっとトイレで見かけて。それに、お互い名前に夏が入ってるでしょう。実はずっと話してみたかったんだよね」


 その日から私たちの距離は急速に縮まった。

 周囲が驚く凸凹コンビと呼ばれるまでに。


***


「あっ、小夏なんでフライングしてんの!?」

「ごめん……。でも、紗夏遅いんだもん」

「お昼買いに行ってたんですー。酷いなーもうっ……!」


 ランチタイム。抜け駆けが許せなくて紗夏がふてくされる。

 ただ全然怖くないし、ちょっと面白い。

 だってこんな紗夏は、とても幼くってかわいい。仲良くなり、知れば知るほど、紗夏はギャップの塊。日々が発見だった。


 でも、一つ気になるのは、お昼ごはんのセレクト。


「紗夏、いつも菓子パンだね。お弁当は……?」


 彼女はいつもコンビニの袋を下げて現れる。

 始めは好物なのかと思ったけど、次第に気になってきた。


「ウチは小夏の家とは違うから。あたしも料理面倒で苦手だし。あはは」

「そっか……」


 その言葉に込められた意味を自分なりに考えて、たったそれだけしか言えなかった。


 紗夏は時々、寂しそうに笑う……。


***


 ある日、紗夏が週末に旅行したといい、お土産を手渡してくれた。


「ありがとう」

「大したものじゃないけどね」

「そんなことない。すごく嬉しいよ」


 掌に載るのは、お互いが大好きなキャラクターのご当地キーホルダー。


「どこに行ってきたの?」

「京都だよ」

「わあっ、いいねー! じゃあ、家族旅行だ?」

「違う違う、一人だよ。叔母さんに会いに行ってたんだ」

「あ、そうなんだ……。あっ。こ、これ、本当にかわいいね!」

「大袈裟。でも、気に入ってくれたなら良かった」


 てっきりご両親も一緒だと思っていた私は驚いた。

 でも、この時の私は、疑問を問いかけることを躊躇してしまった。

 もしも不用意に踏み込んでしまったら、時折見せる彼女の笑顔の奥にあるものを暴いてしまうことになるんじゃないか。それが、なぜだか怖かった。


***


 ある時期から、紗夏は時々学校を休むようになった。

 その間何していたのか勿論気になったけれど、先生たちが注意をしないところを見ると、簡単に聞けなかった。

 

 それでも、ようやく会えた紗夏は痩せていて、目の下にはくっきりとクマをつくっていた。流石に、友達としてこれを見過ごすことはできなかった。


「……紗夏、ちゃんと眠れてる? ご飯食べてる?」

「うん。大丈夫だよ」

「でも、お昼は……?」

「あー、今日はお腹へってないの」


 そう言って紗夏はジュースを飲んでいた。でも、顔からはすっかり覇気が消え、綺麗だった肌も艶やかだった髪も、栄養失調からか傷んでいた。

 私は、紗夏のために自分に出来ることはないかと考えて、やがて、実行した。


「……何コレ?」

「紗夏の分のお弁当だよ」

「えっ、まさか、これ……小夏が?」

「うん。作ってみたんだ」


 私は「見て。紗夏専用」と、オレンジ色のお弁当袋を手渡す。

 でも、喜んでくれると思っていたのに、彼女はとても戸惑っていた。


「……ねえ、どうして、こんなこと?」

「前のお土産のお礼と、いつもパンばっかりだと飽きちゃうだろうし、心配になって」

「誰もこんなこと頼んでない!!」


 初めて聞く紗夏の大きな声に、思わず震えた。


「ごっ、ごめんなさい……っ」

「あ……いやっ、違うの!」


 我に返った紗夏は、慌てて私に駆け寄る。


「大声出してごめん! ……ただ、こういうことはして欲しくないの。気持ちは嬉しいけど、あんたとは対等で居たいの。小夏のこと、すごく大好きだから」

「対等? どういう意味……?」

「うーん……うまく言えないけど、同情されて、施しを受けた気分になりたくない。もちろん、小夏がそんなつもりじゃないのは分かってる。でも、あたしが嫌なの……。だから、お願い」

「……わかった」


 正直、私にはわからなかった。紗夏がなぜそんなふうに思うのか。でも、彼女が嫌ならやめよう。そう決めた。


 ――そんな私は、この数日後、衝撃の事実を知ることになる。


「羽月!」

「あっ、先生」


 呼び止めたのは担任だった。でも、何か言いあぐねている感じで、様子が変だった。


「何ですか?」

「あっ……いや。お前、新城から何か聞いているか?」

「え? 何かって、なんですか?」

「やっぱり知らないんだな。……あいつ、叔母さんに引き取られて、京都へ引っ越すことが決まったんだ」

「え……?」

 

 気が付けば、走っていた。


 担任から話を聞いた。

 紗夏は、両親が早くに離婚。母親に引き取られたが、母親は親の責任を放棄し、ある日紗夏が帰宅すると姿を消していたという。それ以来、紗夏はずっと一人で暮らしていた。でも、ある時母親がふらりと姿を現し、娘の紗夏にお金を無心するようになった。もしかしたら母親は正常な判断をできる状態になかったのかもしれないと担任は濁して言った。

 そんな母親が、二週間前亡くなったという。

 詳しいことはわからない。でも、これだけはわかる。

 私なら到底抱え込めない出来事の数々を、紗夏はずっと、たった一人でどうにかしようとしていたんだ。


 私は、一秒でも早く彼女の元へ行きたくて、全力で、転びながら、涙を拭いながら、走った。


「紗夏……!!」

「!? どうして小夏が!?」



 紗夏のアパートの前には、引っ越しのトラックが停まっていた。

 それと、見知らぬ五〇代くらいの女性の姿があった。すぐに‘‘京都の叔母さん”だと察した。お辞儀をすると、にっこりと笑いかけてくれた。


嫌だ。紗夏を連れて行かないで。私たちを離さないで。

そう言いたかった。でも……紗夏は、この人が大好きなんだろうなと思った。そして、この人と一緒なら、彼女は大丈夫だと。


「勝手に押しかけてごめんね……」

「うーうん。あたしが悪い。……ずっと黙っていて、ごめん。色々と」


 さっきまで私が泣いていたはずなのに、気付いたら紗夏が号泣していた。私は、自分より背の高い紗夏を抱きしめて、背中をさすった。


「大丈夫、泣かないで。紗夏を責めたりしない。紗夏を責めるわけない。私も、紗夏が大好きなんだからね。ずっと、遠く離れても、ずっと」

「小夏……っ。あたしたち、また会えるかな?」

「当たり前でしょう。絶対また会える。だから、笑って」


 そう言うと、ようやく紗夏は私が大好きな笑顔を見せてくれた。

 そして、私は小さくなるトラックの背をみつめながら、紗夏に別れを告げた。


 ――バイバイ。私の愛しいオレンジ。






 



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バイバイ。オレンジ 香澄るか @rukasum1

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